才能を見いだされ、カープの優秀な指導者へと成長
2010年から、広島東洋カープの監督に就任し、11年連続となるBクラス脱却、優勝を目指しシーズンに臨み、平均得点や盗塁数、エラーの数など、機動力、守備面の復活を達成。広島らしい攻撃を戻したが、投手の故障を招くなど、防御率が悪くなった部分で投手王国だった広島からは遠ざかる形となったシーズンを過ごしました。
明らかな誤審に野村謙二郎監督 帽子を叩きつけて猛抗議 20140422 - YouTube
東京ヤクルトスワローズ 対 広島東洋カープ セントラル・リーグ公式戦 明治神宮野球場
via youtu.be
2014年まで指揮を獲り、2年連続Aクラス入り。74勝を上げる球団史上2番目の勝利数を残すこととなる。
選手時代の経験を生かした広島伝統の「走る赤ヘル野球」を標榜し、赤松や天谷や丸や廣瀬などの俊足の選手を積極的に上位打線に起用してチーム盗塁数を大幅に増加させた。その一方で左右病と揶揄されただけでなく、相手投手の利き腕によって打順を大幅に変える采配が指摘されることも多かった[84]。この傾向は、予告先発制度が導入された2012年度以降で顕著である。この采配は相手投手との相性や自軍の選手の状態に関係なく、積極的に行っているため、打順が固定出来ないという批判が目立った[84]。しかし、一貫した起用法が実を結び、2014年は多くの選手が自己ベストの打率をマークし、チームはこの年2.04安打に1得点とリーグで最も効率良く得点をあげた。選手層で劣る中、監督経験を積んだことによる野村自身の監督としての成長や9月まで優勝争いしたことからもかつての批判は賞賛に変わり、星野仙一はサンデースポーツで「11球団は野村カープを目指すべき」と述べた[85]。
野村謙二郎に惹かれて・・・
小学生のころから、キャプテンを務めて、周りの選手や、チームの雰囲気を常に気にしていた人物である。新井や金本、外国人選手のエルトレッドたちも、野村のおかげと口を揃えていうことからも、野村謙二郎と言う人物の人柄を伺える。
とことん。負けていたチームを救ったのは、選手の活躍ももちろんだが野村の人柄、リーダーシップ性が成しえた技なのではないでしょうか。
とことん。負けていたチームを救ったのは、選手の活躍ももちろんだが野村の人柄、リーダーシップ性が成しえた技なのではないでしょうか。