格闘道イベント「敬天愛人」とは?鹿児島で産声を上げる格闘道の発起人、菊野克紀選手に伺った。
2021年5月27日 更新

格闘道イベント「敬天愛人」とは?鹿児島で産声を上げる格闘道の発起人、菊野克紀選手に伺った。

数多くの格闘技が共存共栄する日本。ときにブームに沸き、ときに存続の危機に立たされる世界で、格闘家は黙々と 己との闘いを刻み続けている。そんな格闘技を通じて体得出来ることを「格闘道」として広く発信しようと取り組む 菊野克紀選手。格闘家としての頂点をみた男の大いなる挑戦に耳を傾けていただきたい。

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読者のみなさんは「敬天愛人」という言葉をご存知でしょうか?

今年の大河ドラマ「西郷どん」でお馴染みの西郷隆盛が、学問の目的を説いた言葉として非常に有名な言葉ですね。その言葉の通り「敬天」は天を敬い「愛人」は人を愛することを指しています。
格闘道イベント「敬天愛人」

格闘道イベント「敬天愛人」

前代未聞のイベントが、11月11日(日)に、鹿児島県で開催されるんです。
2018年11月、この「敬天愛人」を冠した格闘道のイベントを立ち上げるのが、この度取材機会をいただいた格闘道家の菊野克紀選手。

どのような経験をしてなぜその想いに至ったのか、ミドルエッジ編集部(ミド編)が伺って参りました。
菊野克紀選手

菊野克紀選手

菊野 克紀(きくの かつのり、男性、1981年10月30日 - )は、日本の格闘家・空手家。鹿児島県鹿児島市出身。株式会社KOKKI代表取締役社長。フリーランス。「沖縄拳法空手道 沖拳会」の山城美智に師事し、ファイトスタイルに反映させている。
また、極真カラテ仕込みの打撃と柔道で培った身体バランスの良さがあり、フットワークを使わない独特な空手の構えで、中でも、前蹴りとミドルキックの中間の軌道で蹴り込む「三日月蹴り」を得意とする。

Wikipediaより引用

心の弱い少年時代、大好きだったドラゴンボールの孫悟空

鹿児島に生まれ鹿児島に育った菊野選手。
格闘家を志しての上京は23歳のときでしたが、鹿児島時代のお話を伺います。
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「ご多分に漏れず漫画が好きな少年でした、ドラゴンボール世代ですね。テレビも好きで仮面ライダー、ウルトラマン、戦隊モノ、全部欠かさず見ていました。」

「純粋に男の子としてヒーローに憧れましたね。僕はわりと体つきがよくて力持ちだったんですけど弱虫だったんです。体は強いのに心が弱くて余裕が無い、だからヒーローに憧れていました。」
-格闘技への憧れもヒーローからでしたか?
「小学校のころは水泳少年団とかに入っていました。でも6年生のころにはもう友達の影響でプロレスごっこばっかりしてました、水泳サボって(笑」

「体つきは大きかったんですけど気持ちが弱いものだから友達に手を出してしまう。だから嫌われちゃいますよね。小学4、5年生のころに孤独な経験もしました。半年くらい昼休みは図書館で生活していました。」

「そういう自分嫌いだった。僕の大好きなドラゴンボールの孫悟空と真逆なんです。強くて優しくて皆から愛される孫悟空と真逆。」
現在の菊野選手からは想像も出来ない少年時代。
しかし、純粋にヒーローに憧れる強い気持ちは少年時代だけでなく長じた後も菊野選手の判断軸となり続けます。

自信を得て、余裕が出て、人に優しくなれた

「中学校では柔道部に入りました。初めの頃は先輩に歯が立たない。けれども練習を続けていくと少しづつ強くなって試合に勝つと自信がついて余裕が出来て。そして人に優しくなれるようになって仲良くなれて。」
-武道を通して精神も磨かれた最初の経験ですね。格闘技の道に進もう!との思いは中学のころに?
「いえ、まったく無かったです。鹿児島は田舎で、なんというかテレビのなかの世界を目指すようなことは想像も出来なくて。両親は公務員になりなさいと。そして僕自身も学校の先生しか知らないもんだから、当時『GTO』っていう漫画が流行っていたので先生になってみようかな、なんて考えていました。」

高3の夏に決意!土木作業員で上京資金を貯める

「高校3年生の夏、親友が急にお笑い芸人になるって言い出して。それを聞いてヤバいって気になりました。親友がビッグになって僕だけなんとなく生きてたら負けた気がすると思って。焦って必死に自分探しした時に、結局ヒーローみたいに強くなりたいんだと気が付いて。じゃあ格闘家になろう、PRIDE目指そうって決めました。そして東京に行こうと。」

「親は大反対、泣いて反対しましたからね。だからひとまずお金を稼がないといけなくて土木作業員を始めました。土木作業員をやりながら自宅近くの極真空手の道場に通い始めたんです、鍛えるために。そしたらたまたまそこに世界チャンピオンがいて結局5年間もお世話になりました。」
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-この5年間は鹿児島で地力を磨いていたんですね。
「先輩からの可愛がりもありましたし精神面も鍛えられました(笑。」

「プライベートでやられる、で試合しても勝てないんですよ。プライベートでやられるのは仕方ないとして、でも試合まで負けたら公私ともに自己否定されるんですよね。 」

「3年で3回挑戦して全敗、その時はもうほんとに心が張り裂けそうで。武道なんで試合後は礼をして終わるんですが、そのときはゥワ―ッて叫んてしまいました。 その強い先輩に勝つまでは絶対に出ていけない。先輩に勝たずに上京しても意味がないっていう気持ちがあって、結局この先輩を超えるのに5年かかりました。」
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