1998.12 KDDにTWJが合併
KDDを存続会社として日本高速通信(TWJ)と合併、ケイディディ株式会社(KDD Corporation)誕生。
この時点で郵政省共済組合 (9.26%) に次いでトヨタ自動車が第2位株主 (8.42%) となり、トヨタが役員を派遣し経営に参加。
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1984.6 第二電電(DDI)
創業は京セラ社長だった稲盛和夫
1985年4月、電電公社の民営化と通信自由化に伴いNCC(新電電)の一つとして発足。
1987年に「0077市外電話」を開始。日本テレコム・日本高速通信・電力系通信事業者など他の新電電は設立母体が敷設した光ファイバーケーブルを幹線として使用するも、インフラを持っていないDDIは専用線を有する3大都市間以外の通信は全国各地に「リレーステーション」名称のマイクロ波鉄塔を設置して無線通信で中継電話サービスを提供。
その後、関東・中部を除く全国にセルラー8社が誕生
1989年(平成元年)7月 - 関東・中部圏以外のエリアで移動体通信子会社のサービス開始(現在のau)
1989年(平成元年)7月 - 関西セルラー電話
1989年(平成元年)12月 - 中国・九州セルラー電話
1990年(平成2年)4月 - 東北セルラー電話
1990年(平成2年)8月 - 北海道セルラー電話
1990年(平成2年)9月 - 北陸セルラー電話
1990年(平成2年)12月 - 四国セルラー電話
1992年(平成4年)10月 - 沖縄セルラー電話
1994 DDIポケット
同年11月、株式会社ディーディーアイポケット企画がディーディーアイ東京ポケット電話株式会社に。
同時に北海道、東北、北陸、東海、関西、中国、四国、九州に地域会社が設立され、PHS事業が開始されました。
出力・感度の高さを武器にPHSでトップグループに成長
実情は、他事業者が株主(NTTグループ、電力会社)の所有する電柱等の設備を利用してアンテナを設置できたのに対しより少ない設置場所でエリアを確保する必要があったため。
結果的に500mW高出力という特徴を生かし、他の同業各社に比べて利用可能エリアの拡大が早かったためPHSではトップグループに。
若き日の華原朋美を起用したDDIポケットのCM、懐かしいですね
なつかCM DDIポケット 華原朋美 Just a real love night - YouTube
DDIポケットのその後
現在はソフトバンクへ
その後、2004年10月にカーライルグループや京セラによって買収。
この時点で資本構成はカーライルが60%で筆頭株主、従来のDDIポケット第2位株主で13.25%出資していた京セラ株式会社が30%、旧DDIポケットの筆頭株主で80.93%出資していたKDDI株式会社が10%となり、KDDIグループから離れることに。2005年2月にはウィルコムに社名変更。
その後、経営危機を経て「イー・アクセス」→「ワイモバイル」→「ソフトバンクモバイル」→「ソフトバンク」へ。
振り返れば懐かしい、90年代中盤のPHSを取り巻く環境
当時のPHS全体の問題として同時期に普及し始めた携帯電話との相互通話ができず、1996年10月の暫定接続以後も携帯電話・PHS間の通話料も高額だった。さらに携帯電話側が料金を値下げした結果、料金面の格差においてもPHSの優位性が縮小した。また携帯電話と比較した場合、郊外や山間部などで通話エリアの劣勢が指摘された。
今では信じられない話かもしれませんが。
設立目的は、高速道路敷設の既設通信回線の利活用と新たに光ファイバーを敷設して国内情報通信システム事業を行うこと。