中井祐樹 片目を失いながらも相手を叩きのめすなんて信じられない 
2016年11月25日 更新

中井祐樹 片目を失いながらも相手を叩きのめすなんて信じられない 

小さな巨人、柔術ヒーロー、ラストサムライファイター、中井祐樹は体格は小さいのに本当に勇敢すぎる。片目を失いながらも相手を叩きのめすなんて信じられない。大きな代償を支払うことになったけれど、どの格闘家よりも多くを成し遂げたことは誰にも否定できない。

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失明 - 24歳の男はたった1日、総合格闘家として強烈な光を放ち、消えた

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試合翌日、中井祐樹は右目がみえないことに気づいた。
鏡の中で右目も開いているのにみえなかった。
病院に行くと診断は「動脈閉塞」だった。
眼球の奥にある動脈が潰れて閉じた状態で、眼球の奥にある動脈を外科手術で治療することは不可能だが、血が凝固して動脈を塞いでいる可能性もあるということで、点滴で目に薬を流し続ける治療が施され、2週間入院した。
退院後、名医がいるといわれる病院を何軒も行ったがいい結果は得られなかった。
西洋がダメなら東洋医学をと、鍼や気功の治療も受けた。
右目の失明は遠近感を狂わせる。
ペンをキャップに刺すことができなかったり、お碗に味噌汁をよそおうとして手にかけてしまったり、テレビも頭痛が起きてしまうため短時間しか楽しむことができなかった。
もちろん車の運転もできない。
普通、視力を完全に失った眼球は、萎縮してとれてしまうため、医者から義眼を勧められた。
しかし奇跡的なことに中井祐樹の右目は今も弾力とみずみずしさを保っている。
義眼にする必要がなかった。
「これって考えられないことらしいんですよ。
以前、ハワイの病院で診てもらったとき、そこの医者は『今は治す手立てがない』って言い方をするんです。
だからいつか治るんじゃないかって思ってます(笑)」

乗り気ではなかった柔術マッチ

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中井祐樹の失明は秘匿された。
総合格闘技のイメージダウンを恐れたためである。
そしてその事実を隠したまま中井は復帰した。
ただしパンチや蹴りの距離感がつかめないため、シューティングルールではなく柔術ジャケットマッチだった。
対戦相手はブラジルの強豪ジアン・マチャド。
中井はこの試合に乗り気ではなかった。
総合格闘技をやりたくて北海道から出てきたのに、道衣を着るのは過去に戻るように思えたからだ。
結局、彼はこの試合を最後に、「ワールド修斗」の社員となり、背広を着てイベントのプランニングやプロモートを手懸けていくようになった。
しかし失明直後は、あまり落ち込んでいるようにみえなかった(みせなかった)中井祐樹は、興行の仕事をするようになってから寂しそうな姿をみせるようになった。

ジアン・マチャド vs 中井祐樹

朝日昇の敗北

朝日昇

朝日昇

1996年7月に開催された「VTJ96(バーリ・トゥードジャパン96)」が中井祐樹のプロモーターとしての最後の仕事となった。
この大会で最も注目されたのが修斗ライト級王者、寝技の鬼、朝日昇 vs ヒクソンの実弟であるホイラー・グレイシーだった。
みんな、朝日昇の打倒、グレーシー柔術のシーンを期待した。
だが結果は朝日の惨敗。
これが中井祐樹の現役復帰への思いを決定的なものにした。
「朝日さんとホイラーの試合を観て圧倒的な技術差があると痛感しました。
日本人選手はもっと寝技のレベルを上げなくてはいけないし、自分が柔術に勝ちたいという欲望も湧いたんです。」
中井祐樹は、過去に戻るのではなく、寝技を極めるために再度、道衣をまとった。

ホイラー・グレイシー vs 朝日昇

柔術家、中井祐樹、そしてパレストラ(現:パラエストラ)

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柔術家、中井祐樹が誕生した。
シューティングのリングで行った柔術のエキシビジョン・マッチを皮切りに、海外の柔術大会にも打って出た。
ブラジリアン柔術の帯は、下から青・紫・茶・黒と4つに分かれている。
また試合は、帯別に加えて、10階級の体重別で行われる。
中井祐樹のスタートは青帯の大会からだったが、海外で着実に実績を残していった。
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そして1997年12月には会社(ワールド修斗)から独立して、自らの理想を実現するための柔術と修斗の道場、「PARESTRA TOKYO(パレストラ(現:パラエストラ)東京)」をスポンサーなしのALL自己資金で立ち上げた。
結婚から1年後の独立に夫人はこういう。
「てっぺんからどん底に落ちる経験をしたというのに彼は「目が見えなくなったのは神様からのプレゼントだ」っていうんですよ。
そんな彼を信じて自分のやりたいことを追いかけてほしいと思っています。」
現在、パレストラ(現:パラエストラ)は全国に広がっている。
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一方、柔術家としても中井祐樹は頂点にのぼっていった。
純粋な日本人として初めてブラジリアン柔術の黒帯を取得。
世界選手権以上にレベルが高いといわれる大会、ブラジレイロ(ブラジル選手権)の黒帯の部、ペナ級(~66.9㎏)で3位となり、その実力が本場ブラジルでもトップレベルにあることを証明した。
しかしこれが到達地点ではない。
その目は常に前、そして上を向いている。

Leo Vieira vs Yuki Nakai

The Grappling Dummy: Yuki Nakai

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