高校野球史に残る大逆転試合~昭和59年・夏~金足農業対PL学園
2016年11月25日 更新

高校野球史に残る大逆転試合~昭和59年・夏~金足農業対PL学園

高校野球史に残る大逆転試合をいくつか紹介しています。ここでは、昭和59年・夏の大会準決勝。金足農業対PL学園戦をとりあげます。桑田・清原(当時高校2年生)擁する優勝候補大本命のPL学園に挑んだ「雑草軍団」の戦いの結末は…。

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・「KKコンビ」2年生の夏

桑田真澄・清原和博が春夏連覇をかけて出場した第56回選抜高校野球大会(1984年)で準優勝(岩倉高校に0-1で敗戦)したPL学園は、同年夏の第66回全国高等学校野球選手権大会に出場します。優勝候補の最右翼のPL学園を一体どのチームが倒すのか?という事に注目が集まっていました。

1984年66回全国高校野球選手権開会式

PL学園の行進する場面は2分12秒辺りからです。

PL学園、清原和博・1試合3ホームラン

この大会、PL学園が初めて登場したのは、8月10日の第4試合。対戦相手は「野球ドコロ」として有名な愛知県代表の享栄高校でした。「一回戦屈指の好カード」と言われたこの試合、PL学園の清原選手が1試合に3本のホームランを放つなどPL学園打線が大爆発。14対1と圧勝します。

清原和博1試合3本塁打

優勝候補と言われる学校にとって鬼門とよく言われる初戦に圧勝し、PL学園はまさに前評判通りの力を見せつけたのです。

対決までの両校の歩み

清原選手の1試合3本塁打が生れた同じ8月10日の第一試合。広島県代表の名門・広島商業高校が、夏初出場の金足農業高校(秋田)に3-6で敗れるという「波乱」が起こりました。金足農業高校は同年の春の選抜大会にも出場していて、見事に初戦を突破。2回戦で敗れるものの、優勝した岩倉高校相手に健闘を見せていた(4-6で敗戦)…とはいえ、全国的にはまだまだ無名の金足農業高校が、その後、甲子園に旋風を巻き起こしていきます。
水沢博文投手

水沢博文投手

2回戦の対明石学園高校を9-1、都城高校を9-1と3戦続けて相手を圧倒して勝ち上がってきたPL学園ですが、準々決勝で名門・松山商業との対戦では初回に先制を許す苦しい展開。それでも7回に勝ち越すと、桑田投手がその後反撃を退けて2-1と辛勝。準決勝に駒を進めます。PL学園に対するは、2回戦で別府商(5-3)、3回戦で唐津商(6-4)、準々決勝で新潟南(6-0)と、戦うたびに自信を深めて強くなっていった感のある金足農業でした。この快進撃を支えたのはエースの水沢博文投手。最速141キロの速球に変化球を交え、準々決勝までの4試合で39個の三振を奪う好投を見せていました。

王者PL学園に挑んだ「雑草軍団」

試合は一回表から動きます。2アウト2塁の場面。打ち取られたかと思われた長谷川選手の打球がショートの前で大きく跳ねて、金足農業が先制。水沢投手相手に五回まで1安打と完璧に封じられていたPL学園は6回裏、エラーなど含めて1死1、2塁とチャンスを掴み、6番打者の北口選手が外角の球をうまくおっつけて、ライト線へタイムリーツーベースを放って同点に追いつきます。
この同点劇で金足農業もここまでか…と思われたのですが、直後の7回表、2死2塁から、7番打者の原田選手が放ったピッチャー返しの打球を、フィールディングに定評があった桑田選手が捕れず、無人の三遊間に転がる間に走者が生還し勝ち越しに成功。そして、次第に「PL学園が負けるのか…」というざわめきと、金足農業に対する声援が球場全体に広がっていきます。

金足農業を特集した番組です。
金足農業の監督をしていた嶋崎久美さん。
桑田真澄さんが試合について語っています。
金足農業が1つのアウトを取る度に大歓声が上がっていき、八回裏2アウト。あと4つのアウトで勝利が確定…と勝ちを意識したのか、それとも慎重になりすぎたのでしょうか、清原選手に四球を出し2アウト1塁。ここで迎えるのは、バッティングにも定評のあった桑田選手でした。
「ここはヒットを打ってもしょうがない。一振りにかけよう」と打席に入った桑田選手。
外角低めを狙った水沢投手のカーブが吸い寄せられるように、桑田選手の方に向かっていきました。
この失投を見逃さず、フルスイングした桑田の打球は左翼ポール際へ飛び込む逆転2ランとなり、結局そのまま3-2でPL学園は勝利します。

激闘を終えて

当時の記事

当時の記事

「大金星」まであと一歩のところまでPL学園を追いつめた金足農業のエース水沢投手に涙はなく、金足農業の選手たちに対する拍手は試合が終了しても暫く鳴り止みませんでした。
準優勝し、取手二高の選手と肩を組むKKコンビ

準優勝し、取手二高の選手と肩を組むKKコンビ

さて、決勝に進んだPL学園は、木内監督率いる取手二高と対戦。桑田選手は松山商業、金足農業との激闘の疲れが残っていたのか、序盤から取手二高打線につかまります。それでも、PL学園は八回・九回に3点差を追いつく粘りを見せ、準決勝に続いてまたも「逆転のPL」か?と思われたものの、延長十回に3ラン本塁打を打たれて万事休す。PL学園はこの年春の選抜に続いて準優勝に終わったのです。
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