畠田理恵
坂上香織
坂上香織
1974年(昭和49年)、長崎県長崎市生まれ。嘉悦女子高等学校中退。
始めは女優としてデビューし、あまりの美少女ぶりから『第二のゴクミ(後藤久美子)』とまで呼ばれていた。当時の愛称は「ガミちゃん」で、女優デビュー翌年の1988年8月にアイドル歌手として歌手デビューをした。その際のキャッチコピーは『かおり、深呼吸。』だった。当時のファンクラブ名は「KAORI俱楽部(1988年 - 1992年)」。
ライジングプロダクション、フロム・ファーストプロダクションに所属していた。
女優として最初の仕事、江崎グリコ『プリッツ』(1987年)のTV-CF出演を皮切りに、『ガキ大将がやってきた』(1987年、TBS系)、『独眼竜政宗』(1987年、NHK)、『太陽の犬』(1988年、日本テレビ系)等へ出演した。また、1988年8月には東芝EMIより『レースのカーディガン』でアイドル歌手デビューし、歌番組やバラエティ番組などにも多く登場した。
1991年2月頃より、名前を「坂上かおり」と平仮名に改名するも、約二年後に元の漢字表記に戻した。1993年には、週刊誌 『週刊プレイボーイ』でヌードを披露した。また、それと前後して所属芸能事務所も移籍した。
後年坂上はこれについて、「女優へ転身するためのターニングポイント」と、アイドル活動の行き詰まりに伴い、女優へと路線転換するためのものであったとしている。
(出典:Wikipedia「坂上香織」)
1985年10月26日、オーディション「'86ミスヘアコロン・イメージガール・コンテスト」に応募しMomoco賞を受賞。
1986年4月29日、大阪福島女子高等学校在学中に、学研発行の月刊雑誌「Momoco」主催のイベント「'86 MOMOCO PARTY」において開催された「第2回ミスモモコクラブ」オーディションで「ミスMomoco」グランプリを受賞(桃組出席番号1404番)。ビッグアップルにスカウトされ、芸能界入りのため同校を中退して上京。「Momoco」グラビアや、TBSテレビの「モモコクラブ」にレギュラー出演する。(その後、家族も上京)
1987年3月3日、ワーナー・パイオニア(現:ワーナーミュージック・ジャパン)より「ここだけの話 〜オフレコ〜」でアイドル歌手としてもデビュー。当時未成年ながらも大胆な歌詞を歌いこなし話題になった。
人形のような容姿の正統派美少女キャラクターが売りだったが(文化放送「青春キャンパス」に出演した際、谷村新司に「ガラスケースに入れて飾って置きたくなるような子だ」と評された)、自身のサイン会イベントで自ら司会を務めてマニアックなファンへの対応をこなしてみせる等の才能ものぞかせた。
バーニングプロダクション一押しの新人アイドル歌手で、デビュー当時は同じレコード会社の同期でデビューした森高千里よりもプロモーション等に力を入れてもらっていた。同年の賞レースにも多く参加し、第29回日本レコード大賞では、その年にデビューした歌手のTOP5にも選ばれるなど好調な1年目だった。
1988年、1年目の中森明菜路線から菊池桃子の路線へと変更したシングル「Kissよりつねって」を発売。また、同年、秋に発売されたシングル「ソノ気にさせて」は当初同じ系列事務所、渡辺美奈代がシングルとして発売する予定の曲だった。その後歌手中心の活動から女優メインの活動へ転向してゆく。
1990 - 91年に放送されたNHKの連続テレビ小説「京、ふたり」で、ダブルヒロイン(主人公)の一人(もう一人は山本陽子)として漬物屋の若女将役を務める。
(出典:Wikipedia「畠田理恵」)