中井祐樹 片目を失いながらも相手を叩きのめすなんて信じられない 
2016年11月25日 更新

中井祐樹 片目を失いながらも相手を叩きのめすなんて信じられない 

小さな巨人、柔術ヒーロー、ラストサムライファイター、中井祐樹は体格は小さいのに本当に勇敢すぎる。片目を失いながらも相手を叩きのめすなんて信じられない。大きな代償を支払うことになったけれど、どの格闘家よりも多くを成し遂げたことは誰にも否定できない。

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しかし中井祐樹は怒っていた

佐山聡の理念

佐山聡の理念

しかし世間の認知度は低かった。
「シューティング? 
あんな小さいやつらがごちゃごちゃやってなんになる?」 
プロレスファンはそういって笑った。
プロレスが真剣勝負だと思っている人がまだたくさんいた時代だった。
中井祐樹は横浜で1人闇のなかを走っているようだった。
自分が強くなっていることは実感できた。
しかし未来がみえなかった。
収入とか、そんなことではない。
総合格闘技の強さを伝えることができないことに焦った。
シューティングのリングに有名なプロレスラーが上がってくれたら勝つ自信があった。
しかし上がってくれるわけがなかった。
真剣勝負で戦ってる自分たちが「弱い」「小っちゃい」で片づけられ、真剣勝負じゃない格闘技系プロレスがマスコミに大きく取り上げられる。
中井祐樹は怒っていた。

UFC(The Ultimate Fighting Championship、ジ・アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ)

Brutal beginnings of the UFC

 (1710618)

中井祐樹が先輩寝技師である朝日昇と5Rフルに戦い判定で敗れたその少し前、
アメリカのデンバーで第1回UFC(The Ultimate Fighting Championship、ジ・アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ)が開かれた。
優勝はホイス・グレーシー(ブラジリアン柔術)。
準決勝でケン・シャムロック(プロレスラー、総合格闘技パンクラス王者)
決勝でジェラルド・ゴルドー(空手、キックボクサー)を完全に制しての優勝だった。
世界の格闘技マスコミはこぞって報じた
地球規模で総合格闘技の夜明けが始まろうとしていた。
 (1710620)

平成6年(1994)3月11日、
第2回UFC大会には、大道塾(空手)の市原海樹が参戦。
ホイス・グレーシーに完敗した。

ホイス・グレイシーvs市原海樹

VTJ(VALE TUDO JAPAN、バーリ・トゥード・ジャパン)

 (1710634)

平成6年(1994)7月29日、プロシューティングはUFCに対抗するかのように「VTJ94(バーリ・トゥード・ジャパン・オープン94)」という トーナメント大会を開催した。
バーリ・トゥードとは「なんでもあり」という意味である。
中井祐樹は佐山聡に出場を直訴したが叶わなかった。
この大会にはヒクソン・グレイシーが参戦、日本に初登場した。
シューティングからは川口健次、草柳和宏、
またヤン・ロムルダー、ダビッド・レビキ、そして西良典などが参戦した。
そしてヒクソン・グレイシーが圧倒的な強さで優勝。
その陰でシューティングのエース、川口健次と草柳和宏は打撃系の選手に血まみれにされて負けた。

ヒクソン・グレイシー vs 西良典

シューティング(現:修斗)ウェルター級チャンピオンとなる

 (1710637)

「バーリ・トゥード・アクセス」というバーリ・トゥード・ジャパン・オープンルールを採用して行われたシューティングの大会で、中井祐樹は柔術黒帯のアートゥー・カチャーと対戦。
3R8分を戦い抜きドローまで持っていった。
その後、草柳和宏とのタイトルマッチで判定勝ち。
ウェルター級チャンピオンに上りつめた。
これにより来年の「VTJ95(バーリ・トゥード・ジャパン・オープン95)」に出場というレールが敷かれた。

中井祐樹 vs アートゥー・カチャー

プロ修斗第3代ウェルター級王者認定戦 中井祐樹 vs 草柳和宏

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