澤穂希の少女時代  受け入れた運命、切り開いた人生、抗った試練 、夢を持つことが生み出す力、その威力。
2023年7月30日 更新

澤穂希の少女時代 受け入れた運命、切り開いた人生、抗った試練 、夢を持つことが生み出す力、その威力。

男子より粘り強く、ひたむきで謙虚で前向きでポジティブでパワーのある日本女子サッカーの激動の歴史。座右の銘は「夢はみるものではなく叶えるもの」 夢を持つことが生み出す力、その威力を知る澤穂希の魂あふれる戦い。

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基本練習の1つである「リフティング」も
「世界一周ゲーム」
という面白く競争できるゲームを考案。
それはボールを地面に落とさずに蹴り続けるリフティングを、

利き足で5回
利き足で10回
利き足で20回
利き足で30回
利き足の内側だけで
利き足の外側だけで
左右、両足を使って
大腿、肩、頭を使って

と段階的に難易度が上げていく。
子供は、技を1つ習得する度に手持ちのカードに描かれたスゴロクのようなマスを1つ塗りつぶしてもらえ、その上、チョコレートや肉まんをもらった。
「サッカーでホメられて、お菓子までもらえて、2倍うれしい」
スイミングスクール同様、澤は、このシステムにどっぷりとハマり、
「目指すはゴールの世界一周」
とチームメイトと競争しながら、ドンドン技を覚えていった。
「基礎を習得する練習自体をゲーム感覚でやらせてくれたことがポイント。
やらされていると感じると何をやってもうまくいかない。
課題をクリアする達成感。
ホメてもらえる喜び。
周りに負けたくないという気持ち。
チョコや肉まんにはメンタル面強化の効果があった」

20110718 女子ワールドカップ2011 決勝戦 日本×アメリカ

ご褒美という誘惑につられて頑張る日々は、目標に向けて努力する過程でもあった。
最初はうまくいかなくても
「続けていれば絶対にできるようになる」
ということも体で覚えていった。
基本練習同様、苦手なことをやるときは、どうしてもネガティブな気持ちになって消極的な取り組みになりやすい。
しかし澤は、苦手なことにもゲーム感覚で明るく楽しくチャレンジできた。
利き足は左足だったが、右足のキックにも取り組んだ結果、地面のボールを引っかけて浮かせるボールリフトは右足の方が得意になった。
現役を通じて強いシュートを打つときは左だが、右で蹴れることは大きな武器となり、ワールドカップの決勝戦で決めた同点ゴールも、そのおかげだという。
2011年7月17日(日本時間18日)、ドイツで開催されたFIFA女子ワールドカップで初の決勝進出を果たした日本女子サッカー代表「なでしこジャパン」は、世界最強のアメリカ代表と激突。
先制点を許しながらも追いつき、延長に持ち込んだものの、延長前半に再び失点し、1対2。
延長後半も残りわずかとなり、誰もが
「ダメか」
と思う中、宮間あやの上げたコーナーキックに澤が飛び込み、右足アウトサイドで蹴って後方に流したシュートは奇跡的な同点ゴールとなった。
2対2でもつれ込み、PK戦を制したなでしこジャパンは、男女通して日本サッカー史上初めて世界の頂点に立った。
「右足小指の外側にボールをひっかけて、足首をタイミングよくひねって、ボールを自分の体の右後ろに蹴ったんです。
でも私はあのシュートを特別、必殺技のように練習したわけではないんです。
積み重ねてきたことといえば、空中にあるボールを右足のアウトサイドにヒットさせること。
それが私の土台なんです」
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サッカーに熱中するあまり、小学校では宿題をやらずに休み時間に友達のものを写し、人見知りで口数は少ないが、みんなと一緒にいるときはいつもニコニコと笑い、母親に
「100万ドルのスマイル」
といわれた澤穂希だったが、東京に転校してから、イジメにあった。
上履きがなくなったり、教科書がなくなって学級文庫の棚に並べてあったり、ランドセルがカッターで傷つけられたり、バレーボール部の女子が帰るときにサッカーグラウンドの脇を通りながら
「男の子の中で1人サッカーしてる」
とからかわれたりして
「さすがにショックだった」
イジメられる理由も嫌われるような行動をとった記憶もなく、仲良くやっているつもりだったので
「どうしてこんな目に遭うんだろう」
と悩んだ。
しかし
「負けることになる」
とイジめられていることを親にも先生にも話さず、誰にもそんな素振りもみせず、学校に行くのは嫌だったけど休まず、嫌がらせをされてもグッと我慢。
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3年生になり、クラスが替わるとイジメを受けることはなくなったが、それまで悲しくツラい毎日を救ってくれたのはサッカーだった。
サッカーをやっている間は、イヤなことを忘れることができた。
「本気で好きなことがあれば、心が励まされるんです。
これは本当です」
毎日が、サッカー、サッカーだった。
周りは男の子ばかりだったが、歯を食いしばって相手とボールに向かっていき、誰よりも熱心に練習し、家に帰ってもボールを蹴った。
ある日、コーチは、雨が降りそうなので練習中止を決めて連絡を回したが、
「もしかしたら来ているかもしれない」
と練習グラウンドを確認。
すると案の定、澤穂希が1人でいたので
「今日は中止」
と伝えた。
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府ロクに入って1年、小学3年生になると澤穂希はレギュラーとして左ハーフや左ウイングのポジションに入った。
チームメイトは練習熱心で負けず嫌いな澤を認め、大事な存在と認識していた。
しかしある日の試合中、相手チームの選手が少しバカにした口調で
「女のくせにサッカーするなんて」
澤は、試合中だったので無視。
すると相手はスパイクを蹴ってきた。
「やられたらやり返す」
主義の澤穂希は、さすがに頭にきて蹴り返したが、よけられてしまった。
ムキになって蹴ろうとすると相手が逃走。
澤穂希は追いかけた。
2人だけ試合の流れと逆方向に走り出し、ボールがないところで追いかけっこ。
レフリーは笛を吹いて試合を止めた。
2人は呼ばれて
「どうしてこんなことになったの?」
と聞かれた。
澤穂希は、
『女子がサッカーをやっていることをバカにされた』
と説明すること自体、悔しかったのでしなかった。
「どういう話し合いになったか記憶にないが、ただ悔しさだけは残っている」
澤穂希は、チームメイトが何かされてもエキサイトし、一目散に走っていった。
それは
「誰よりも速く、誰よりも多かった」
という。
「やられっぱなしはイヤだから、チームメイトがラフプレーをされたり、レフリーがみていないところで何かいわれたりしたときは、『あの選手、何番だった?』って聞いて、イエローカードをもらっても気にしないくらい、その試合中に絶対にやり返してました」
それは大人になっても変わらず、日本代表として国際大会の前に男子高校チームと練習試合をしていたとき、ガムをかみながら完全にナメた態度でプレーする高校生にチームメイトが悪質なファウルで押し倒されると、詰め寄って押し返し、
「ふざけないで。
謝ってよ」
と激しく抗議した。
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同じく小学校3年生のとき、澤穂希は、母親に歯向い、ひどい言葉を浴びせた後、ブタれ、
「ピシッ」
と鼻血が台所の食器棚についた。
澤穂希は、悔しくて泣きながら
「出てってやる」
と叫んだ。
しかし
「出ていきます。
探さないでください」
と置手紙を書いている内に落ち着いてしまい、家出は中止し、ケロッと過ごした。
「この頃から切り替えは早い方だった」
澤穂希は、母親にブタれたのは
「人生で1度だけ」
というが、兄は、その1回のトバッチリを受けて頭にタンコブができた。
ちなみに澤穂希が初恋したのも、この頃。
相手は同級生。
「サッカーはしていなかったけど運動神経が良くて走るのが速い男の子だった。
スポーツ万能で勉強もできる、女の子なら誰もが気になるタイプの男の子。
私もなんとなくその子のことが気になっていた。
でも告白するなんて発想もなかったし、彼も私の気持ちにまったく気がついていないようだった。
まあ私の気持ちといっても恋心というほどのものでもなかったし、ただちょっと気になる、お気に入りの男子という程度だったけど」
そんな乙女心を育みながらも、体育の授業で俊足で男子をうならせ、ダンス発表会をサボって校長室に呼び出された。
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1989年、女子チームの登録を開始して10年、日本サッカー協会は、女子サッカーの活動も責任を持って行うこと。
その背景には、

・1年後(1990年)、アジア大会で女子サッカーが正式種目として採用されたこと
・2年後(1991年)、第1回の女子ワールドカップも開催されること

があり、女子サッカーの強化が急務だった。
これによって「日本女子サッカー連盟」は発展的に解消され、女子サッカーはようやく日本サッカーの一員になれた。
それまで真剣勝負の場は、年1度の全日本女子選手権(現:皇后杯)だけだったが、同年9月、

読売サッカークラブ・ベレーザ(東京)、
清水フットボールクラブ(静岡)
田崎真珠神戸フットボールクラブ・レディース(兵庫)
日産FCレディース(東京)
新光精工FCクレール(東京)、
プリマハム・FC・くノ一(三重)

という1都3県6チームが参加する「日本女子サッカーリーグ」が誕生。
すべての選手がプロではなくアマチュアだったが、トップリーグの誕生は選手にとって大きなモチベーションとなった。
開幕戦は、ベレーザ vs 清水。
全日本選手権2連覇中のベレーザは、日本代表選手に加え、チャイニーズタイペイ(台湾)代表の周台英を擁する清水に2対0で勝利。
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このとき澤穂希は小学校5年生。
女子のほうが身体の成長が早いため、府ロクではGKに続いて2番目の高身長となった。
高学年になって何かを意識し始めたのか、一部のチームメイトは2人1組で行うストレッチやトレーニングをするとき、
「お前やれよ」
「お前がやれよ」
と男同士で譲り合い、避けられた澤は
「これまでそんなことなかったのに」
と不思議に思った。
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澤穂希は、人見知りで口数は少なかったが、優しく思いやりがあり、遠征などで誰かが大きなバッグを持っているとスッと近づいて一緒に持った。
そしてマイペース、かつ自分の考えをしっかり持っていた。
例えば監督やコーチに
「澤は・・・・が足りない」
といわれても悩むことはなかった。
「私がこの性格でよかったなと思うのは、いい意味で「聞き流せる」ことです。
例えば監督に怒られている選手をみると、いわれたことを全部聞きすぎてしまっているなあと。
そうするとあれもこれもやろうと頑張って空回りしてしまうことがあるんです。
それをみてマジメだなぁって思うんです。
サッカーはチームスポーツだから足りないところは補い合えばいいんです。
聞き流せる力があったことはよかったと思います。
たまに大事なことも聞き逃しちゃうけど」
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非情に負けず嫌いで、
「どんな勝負でも勝ちたい」
という澤穂希だが、例えば自分より走るのが速い選手に、そのスピードをみせつけられても
「すごいな」
とは思っても、
『なんで自分は速く走れないんだろう』
とは思わない。
「相手の強さを認めることは降参ではない」
「素直に認めれば自分のコンプレックスにならない」
という感覚と
「他人を比べて縮こまるより、自分らしさや自分の強みを発揮しよう」
という思いがあった。
実際、大人になって日本代表となり、その背番号10をつけ、キャプテンにもなったが、体力測定では、ほぼすべての項目が平均値。
なのに日本代表出場試合数試合205と83得点は、史上1位である。
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