DDTプロレス高木三四郎「90sナイトライフ回想録」第4回-リベンジの舞台はジュリアナ!-
2018年4月2日 更新

DDTプロレス高木三四郎「90sナイトライフ回想録」第4回-リベンジの舞台はジュリアナ!-

本コラムは人気プロレス団体「DDTプロレス」社長兼レスラーとして君臨する高木三四郎がプロレス業界に足を踏み入れる以前、名うてのイベンターとして活躍していた90年代の若き日を赤裸々に語るコラム。回想する風景にはバブル期のTV局や90年代東京のナイトライフを彩ったディスコやクラブ、そして当時の煌びやかな人間模様まで描かれる!90年代に東京のナイトライフを経験した読者のみなさん、もしかしたら高木社長と意外な接点があったかもしれませんよ!?

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飯島愛ちゃんを起用出来たことで媒体も動いてくれまして、ヤングマガジンと東京Walkerがこのミスコン企画を特集してくれることになりました。

で、そのネタを持ってジュリアナに交渉行ったんです。これだけの露出がありますよ!と。
加えて「やはり僕はディスコ文化が好きなんで~」とか適当なことを話しつつ(笑、ディスコ文化でスポットを浴びた女の子たちを対象にしたミスコンをジュリアナでやりますのでジュリアナ東京という名前が話題になります、だからハコ代を安くしてください、と。

で、結局ジュリアナは100万で借りれました。多分当時のジュリアナのハコ貸しでは最安値だったと思います。

イベントとしては事実上、あれが一発目でしたね。今でも本当に僕の中で原点だったイベントです。やはり飯島愛ちゃんという人気急上昇中だったタレントを起用して、媒体ともハコとも連携交渉して。

キングオブイケイケコンテスト「愛は芝浦を救う」

-どこかで聞いたことのあるフレーズです(笑
ええ、もう完全にパロディー!
僕のDDTのパロディーネタとかも、全部こういうところからひっぱってきてるというか、全部ここに原点がある(笑。

芝浦GOLDのリベンジを果たせたというか、やっぱり会場に芸能人が来るってだけで違うんですよね。「得した感」があって。この企画を通じてイベントと芸能人の相性を感覚で知ることが出来ました。

パーティーからイベントへ

ジュリアナの大成功でクリエイティブ21という名は「イベント屋」っぽい印象で広まっていきました。

僕たちとしても、従来のパーティーサークルと一緒にしないで欲しいという気持ちがあったんですよ。人を集めてパーティーやるだけの存在から芸能人やタレントの招致と媒体連携まで仕込めるイベント屋に向かっていく。そこには拘りを持ってやっていましたね。

イベント自体も、3時間なら3時間できっちり構成を組んでイベントとして成立させる。

芝浦GOLDでの失敗がイベンターとしての拘りに

この辺りの考えは、芝浦GOLDでの手痛い失敗なくしては芽生えなかった意識かもしれません。

一発目から成功していたら多分やめたと思うんですよ。一発目で「あー。よかったねー」で終わっていたと思うんです。ところが大失敗して、僕らメインのスタッフが会場に入って呆然と立ち尽くす、みたいな原風景(笑。

外を見れば目が血走った連中が「主催どこだ!」で、逃げながら中に入ってみたらもうフロアの統制がとれていない。ただ音楽が流れててダラダラ踊ってるだけみたいな。

ほんとはもっといろんなイベントを考えてやろうとしていたのに何も出来なかったデビュー戦。
何のためにやったのかもわからないし、お客さんにただひたすら、お金払って来てくれたお客さんや友達に申し訳ないっていう気持ちがやはりあって。やっぱりその雪辱がジュリアナだったんですよ。

ジュリアナの成功で一躍「時の人」へ

当時の僕らは別にイケイケな雰囲気ではなかったですし、どちらかというと企画プロデュース研究会や広告研究会みたいな雰囲気だったと思うんです。

ただジュリアナの一件で一気に注目度が上がりまして。
「飯島愛」「ジュリアナ」「イベント」やっぱり派手じゃないですか。

自分で「時の人」っていうのも気持ち悪いけど、一躍そんな評価になりまして、方々のパーティーやイベントに呼ばれるようになったんですね。「こっち来てください」みたいな。で、人脈も出来たりして。行くたびに新しい人脈が出来始めた頃でしたね。
 (1991229)

-まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだったんですね。クラブのVIP交流で更に輪が広がって。
そうですね。

イベントに呼ばれていってVIPに座っていろんな人と人脈も出来て、の繰り返し。
その傍らでクリエイティブ21としての主催も打って、ただこの後にクリエイティブ21が…。
-え??
いや、それはまた後のお話で。

とにかく、この頃は飯島愛ちゃんの事務所からとても可愛がられまして。
「彼女の更なるイメージアップのために何かいい方法はないかな、高木君?」みたいな感じで、夜な夜な六本木のキャバクラ三昧だったわけです(笑。

事実関係だけいいますと、93年に「愛は芝浦を救うパート2」を実施します。
ただその前に世間に物議を醸した(?)「バレンタイン企画」を企画したんです(笑。
渋谷騒然!「バレンタイン企画」

渋谷騒然!「バレンタイン企画」

1000人に「愛」のキューピッド!!!
渋谷騒然!?

93年、バレンタインデーの渋谷に飯島愛がロールスロイスのオープンカーで登場!!
男性諸氏がヤラレタあの「Tバック」ポーズを白昼堂々と!!!

次回、あの伝説の「バレンタイン企画」に迫ります。

【次回】渋谷騒然!?愛ちゃんのバレンタイン企画

コラム第4回「リベンジの舞台はジュリアナ!」いかがでしたか。

見事リベンジを果たし、再び飛ぶ鳥を落とす勢いとなった高木社長。その立役者でもあった飯島愛さんが更なるブレイクを遂げるために「イベント屋」高木社長が次に企てたのは…!?

次回コラムもお楽しみに!
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