ベンゲルにスコラーリ…。Jリーグで指揮した意外な外国人監督
2017年12月26日 更新

ベンゲルにスコラーリ…。Jリーグで指揮した意外な外国人監督

来年で誕生から25年を数えるJリーグ。その長きに渡る歴史を振り返ると、「えっ、この人も監督してたの?」と驚くような過去の名選手や欧州・南米で活躍する名将が指揮をとっていたりするものです。そこで今回、Jリーグで指揮官をつとめていた意外な外国人監督を紹介していきます。

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リベリーノ‐清水エスパルス

王様・ペレのブラジル代表引退後にセレソンの10番を背負ったリベリーノ。強烈な左足のシュートを武器としたことから「アトミック砲」と呼ばれ、代表公式戦では通算122試合出場・43得点の活躍を見せました。

選手としては華々しいキャリアを送ったリベリーノですが、監督としては微妙。1994年に清水エスパルスで長らく指揮をとっていたエメルソン・レオン監督の退任に伴い、リーグ戦・2ndステージから指揮官に就任したものの、黒星が先行し、結果は年間4位。成績不振を理由に、同年限りで辞任しています。

Brazil legend Roberto Rivelino shows Goal his famous 'elastico' move #Goal

出典 vine.co

オズワルド・アルディレス‐清水エスパルス・横浜F・マリノスなど

1978年、アルゼンチン代表は自国開催のワールドカップで初優勝を飾りました。優勝の立役者となったのは、エル・マタドールと呼ばれた点取り屋「マリオ・ケンペス」、精神的支柱としてチームを支えたキャプテンの「ダニエル・パサレラ」、そして、ゲームメイカー兼シャドーストライカーとして中盤に君臨した「オズワルド・アルディレス」です。

現役時代、トットナム・ホットスパーやパリ・サンジェルマンなどで活躍したアルディレスが指導者として日本へやってきたのは1996年のこと。清水エスパルスの監督に就任し、1年目からチーム誕生以来初のタイトルとなるナビスコカップ決勝を達成。1998年にもリーグ戦・1stステージ2位に輝くなど実績を残したため、清水エスパルスのクラブ創設20周年企画で行われた『エスパルス史上最強ベストイレブン投票』の「監督編」において、堂々の第1位に選出されています。

1998年シーズンにエスパルスを去った後も、横浜F・マリノス(1999年~2001年)、東京ヴェルディ1969(2003年~2005年)、FC町田ゼルビア(2012年)と、日本のプロチームで監督を歴任。昔からのJリーグファンにとっては、なじみ深い監督の一人です。
元監督のオズワルド アルディレス氏

元監督のオズワルド アルディレス氏

スコラーリ‐ジュビロ磐田

ブラジル代表、ポルトガル代表、イングランド・プレミアリーグのチェルシーなど、強豪と呼ばれるチームの監督を歴任してきた名将・フェリペ・スコラーリ。特に傑出した実績は、2002年、ブラジル代表を率いて日韓ワールドカップ優勝を果たしたことと、2004年にポルトガル代表を指揮してユーロ準優勝を成し遂げたことでしょう。

そんなスコラーリがブレイク前の1997年に指揮をとっていたのが、ジュビロ磐田です。1996年シーズンまで弱小だったチームを立て直し、リーグ戦2ndステージ・14勝2敗という抜群の成績で優勝を果たすなどたしかな実績を残し、1シーズンのみで颯爽と日本を去っていきました。
ルイス・フェリペ・スコラーリ

ルイス・フェリペ・スコラーリ

アーセン・ベンゲル‐名古屋グランパス

このフランス人指揮官が、7年もの長期政権を築いたASモナコに別れを告げ、サッカー辺境の地・日本へ赴任してきたのは1995年のこと。既に実績十分だったヴェンゲルは、チーム構成に関する全権を委ねられます。ヴァランシエンヌFCで監督をしていたボロ・プリモラツをヘッドコーチに据え、同郷のフランク・デュリックスやジェラール・パシを新戦力に加えるなど、1年目からチームを“ベンゲルカラー”に染め直し、1995年に天皇杯優勝、1996年に富士ゼロックス スーパーカップ優勝など、クラブの第1次黄金期とでもいうべき華々しい戦果を挙げました。

その後、1996年にイングランドの古豪・アーセナルの監督に就任し、以降、21年にわたって長期政権を築いているのはご存じの通りです。
アーセン・ベンゲル

アーセン・ベンゲル

カルロス・ケイロス‐名古屋グランパス

で、ヴェンゲルの後釜がこの人。当時で既に1989年にU-20ポルトガル代表を率いてワールドユース優勝、1991~1993年にはポルトガルA代表監督として活躍するなど、実績十分だったケイロスを招へいするなんて、名古屋の交渉力の高さがうかがい知れるというものです。

が、後にレアルマドリードでも指揮を執る名将も、Jリーグでは輝けず。リーグ戦は年間総合9位、天皇杯はJFL・東京ガスに敗れるなど、散々な成績で日本を後にしました。
カルロス・ケイロス

カルロス・ケイロス

カルロス・レシャック‐横浜フリューゲルス

レシャックはかつてFCバルセロナで活躍したストライカーでした。17シーズン・665試合に出場し、211得点を挙げるなどレジェンド級の成績を残しています。
指導者としては、FCバルセロナと横浜フリューゲルスで指揮を執っていますが、いずれも選手時代ほどのインパクトは残せず。しかし、若手の才能を見抜く力だけは卓越しており、フリューゲルス時代は当時高卒ルーキーだった遠藤保仁を開幕スタメンで起用し、2001年~2002年シーズンにバルサの監督を務めた際は、入団テストを受けにきた当時13歳のリオネル・メッシのポテンシャルに気づき、「あの子は天才だ。紙ナプキンでも、なんでもいいからサインさせろ!」と上層部に直訴したのは有名な話です。
カルロス・レシャック

カルロス・レシャック

(こじへい)
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