あなたは何人、歴代の「サッカー日本代表監督」を覚えているかな??②【1980年代前半~1990年代後半】
2018年4月19日 更新

あなたは何人、歴代の「サッカー日本代表監督」を覚えているかな??②【1980年代前半~1990年代後半】

「あなたは何人、歴代の「サッカー日本代表監督」を覚えているかな??①【1960年代~1980年代初期】」の続編です。若い読者の方には、そろそろ見覚えのある歴代監督たちが登場してくると思われますので、こうご期待下さい。

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あえて「火中の栗を拾う」勝負師の才覚に恵まれた岡田 武史

岡田 武史 元サッカー日本代表監督(1997-1998...

岡田 武史 元サッカー日本代表監督(1997-1998、2007-2010)

岡田 武史(おかだ たけし、1956年8月25日 - )は日本の元サッカー選手、サッカー指導者。現在はFC今治運営会社「株式会社今治.夢スポーツ」代表取締役、日本エンタープライズの社外取締役、城西国際大学特任教授、日本サッカー協会参与(名誉役員)。選手時代のポジションはDF。
古河電気工業サッカー部(現・ジェフユナイテッド千葉)でプレーし、サッカー日本代表として国際Aマッチ24試合に出場。現役引退後は指導者の道に進んだ。
岡田の一大転機は日本代表チームコーチとして勤しんでいた1997年10月、フランスW杯最終予選にて代表チームがアジア予選で敗退濃厚の窮地に陥り、加茂周の更迭に伴って監督に昇格。当初は「急場凌ぎ」との見方が大勢を占めていたが、加茂によって代表から外されていた中山雅史らをチームに再招集するなどのテコ入れも功を奏し、日本代表は息を吹き返す。この頃はW杯アジア枠は3.5だったが、最終的にはイラン代表との第3代表決定戦の末、予選を突破し土壇場から日本代表初の本選出場を果たした。これを『ジョホールバルの歓喜』と呼んでいる。この歴史的な結果を受け、本選に向けての正式に監督に任命される。日本代表を初のFIFAワールドカップ出場に導き、1998 FIFAワールドカップ本大会でも指揮を執った。1998年の本選直前に不振だった三浦知良や北澤豪をメンバーから外した事で、当時その是非がマスメディアやサッカーファンや世論の間で議論を呼んだ。日本代表監督在任中の通算成績は7勝4分6敗(急拵えだった割には良い方じゃない・・・??)。勝率=41.18%。
ちなみに、2007-2010にも日本代表監督でしたが、その時の通算成績は26勝12分12敗(チームの育成が順調に続いたようだ)。勝率=52.00%

ジョホールバルの歓喜(実況:山本浩アナ)2/2

今は当然の如く『W杯には行くもんだ!!』と思っている方も多いとは思いますが、当時は大変な悦びだったんですよ!!!

"迷言"の量が半端なく多く、マスコミや関係者からは悪い噂もあり、評価が分かれるフィリップ・トルシエ

フィリップ・トルシエ 元サッカー日本代表監督(1998...

フィリップ・トルシエ 元サッカー日本代表監督(1998-2002)

フィリップ・トルシエ(Philippe Troussier、1955年3月21日 - )はフランス出身のサッカー指導者、サッカー選手。本名・ムスリム名:オマル・トルシエ(Omar Troussier)、旧名:フィリップ=ベルナール・ヴィクトル・トルシエ(Philippe-Bernard Victor Troussier)。
フランス・パリで6人兄弟の長男として生まれたフィリップ・トルシエは、1983年に28歳でサッカー選手としての現役を引退。翌年からは、U-15フランス代表の監督を務め、指導者としての道を歩み始める。その後、各国のクラブチームや代表監督を経て、1998年フランスW杯後、日本代表監督に就任した。
岡田武史が退任した後、次のワールドカップを目指して白羽の矢が立てられたのが、アフリカのナショナルチームで好成績を残していたフィリップ・トルシエだった。
このころの日本代表は、初めてW杯に出場し、若い世代には中田英寿、小野伸二など将来有望なメンバーが揃っていた。それに加え、2002年W杯の日韓共催が決まっている状況は、トルシエジャパンへの期待を大きく膨らませた。
代表監督以外にも、U-20と五輪代表の監督も務めており、ワールドユースで準優勝を収め、シドニー五輪では32年ぶりとなる決勝トーナメント進出を果たした。
そして迎えた日韓W杯では、2勝1引き分けで初の決勝トーナメントへと導き、フランスW杯の3戦3敗から大きな飛躍を遂げた。

また、彼はユーモアのセンス、勤勉さ、そして口の悪さには定評があり、歯に衣着せぬ物言いから、協会や選手と確執が生まれることも多かった。そのせいであろうか、悪い噂が絶えなかったが、四六時中サッカーのことばかり考えている無頼の「サッカーおたく」という面も持ち合わせていたことで、日本サッカーと世界との距離を縮めた功労者として、評価してる人も多い。

トルシエ元サッカー日本代表監督といえば数々の名言・迷言

・私たちは組織で戦っている。応用は許すが、原点を忘れることは許さない。
・3人の個性派に、8人の明神がいればチームは出来る。
・私は、監督が60%以上の勝利に対する責任を負っていると思っています。まず人間を選び、そして戦術を選び、コーチングをする。
・日本には守りの文化がない。
・スター気取りになってはいけない。でないと、城や前園のように地獄に落ちることになる。
・負けは認めなくてはいけない。それでも自分たちのサッカーを信じ、自分たちの哲学を貫き通したことに誇りを持ちたい。
・組織プレーが60%以上を占めるサッカーでは互いのコミュニケーションが大事。だからこそ彼らに自己表現を求めた。
・赤信号でも車が来ないと分かっているなら渡ってしまえ。信号を守るのは身の安全を確保するためであって、規則を守ること自体が目的ではないはずだ。
・特に最近気づいて驚いているのは、ほとんどのスポーツ新聞の一面は一緒だということ。
・哲学が一致しないなら、胸を張って日本を去る。
・彼ら(マスコミ)は監督というものが、魔術師か何かだと思っているようだ。
・日本人がサッカーの観戦後、ビールを飲みながら飲み屋でその試合を振り返るような雰囲気を作れたとき、初めてサッカーは国民の間に浸透したことになるだろう。
・うまい選手を選ぶだけなら、私でなくてもできる。ジャーナリストでも、ファンでも、街の誰かでもできる。
・以前は私も選手の部屋でポルノ映画を一緒に見ていたが、今は自由に見てもらっている。ふたりだと危険なので、3人で見てもらっているが。
・試合後は誰でも監督になってあれこれ言える。しかし試合前の決断を下すのは監督である私ひとりだけだ。
・サッカーで起きることは、予想できないし、論理的解説もできない。しかし唯一、監督だけがこれを予想し、自分の読み通りになったときは、一瞬天才ではないかと思える。
・選手と、協会と、メディアと…日本とフランス異なる価値観の衝突が、日本代表をどんどん強くした。それはサッカーが、機械やロボットではなく、まさしく人間のスポーツだから。
・私はみんなと仲良く、みんなと仲が悪かった。監督の仕事は選手から好かれることではない。常に殴り合いをしながら前進する感じだった。
・あれは新聞が書いた「連載恋愛小説」。どんな選手でも問題があればメンバーから外しベンチに置く。それで嫌いということになるのかい?
・レギュラーは一人もいない。強いていえば、私だけだ。
・中田(ヒデ)は携帯電話のCMに出てるけど、30回かけても全然つながらない。
・おまえはパリの街をなめてるのか!(フランス遠征の時、ジャージ姿で外出しようとした中村俊輔を呼び止めて)
・彼は1230年代に生まれて、ずっと冷凍保存されて、ある日突然見つけられた。だからまだ現代文明のコミュニケーションに慣れていない。(なかなか代表チームに打ち解けない久保竜彦について)
・ナカムラがいるとベンチが暗くなるから。(2002年のワールドカップで日本代表メンバーから中村俊輔を外した理由を聞かれて)
・足を手術しろ。(ボールコントロールに不安のあった中澤に対して)
・(鈴木の)目を見て決めた。(コンフェデレーションズカップのカメルーン戦で鈴木隆行を初スタメンに抜擢した理由を聞かれて。鈴木はこの試合で2ゴールを決めた)
・ここパラグアイは美人も多いので、柳沢を呼んでいたら大変なことになっていたと思う。呼ばなかったことは良かったかもしれない。(1999年にパラグアイで行われたコパアメリカ出場時に)

今でもクスッとくる言葉である。まさにフランス流のブラック・ジョーク!!
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今週の月曜日(2018年4月9日)に、日本サッカー界は勿論、スポーツ界に衝撃が走った。日本サッカー協会は電撃的にサッカー日本代表監督のハリルホジッチ氏をその職から解任したのだ。W杯までにわずか2ヶ月あまりしか残っていないこの時期にである。お隣の国、韓国や中東などの国ではこのような”電撃解任”事は多々あったが、日本では大変めずらしいことだ。
知っているかな?「日本サッカーの父」呼ばれた日本代表監督を!!

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昨日(2018年4月9日)、日本のサッカー代表監督だったハリルホジッチ氏が電撃的にその職を解任され、日本サッカーはどうなるのか?と内心心配でたまらないのだが、かつて1960年代、今よりももっと酷い状況で日本のサッカーを栄光の道へと導いた「日本サッカーの父」と呼ばれた名監督がいたことをご存知だろうか?こんな状況で彼のような名監督が再来してほしいと願うばかりだ。

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