【高校野球の語り部】植草貞夫さん
植草貞夫さんは朝日放送に入社し、朝日放送を退社された後も44年間にわたって、全国高等学校野球選手権大会の実況中継を担当。高校野球史に残る名勝負を実況、名言を残しています。特に決勝戦では、ミュンヘンオリンピックのへ派遣された関係で開会式から3回戦までしか担当できなかった1972年を除いて、1960年(ラジオ)から1988年(テレビ)まで延べ28年にわたって実況を務めています。
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そんな植草貞夫さんが伝えた、名勝負、名実況を紹介していきたいと思います。
※誠に勝手ながら、今回筆者が生まれた1979年~の試合に限らせて頂きました。
※誠に勝手ながら、今回筆者が生まれた1979年~の試合に限らせて頂きました。
試合開始前の名文句
植草さんが中継を担当する際、天気が快晴であれば、「青い空、白い雲…」というフレーズから始まります。この「青い空、白い雲」という言葉は植草貞夫さんの著書のタイトル(「青い空白い雲―甲子園高校野球放送42年」(講談社、1999年3月刊)や、朝日放送を退社した後にパーソナリティを務めたラジオ番組の番組名(植草貞夫の青い空・白い雲」(ラジオ関西)、植草貞夫さんのオフィシャルブログのタイトル名になっており、植草さんの「名文句」となっています。
伝説の星稜・簑島戦
1979年春の第51回選抜高等学校野球大会で優勝。史上3校目、公立高校としては初の春夏連覇がかかっていた簑島高校と、石川代表・星稜高等学校の対戦となった、第61回全国高等学校野球選手権大会の3回戦は試合時間3時間50分。延長18回の死闘となりました。この試合のテレビ朝日での実況を担当していたのが植草貞夫さんでした。
1979 第61回 ハイライト 箕島vs星稜
「甲子園球場に奇跡は生きています!」:
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【ドカベン】香川選手の特大ホームラン
この1979年、第61回大会の大会前に注目を集めていたのは、簑島高校の春夏連覇が達成するのか?という事と、浪商高校の「ドカベン」香川選手でした。四番 香川選手・エースの牛島選手擁する浪商高校は勝ち進みます。準々決勝で滋賀の比叡山高校と対戦した香川選手は、その前に自打球を当てるも痛みを全く感じさせない特大ホームランを打った香川選手に対して、植草貞夫さんは「これで腕が痛いのか!?」と実況。香川選手の事を"怪物"と称しました。
1979年 準々決勝 浪商-比叡山
これで腕が痛いのか!?
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結局この年、浪商高校は準決勝で池田高校に0-2で敗戦。簑島高校は決勝でその池田高校を4-3で破って春夏連覇を達成します。
早実から、池田。そしてPLへ移った「主役の座」
1980年代前半、甲子園の注目を集めたのは荒木大輔選手擁する早稲田実業でした。高校1年生の夏jから甲子園に出場していた荒木大輔選手は、確かな実力に加えて甘いマスクで「大ちゃんフィーバー」と呼ばれるほどの人気を呼びます。ら五季連続で甲子園出場を果たした荒木選手でしたが、優勝は未だ果たせておらず(高1夏で準優勝)。最後の大会となった高校3の夏、準々決勝で畠山準選手や水野雄仁選手らを擁する徳島・池田高校と対戦します。
この試合で「やまびこ打線」と称された池田高校が荒木大輔選手をKO。代わった投手も打ち込み14-2で勝利します。荒木選手が呆然とマウンド上で鼻をつまむ仕草を捉えて「荒木大輔、鼻つまむ!」と実況。試合中のプレーだけではなく、植草さんはこういった選手の細かなしぐさや表情なども伝えていたのです。
※高校野球の「主役」が早稲田実業から池田高校に移ったこの試合は「高校野球の歴史を変えた」と称されています。この大会で池田高校は優勝(決勝も広島商業を12-2と圧倒)。
※高校野球の「主役」が早稲田実業から池田高校に移ったこの試合は「高校野球の歴史を変えた」と称されています。この大会で池田高校は優勝(決勝も広島商業を12-2と圧倒)。
甲子園は清原の為に…
春夏連覇を達成した池田高校が史上初の「夏春夏3連覇」を達成するかが注目されていた第65回大会。その池田高校に準決勝で立ちはだかったのが「KKコンビ」桑田真澄選手・清原和博選手擁するPL学園でした。と、言っても「KKコンビ」はこの時まだ1年生。下馬評では池田高校の圧倒的有利でした。ところが、試合が始まると、水野選手が1年生の桑田選手にレフトスタンド中段まで運ばれるホームランを打たれるなど序盤からPL学園ペースで進みます。
※桑田選手の本塁打時「背番号)背番号1の水野(雄仁)が、背番号11の桑田(真澄)に打たれました」と植草さんは絶叫。
その後も水野選手はPL学園打線に打ち込まれます。池田高校が「いつもやっている事」(猛打で相手チームを圧倒してきた事)を、「相手(PL学園)にやられた」という植草さんの実況は、池田高校からPL学園に高校野球の主役の座が移ったことを示しています。(この大会でPL学園は優勝)
※桑田選手の本塁打時「背番号)背番号1の水野(雄仁)が、背番号11の桑田(真澄)に打たれました」と植草さんは絶叫。
その後も水野選手はPL学園打線に打ち込まれます。池田高校が「いつもやっている事」(猛打で相手チームを圧倒してきた事)を、「相手(PL学園)にやられた」という植草さんの実況は、池田高校からPL学園に高校野球の主役の座が移ったことを示しています。(この大会でPL学園は優勝)