結成当初は4人だった!黒夢のメンバー遍歴とヒット曲まとめ
2023年2月5日 更新

結成当初は4人だった!黒夢のメンバー遍歴とヒット曲まとめ

黒夢といえば清春と人時というイメージが強いと思いますが、実は結成当初は4人。デビュー当時は3人でした。メンバー遍歴とヒット曲をまとめてみました。

712 view

結成からインディーズデビュー

 (2503451)

ボーカルの清春さんとベースの人時さんは元々、GARNETというバンドを組んでいました。GARNETは無機質をテーマにしたバンドで激しさはあるものの、清春さんと人時さんは物足りなさを感じていました。そんな時、対バンでGERACEEというバンドに出会います。

GERACEEのギターの臣さんは、清春さんの魅力に惹かれ一緒にバンドをやろうと誘います。早く解散しろ!とアプローチをかけていたそうです。清春さんが臣さんの誘いに乗り、GARNETのた清春さん、人時さん、鋭葵さんと臣さんの4人で1991年に「黒夢」を結成します。

バンドの由来は当時アルファベットのバンド名が主流だったので逆行したことと、「黒夢」という楽曲があったことからきています。「夢や神などはないが、現実の世界で頑張っていく」という意外と?前向きな意味が込められています。

インディーズ時代は名古屋近辺を中心に活動していましたが、渋谷公会堂でワンマンライブを成功させるなどすごい人気がありました。ライブの過激なパフォーマンスも有名でした。

「for dear」で3人体制でメジャーデビュー

 (2503456)

1992年にドラムの鋭葵さんが脱退。1993年7月にTHE STAR CLUBのHIROさんが加入しますが10月に脱退。その後は3人体制で活動し、サポートメンバーとして松山一志さんが加わっていました。

その頃、YOSHIKIさんのインディーズレーベル「EXTASY RECORDS」から誘いが来たのですが断っています。(ちなみにGLAYはここからデビューしています)
その後、東芝EMIから、メジャーデビューの話が来て1994年2月に「for dear」でメジャーデビューします。作詞は清春さん。作曲は臣さんでした。

そして翌月に1stアルバム「迷える百合達〜Romance of Scarlet〜」をリリース。ちょっと意外なのですがプロデューサーは佐久間正英さんでした。

アルバムは全作詞清春さん、作曲は臣さん、人時さん、そして佐久間さんも担当されていますが、臣さんの楽曲が一番多かったです。


「優しい悲劇」から2人体制に

 (2503459)

1994年に2ndシングル「 ICE MY LIFE」とミニアルバム「Cruel」をリリースし、その後2ndアルバムの制作期間に入ります。

そんな中、1995年2月に臣さが突然失踪します。そのまま脱退となったため、以下の活動は2人で行うようになります。2人になると「ユニット」と紹介されがちですが本人たちは「メンバーが何人でもバンド」と主張されています。

突然の失踪ということで、仲たがいしたのではないかと考えてしまいますが2003年には人時さんとSUPER DROP BABIESというバンドを結成しているので仲が悪かったわけではないようです。昔はメンバーの失踪というのも珍しくなかったですよね。SNSのある世の中ではなかなか疾走するのも難しいと思うので時代を感じます。

2人体制で初めてリリースしたシングルは「優しい悲劇」。作詞作曲清春さんです。この曲で知名度が上がったので黒夢は2人というイメージの人が多いのでしょう。曲や服装もザ・ヴィジュアル系!という時代から変わっていますよね。

「BEAMS」が大ヒット!

 (2503462)

1995年10月には5枚目のシングル「BEAMS」をリリース。またまたビジュアル、曲調も変わっていますね。

作詞作曲は清春さん。本人出演のmaxell「PO'z」カセットテープ CMソングにも起用され、ブレイクのきっかけになった一曲です。オリコンヒットチャートは6位と初めて一桁台に入りました。

一番売れたシングルは「少年」

 (2503474)

「BEAMS」以降のシングルは「SEE YOU」、「ピストル」、「Like @ Angel」、「NITE & DAY」、「Spray」と続きます。どれもオリコン5位以内でした。

そして1997年11月に「少年」をリリース。黒夢で一番売れたシングルとなりました。清春さんもお気に入りの一曲のようで今でもソロ名義のライブで披露されています。ダイハツ「MOVE aerodown CUSTOM」CMソングにも起用され、オリコンチャートは3位でした。

「MARIA」を最後に無期限活動休止

 (2503470)

1998年には「MARIA」をリリース。ダイハツ「MOVE aerodown CUSTOM」のCMソングでオリコンチャートは2位でした。

シングルには「カラオケで歌ってほしくない」「どうせアルバムに載るから」という理由で歌詞が掲載されていなかったのも特徴的でした。

MARIAもヒットするのですが、この年に人時さんが「黒夢を脱退したい」という申し出があったそうです。そこで話し合いをし、ツアー終了後に無期限活動休止に入ることが決定。1999年1月から無期限活動休止をします。

再結成、そして解散

活動休止後は清春さんはSADSを組んだり、ソロで活動。人時さんも様々なバンドに参加されていました。

そして2009年になんと人時さんの方から活動再開の打診があったそうです。清春さんは乗り気ではなかったのですが、ならばきちんと終わらせようということで「清春 15th Anniversary Presents kuroyume "the end" 〜CORKSCREW A GO GO! FINAL〜」で一夜限りの復活、そして解散をしました。

ですが、2010年に再び黒夢(そしてSADSも)の再開を清春さんがブログで予告。2011年に再始動し、CDリリースやライブも行いましたが2014年にロングツアーを行い、その後解散しました。

またいつか再開する日もあるのではないかとちょっと期待してしまいますね。
20 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

90年代にブレイクしたバンドT-BOLANのヒット曲を振り返る!

90年代にブレイクしたバンドT-BOLANのヒット曲を振り返る!

ビーイングからデビューしたバンドT-BOLAN。活動期間は短いながらもヒット曲をたくさんリリースしました。名曲を振り返ってみましょう。
saiko | 556 view
今だからこそ聞きたいクラシックなヴィジュアル系の名盤!黒夢が1993年にリリースしたアルバム「亡骸を…」!!

今だからこそ聞きたいクラシックなヴィジュアル系の名盤!黒夢が1993年にリリースしたアルバム「亡骸を…」!!

クラシックな名盤、今回ご紹介するのは黒夢が1993年にリリースしたアルバム「亡骸を…」です。 ヴィジュアル系シーンに絶大なインパクトを与え、"名古屋系"と"コテ系"という2大派生ジャンルへと 発展していきました。 王道を塗り替え、瞬く間にスターダムへとぼりつめた黒夢。 伝説の首吊りパフォーマンスや、過激な作品タイトル。 80年代インディーズシーンの系譜を受け継ぐ危うい雰囲気を纏っていた黒夢でしたが、本作 「亡骸を...」ではそういった当時のパブリックイメージから一歩踏み出し、新たな境地を見せ始めました。 そんな黒夢の名盤である「亡骸を…」の魅力を存分にお伝えしていきます!
蛍火 | 1,126 view
「TOKYO 狂った街~♪」で有名な、黒夢の清春率いるバンド・sadsが活動休止を発表。

「TOKYO 狂った街~♪」で有名な、黒夢の清春率いるバンド・sadsが活動休止を発表。

黒夢の清春が率いるロックバンド「sads」が年内をもって活動休止することが、sadsの公式ツイッターで明らかとなりました。
隣人速報 | 2,430 view
官公庁オークションに商標権「黒夢」「KUROYUME」が出品中!バンド活動に影響も!?

官公庁オークションに商標権「黒夢」「KUROYUME」が出品中!バンド活動に影響も!?

ロックバンド・黒夢のものと見られる「黒夢」「KUROYUME」などの商標権が、東京国税局公売オークション「Yahoo!官公庁オークション」に出品されている。清春本人はTwitterなどでこのことに言及していない(9月14日18時30分現在)。
ザ・ルースターズ、昨年のアルバム一斉配信に続きシングル作品のサブスク解禁が決定!!

ザ・ルースターズ、昨年のアルバム一斉配信に続きシングル作品のサブスク解禁が決定!!

ロックバンド「ザ・ルースターズ」がこのたび、2023年のアルバム一斉配信に続いてシングル作品のサブスクを解禁することが明らかとなりました。配信開始予定日は5月15日。
隣人速報 | 173 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト