日本高速通信(TWJ)が筆頭株主、トヨタが第二位株主となって設立
その後に展開されることとなる第三世代携帯電話については、早くから米国方式の採用を表明し、第三世代携帯電話の先行方式である「cdmaOne」を他社に先駆けてDDIと共同展開し、第三世代携帯電話の占有率の首位獲得の基盤を築いた。
このときの「cdmaOne」のCMには、当時直前までNTTドコモのCMに出演していた織田裕二を起用したことで、大きな話題となった。
【CM】IDO cdmaOne いま香港 織田裕二 - YouTube
2000.10 KDDとDDI、IDOが合併してKDDIが誕生
合併と前後してブランド名も統一の運びに
「DDI+KDD+IDO=KDDI」※存続会社は第二電電(DDI)
2001年4月、株式会社ディーディーアイからケイディーディーアイ株式会社に商号変更。
トヨエツの懐かしい「IDOはどこにあるの?」CM憶えていますか?
[CM] KDDI - 豊川悦司 「KDDIってIDOはどこに?」篇 30s - YouTube
一方、DDIセルラー8社の動き
2001年3月には株式会社ディーディーアイが株式会社エーユーを完全子会社に。順次全国のauショップのシステム統合を実施。
同年10月にはケイディーディーアイ株式会社が株式会社エーユーを合併。
こうしてセルラーグループもあらかたKDDIに合流しましたが、唯一沖縄セルラーのみは単独で残り、現在もKDDIに吸収されていません。
ツーカー3社(1991.7東京、1991.10関西、1992.2東海)
ツーカーの由来は「気心の知れた人間関係」から
DDIにはDDIセルラーグループがあったものの、関東・東海甲信越は当時別資本のIDOとのローミングによる協業体制でサービスが提供されており、同地域にDDI直轄の移動体通信事業者が存在しなかったこともあり経営参画。
東京・東海のシンボルマークはDDIセルラーと同じ六角形マークで「cellular」を「Tu-Ka」に差し替えたもの。
関西地区はDDIセルラーグループの中核会社となる関西セルラー電話が存在したことから、日産主体で「株式会社ツーカーホン関西」が設立。
後、2005年に完全統合されて「TU-KA」⇒「au」ブランドとなりました。