1993年5月15日に開幕したJリーグ。
Jリーグ黎明期を大いに盛り上げたジーコやリネカーらのビッグネーム。
そんな彼らに交じって、一人の元セレソン(ブラジル代表)が日本に降り立ちました。
その男の名はビスマルク・バレット・ファリア。
活躍する度に、クリスチャンである彼の「祈りのポーズ」も有名になっていきました。
ヴェルディ川崎と鹿島アントラーズで、優勝に貢献した彼のサッカー人生を振り返ります。
Jリーグ黎明期を大いに盛り上げたジーコやリネカーらのビッグネーム。
そんな彼らに交じって、一人の元セレソン(ブラジル代表)が日本に降り立ちました。
その男の名はビスマルク・バレット・ファリア。
活躍する度に、クリスチャンである彼の「祈りのポーズ」も有名になっていきました。
ヴェルディ川崎と鹿島アントラーズで、優勝に貢献した彼のサッカー人生を振り返ります。
「優勝請負人」と呼ばれたビスマルク
Jリーグ時代には優勝請負人と呼ばれ、所属した全チームで実力を発揮した。
1993年 2ndステージ ヴェルディ川崎に加入
ビスマルク加入初戦のガンバ戦に、三浦知良と武田修宏のゴールで勝利すると、以降は連勝街道を突っ走った。清水との1巡目の上位対決こそPK戦の末敗れたが、18試合を戦って16勝2敗。ビスマルク加入後の敗戦は、上述の清水とのPK戦のみだった。
3年連続のステージ優勝に貢献
1993年〜1996年までラモス瑠偉さんや三浦知良さんなどとヴェルディ川崎の黄金期を支え、1993~1995年まで3年連続でシリーズステージ優勝、また1993年と1994年の年間チャンピオンに貢献しました。
1997年 鹿島アントラーズへの移籍後も活躍
1997年に鹿島アントラーズにヴェルディ川崎から移籍し、1998,2000年のシーズンのリーグ年間優勝の中心選手となってくれました
2000年には、その当時Jリーグ唯一の三冠にも貢献してくれました
キャリアの絶頂期になぜ日本へ?
将来を期待された有望な選手
ビスマルクは来日前、ブラジルの名門クラブ「ヴァスコ・ダ・ガマ」でプレーしており、1990年のイタリアワールドカップ、ブラジル代表にも選ばれていたほど実力のある選手だったようです。
via pds.exblog.jp
疑問
ヴェルディ・鹿島でプレーしたビスマルクってブラジル代表に若くして選ばれるほどの実力者だったらしいですが、24歳という若さで来日し引退まで日本でプレーしましたよね。
どうして彼は日本でプレーを続けたんでしょうか?
via pds.exblog.jp