澤穂希の少女時代  受け入れた運命、切り開いた人生、抗った試練 、夢を持つことが生み出す力、その威力。
2023年7月30日 更新

澤穂希の少女時代 受け入れた運命、切り開いた人生、抗った試練 、夢を持つことが生み出す力、その威力。

男子より粘り強く、ひたむきで謙虚で前向きでポジティブでパワーのある日本女子サッカーの激動の歴史。座右の銘は「夢はみるものではなく叶えるもの」 夢を持つことが生み出す力、その威力を知る澤穂希の魂あふれる戦い。

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サッカーを始めた後も週2回、イトマンスイミングスクールに通っていたが、水泳に打ち込む気持ちは薄れ、やがて通うことが苦痛に。
「水泳が嫌いだったわけじゃない。
サッカーの方が楽しいくなったから」
3歳から続けてきたことだったために勇気が必要だったが、思い切って母親に
「サッカー1本に絞りたいからスイミングやめていい?」
と打ち明けた。
『これまで続けてさせてあげたのに・・・』
『自分でやりたいといったくせに・・・』
などといわれるのを恐れていたが、
「もちろんいいよ」
と許してくれた。
澤穂希は、この

・好きなものを「好き」といった自分
・娘が「好き」なものを受け入れた母親

が大切なポイントだという。
「子供は移り気ですから、どうなるかはもちろん誰にもわかりませんけど、やっぱり「好き」って夢の扉を開くカギになるんですよ!
重要なのは好きなことに対して夢中になれること。
好きなものをもっと好きになりたいと思う気持ちを持ち続けること。
つい忘れがちですが、夢は「近づきたい」と思う限り、ずっとそこにいてくれます。
夢は絶対に逃げないんです」
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そして運動会で騎馬戦の騎手となった澤穂希は、母親いわく
「まるで木登りするサルみたいに身軽ですばしっこくて、スキあらばという感じで」
相手チームの帽子をほとんど奪い取った。
マラソン大会では、兄とそろって1位。
食べるのも早く、
「兄はマイぺースで、兄がみかんを1個食べている間に穂希は2個食べていましたね。
白い線維のところもとらないで、アッという間に食べちゃって。
野生的でしたよ」
(母親)
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1990年1月、第1回日本女子サッカーリーグが終了。
初代女王に輝いたのは、開幕戦でベレーザに敗れた清水フットボールクラブだった。
3ヵ月後の4月、第2回日本女子サッカーリーグが開幕。
澤は6年生になったが、この年、人生でただ1度だけ、
「男の子に生まれたらよかったのに」
と思った出来事があった。
高校球児に甲子園があるようにジュニアサッカー選手にとって最高の目標は、毎年、夏休みによみうりランドで行われる「全日本少年サッカー大会」だった。
全国のサッカー少年(少女)が、
「全少」
と呼び、読売ランドを崇め、情熱を燃やす、この大会は1967年に始まり、現在は「全日本U-12サッカー選手権大会」と呼ばれている。
過去に予選に当たる都大会で優勝し、よみうりランドで戦ったことがある府ロクは、当然、出場&優勝を目指していた。
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6年生チームのレギュラーであり中心選手だった澤穂希にとっても、よみうりランドは目標であり夢だった。
しかし都大会直前、衝撃の事実をコーチに告げられてしまう。
「お前は都大会に出場できない。
女子は出場資格がない」
澤は、その言葉を理解するのに時間がかかった。
これまで数年間、男女差など意識せずに共にボールを追い汗をかいてきたチームの中に初めて性別の壁が現れたのである。
「黙って出ればバレないんじゃ・・・」
「名前を変えてもいい」
そんなことを真剣に考えた。
府ロクも、なんとか澤が出場できるように大会運営と交渉したが
「少年サッカー大会だから」
と認められなかった。
納得できない澤は、悔しくて仕方なく、心底悩み、傷ついた。
「どうして女の子に生まれたんだろう」
男子だけで出場した府ロクは、都大会でベスト8に入ったものの、よみうりランド出場はならず、澤穂希は、さらに怒りに似た悔しさを味わった。
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深く傷ついた澤を救ったのは、サッカー仲間だった。
小金井市にあった女子だけのサッカークラブ「小金井小スポーツクラブ」から助っ人として出場依頼が来て、初めて女子の大会に出場。
知らないチームと知らないチームメイトにとまどいながらも、相手をスルスルと抜いていき、小金井小スポーツクラブは優勝。
「男の子に生まれたかった」
という気持ちは消え
「これからもサッカーをやっていこう」
と前向きで明るい澤穂希に戻れた。
その後、富山で行われた全国大会の常連チームが集まった大会でも、澤は決勝戦の先取点をとり、府ロクは優勝。
全少の雪辱を晴らした。
「いま日本で女の子がサッカーをやろうと思ったら小学生のうちは男の子と一緒にできます。
近年は高校の女子サッカー部も増えてきて、2012年からはインターハイの正式種目になりました。
でもその間の中学は、学校の女子サッカー部も地域もクラブチームも、まだまだ少ない。
小学生のときにサッカーに夢中になった子が中学で他競技に転向してしまう例が後を絶ちません。
それは日本の女子サッカーにとって、未来のなでしこジャパンにとって残念なことなんです」
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「これからどうするの?」
最後の試合が終わった後、府ロクのチームメイトは進路について話し始めた。
男子たちは、中学校のサッカー部、社会人チームである読売サッカークラブや日産FCのジュニアチーム、三菱養和スポーツクラブなどのサッカークラブについて語り合った。
しかしサッカー少女にとって女子サッカー部がある中学校は少なく選択肢はあまりなかった。
ただ澤穂希は、自宅から比較的近い場所にベレーザがあり、実際に電車に乗って練習に参加したことがあった。
そのときはずっと男子と一緒にやってきたので女子だけの練習は居心地が悪く、ベレーザの選手に話しかけられてもテレくさくて、どうしていいかわからなかった。
その後、国立競技場で府ロクのメンバーと試合を観戦していたとき、こちらに向かって手を振る女性がいた。
しかも声をかけようと笑顔で近寄ってくる。
「誰?」
というチームメイトに
『ベレーザの大竹奈美さん』
といえばいいのに、
(来ないで)
という気持ちを込めて大竹奈美にらんだ。
そして帰っていく大竹をみて、
(わざわざ挨拶してくれたのに・・・)
(ひどいことをしてしまった)
と後悔し、自己嫌悪に陥った。
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1991年1月、第2回日本女子サッカーリーグが終わり、ベレーザが初優勝。
16ゴールを挙げて得点女王&MNPを獲得したキャプテンの野田朱美、高倉麻子、手塚貴子、本田美登里、松永知子という日本代表選手を並べる布陣で、14勝1分け無敗という圧倒的な強さだった。
4月、女子サッカー部がない府中市立第5中学校に進んだ澤穂希は、小学校ではなかった制服を着なくてはならず、再びスカート問題に直面。
「お母さん、私だけキュロットにすることはできないの?」
といわれ、母親は、
「我慢しなさい」
と答えた。
その後、ウンともスンともいわなくなった娘が登校するとき、スカートが異様に膨らんでいるのでみてみると下着の上にブルマ、さらにサッカーの短パンを履いていた。
「最初は毎日そんな感じで出かけていたけど、すぐにスカートにも慣れました」
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そして中学校入学と同時に「ベレーザ」の下部組織である「メニーナ」の入団テストを受けた。
メニーナは、2年前に始まったばかりのチームで、出来上がった選手を集めるのではなく、才気ある中学生、高校生を鍛えようというベレーザの育成システムでもあった。
テスト内容は

50m走
リフティング200回
ゲーム

だったが、合格。
1ヵ月後には、竹本一彦監督の判断でベレーザに昇格。
ポルトガル語で「美人」という意味するベレーザの練習場所は、聖地、よみうりランドの中にある専用グラウンド。
芝ではなく土のグラウンドで、スライディングをすると擦り傷ができた。
2階建ての古い建物の中にベレーザとメニーナ共用のロッカールームとトレーニングルームがあったが、シャワーはなく、練習後は外の水道で洗った。
母親は泥だらけになった靴下を、いきなり洗濯機に入れても落ちないので、まず手洗いしてから洗濯機で洗った。
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ベレーザの練習は、週6回。
選手は基本的に社会人なので、学校の部活動より遅めの18時30分に練習が始まり、21時30分に終了。
澤は、朝起きて登校すると、まず学校のそばにある府ロクのコーチの家に練習用のカバンと服を置く。
15時くらいに学校が終わるとコーチの家にいって制服からジャージに着替え、バスに揺られて練習場へ。
うまくいくと練習開始1時間前に到着し、コンビニで買ったおにぎりを食べて、誰もいないグラウンドで練習。
帰り道、コンビニで食べ物を買って、バスに乗って家に着くのは22時~22時半。
そこから夕食を食べた。
「練習をしていなかったら肥満児になっていたんじゃないかというくらい食べてた」
風呂に入って、宿題をして、日記とサッカーノートをつけて、寝るのは24時~深夜。
そして7時に起床し、登校するという生活を繰り返した。
サッカーノートには、その日の練習内容や目標、課題などを絵入りで書いた。
「サッカーノートはずっとつけてました。
ミーティングの内容とか、練習の中で気づいたこと、メンタル面のことなども書いてましたね」
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通常、人は達成確率の低いことに挑戦することを嫌い、トップ選手は燃えるというが、澤穂希は、
「夢」
の大切さ、夢を持つことが生み出す力、その威力を強調する。
「まず夢を恥ずかしがらないこと。
そして夢に掲げることが大事。
夢は会社のノルマや選挙公約じゃないんだから、どれだけ大きくてもかまわない。
むしろ夢をわざわざ小さくするのはもったいない。
達成できるかどうか、結果で自分を責める必要なんて絶対にない。
夢に向かっていく過程が人生を肉づけしていくんだなって実感してきましたから、とにかく夢を追いかけるのに遠慮だけはしないでください。
繰り返しますが「なれるかどうか」という根拠を探す必要はありません。
なれたらどれほどうれしいかをイメージすることが夢を叶えるスタートなんです」
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