伊藤みどりとは
伊藤みどり(いとうみどり)さんは、1969年8月13日生まれ愛知県出身の元フィギュアスケート選手(女子シングル)です。家族で近所のスケートリンク(名古屋スポーツセンター)へ遊びに行くようになったことがきっかけで3歳からスケートをはじめ、5歳の時に同じリンクでスケートを教えていた山田満知子さんによって見いだされました。
山田コーチによれば当時レッスンを受けていた自分の教え子たちよりも、近くで技を真似して遊んでいたみどりさんのほうが上手く、特にジャンプはずば抜けていたという。その後両親の離婚などで家庭環境に恵まれなかったみどりさんは、山田コーチの「スケートでご飯を食べていけるようにしてあげたい」との思いから、コーチ宅に引き取られ、母娘のように、そして選手とコーチとして二人三脚で選手時代を歩みました。(山田コーチには家族がおり、娘さんとみどりさんは同い年)。
小学生の頃から「天才少女スケーター」と呼ばれ、1985年から1992年まで「全日本選手権」8連覇を達成したほか、カルガリーオリンピック5位入賞、1989年の世界選手権では日本人初・アジア人初となる世界チャンピオンに輝くのです。1992年に開催された「アルベールビルオリンピック」では銀メダリストに!そして女子選手では世界初となるトリプルアクセルに成功した伝説のフィギュアスケーターとして今もなお多くの選手やフィギュアファンから尊敬されています。
身長145cmと小柄ながら、誰にも真似できないパワフルで高さのあるジャンプが特徴的!子供時代から「ジャンプの申し子」、また海外メディアからは「台風ガール」のニックネームを付けられるほど正確な技術力が彼女にはありました。「伊藤みどり」という選手をきっかけにフィギュアスケートを知り、好きになったという人も多いことでしょう。
山田コーチによれば当時レッスンを受けていた自分の教え子たちよりも、近くで技を真似して遊んでいたみどりさんのほうが上手く、特にジャンプはずば抜けていたという。その後両親の離婚などで家庭環境に恵まれなかったみどりさんは、山田コーチの「スケートでご飯を食べていけるようにしてあげたい」との思いから、コーチ宅に引き取られ、母娘のように、そして選手とコーチとして二人三脚で選手時代を歩みました。(山田コーチには家族がおり、娘さんとみどりさんは同い年)。
小学生の頃から「天才少女スケーター」と呼ばれ、1985年から1992年まで「全日本選手権」8連覇を達成したほか、カルガリーオリンピック5位入賞、1989年の世界選手権では日本人初・アジア人初となる世界チャンピオンに輝くのです。1992年に開催された「アルベールビルオリンピック」では銀メダリストに!そして女子選手では世界初となるトリプルアクセルに成功した伝説のフィギュアスケーターとして今もなお多くの選手やフィギュアファンから尊敬されています。
身長145cmと小柄ながら、誰にも真似できないパワフルで高さのあるジャンプが特徴的!子供時代から「ジャンプの申し子」、また海外メディアからは「台風ガール」のニックネームを付けられるほど正確な技術力が彼女にはありました。「伊藤みどり」という選手をきっかけにフィギュアスケートを知り、好きになったという人も多いことでしょう。
1989年に「最も高得点を取ったフィギュアスケーター」としてギネスブックに掲載[2]。
2007年、国際スケート連盟 (ISU) は「伊藤はたった一人の力で女子フィギュアスケートを21世紀へと導いた」[3]との声明を発表した。
【元銀盤の女王】伊藤みどり世界初の女子トリプルアクセルが凄かった! - Middle Edge(ミドルエッジ)
伊藤みどりさんのジャンプ!あれを見てしまったら他のジャンプがまったく違ったものに見えてしまうほど豪快で!パワフルだったように記憶します。超一流の選手が憧れるみどりさんの凄さを素人が振り返る。
プロ転向
1992年4月、伊藤みどり選手は新高輪プリンスホテルで引退会見を開き、惜しまれながら引退しました。引退理由には「三回転半をクリアしたという技術面での達成感」や「精神面でのプレッシャー」などが挙げられました。同年6月にはプロ転向を表明し、夢の1つだったアイスショーの道へ。「プリンスアイスワールド」のメンバーとして、1992年から2002年までの約10年間日本各地を飛び回る日々の一方で、「世界プロフィギュア選手権」や「インターナショナル・プロフィギュア選手権」を制するなどプロとしても常に第一線で活躍し続けたのです。また引退直後に行なわれた「バルセロナオリンピック」ではレポーターとして現地に赴きました。
長野五輪開会式「聖火の大役」
まだ現役だった1991年、長野オリンピック招致活動の際には小谷実可子さんとともに選手代表としてIOC総会に出向き、招致演説を行ないました。1995年には日本スケート連盟からの要請により長野オリンピック出場を目指し現役復帰。1996年1月の全日本選手権では9度目の優勝を果たしたものの、その後の調整が上手くいかず1996年11月に再び引退しました。
そして1998年2月に行われた長野オリンピック開会式にて、伊藤みどりさんは聖火台に聖火を点すという大役を務めあげたのです。まさに適任でしたね!
そして1998年2月に行われた長野オリンピック開会式にて、伊藤みどりさんは聖火台に聖火を点すという大役を務めあげたのです。まさに適任でしたね!
世界フィギュアスケート殿堂入り!
2004年、フィギュアスケートの発展に大きく貢献したとして日本人では初めて世界フィギュアスケート殿堂入りを果たしました。オリンピック銀メダル、世界選手権アジア人初の優勝、そして女子選手初のトリプルアクセル成功などの歴史的快挙が認められての受賞です。
「世界フィギュアスケート殿堂」とは、フィギュアスケートの発展に大きく貢献した選手(アマチュア引退から5年経過した者)やコーチなどに与えられる賞で、2010年には浅田真央さんらのコーチとして知られる佐藤信夫さん、2018年にはトリノオリンピック金メダリストの荒川静香さんも同じく殿堂入りを果たしています。
「世界フィギュアスケート殿堂」とは、フィギュアスケートの発展に大きく貢献した選手(アマチュア引退から5年経過した者)やコーチなどに与えられる賞で、2010年には浅田真央さんらのコーチとして知られる佐藤信夫さん、2018年にはトリノオリンピック金メダリストの荒川静香さんも同じく殿堂入りを果たしています。
解説者として
2005年からはこれまでの経験を活かし、解説者としても人気を博していましたよね。現役時代から、その愛嬌あるキャラクターで親しまれてきたみどりさんらしい解説はパワフルで、人間味に溢れ、よりフィギュアスケートの面白さを教えてくれました。伊藤みどりさんの解説のファンであるという方も多いのではないでしょうか。近年はみどりさんの解説を聞く機会が無い印象なので、ぜひとも復活を願いたいところです。
伊藤みどりは今何してる?
via www.amazon.co.jp
そんな伊藤みどりさんは現在、福岡県北九州市にて子供向けにスケートの教育指導を行なっている模様です。私生活では2004年に元劇団四季所属の俳優・八巻大さんと結婚しましたが、2006年に離婚。その後、2009年に一般男性と再婚しています。旦那様の仕事の関係で福岡で暮らし、主婦として家庭を優先しているとの噂も。確かに全国ネットのテレビ番組で見かけることは減ってしまいましたが、こうしてスケート教室からフィギュアスケート底上げのために頑張っておられるとは流石ですね。
また2011年からは元選手や愛好家たちが集う「国際アダルト選手権」に出場するなど、今でもフィギュアスケートを愛し、楽しんでおり、初出場でマスターズエリートIIクラス(フリースケーティング)2位、2013年には同大会で堂々たる1位を記録しました。2018年にも同クラスで1位を獲得し、2019年に出場した際にはマスターズエリートⅢクラス(フリースケーティング)でも1位となっています。ちなみに「国際アダルト選手権」とは、国際スケート連盟公認の国際大会です!
また2011年からは元選手や愛好家たちが集う「国際アダルト選手権」に出場するなど、今でもフィギュアスケートを愛し、楽しんでおり、初出場でマスターズエリートIIクラス(フリースケーティング)2位、2013年には同大会で堂々たる1位を記録しました。2018年にも同クラスで1位を獲得し、2019年に出場した際にはマスターズエリートⅢクラス(フリースケーティング)でも1位となっています。ちなみに「国際アダルト選手権」とは、国際スケート連盟公認の国際大会です!