鹿島の貴公子レオナルド!華麗なリフティングからのゴールはJベストゴールに!
2017年2月21日 更新

鹿島の貴公子レオナルド!華麗なリフティングからのゴールはJベストゴールに!

Jリーグ黎明期に、ジーコに誘われ鹿島アントラーズに入団。相手ゴール前でリフティングを駆使してDFをかわしながら決めたゴールは今も語り草になっている。1994年のワールドカップでは、肘打ちにより退場してしまった、貴公子・レオナルドを特集する。

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レオナルド・ナシメント・ジ・アラウージョ

1969年9月5日生まれ。ブラジル・リオデジャネイロ出身。
ブラジル代表としても活躍し、1990年から2001年まで長期間に渡って選出され、何人もの監督に評価されていた。

【個人データ】
・身長: 177cm
・体重: 71kg
・利き足: 左足
・ポジション: MF/DF
鹿島アントラーズ時代のレオナルド

鹿島アントラーズ時代のレオナルド

【所属クラブ】
・フラメンゴ(1987-1990)※ユースには1984-1987の間在籍。
・サンパウロ(1990-1991)
・バレンシア(1991-1993)
・サンパウロ(1993-1994)
・鹿島アントラーズ(1994-1996)
・パリ・サンジェルマン(1996-1997)
・ACミラン(1997-2001)
・サンパウロ(2001)
・フラメンゴ(2002)
・ACミラン(2002-2003)

ジーコに誘われ、鹿島アントラーズに入団

1994年に、偉大なるセレソン(ブラジル代表)の10番であるジーコからの誘いを受け、当時プロリーグであるJリーグが前年に開幕したばかりの日本にやってきたレオナルド。

ジーコが所属した鹿島アントラーズで、さすがセレソンといったプレイを魅せてくれた。
現役のブラジル代表としてJリーグに来た初めての選手でもあった。
鹿島アントラーズ時代のジーコ

鹿島アントラーズ時代のジーコ

サッカー弱小国の日本に世界のスーパースターが降臨。
鹿島アントラーズに「スピリット・オブ・ジーコ」と呼ばれる「献身、尊重、誠実」の精神を植え付けた。
レオナルドはその端正なルックスから貴公子、レオ様とも呼ばれた。
また、当時日本でも有名なF1レーサーであったブラジルの英雄アイルトン・セナにも似ていた。
華麗なプレイで観客を沸かしたレオナルド

華麗なプレイで観客を沸かしたレオナルド

在籍した3年間の成績はリーグ戦通算49試合出場30得点だった。
ジーコの10番を受け継いだ!

ジーコの10番を受け継いだ!

レオナルドと言えば、1995年のJリーグ・ニコスシリーズ第19節横浜F戦のゴールシーンが非常に印象深い。
相手ゴール前、味方からの緩めのパスに対し、スライディングを仕掛けるDFから逃れるように、レオナルドはひょいとボールを浮かした。

そして、4人ものDFを背負いながら、軽やかに5回のリフティングを駆使し、シュートを放った。
GKは一歩も動けず、ボールはゴールの左上に吸い込まれた。

なお、この時のGKは、当時10代にして正GKだった後の日本代表・楢崎正剛であった。
また、このゴールは2013年のJリーグ20周年企画「Jクロニクルベスト」において、過去20年のベストゴール第1位に選出された。

(レオナルド)Jクロニクルベスト:1995ベストゴール

伝説のリフティングゴール!

鹿島アントラーズ ストライカー伝説

1:18~ レオナルドのシーン

鹿島アントラーズ 1996年優勝(レオナルドのコメント)

0:11~ レオナルドのコメント

セリエA・ACミランでリーグ制覇に貢献!

1996年夏に移籍したリーグ・アン(フランス1部リーグ)の名門パリ・サンジェルマンFCを経て、1997年夏に当時最強リーグと言われたセリエAのビッグクラブACミランに移籍した。移籍金は850万ユーロだった。

ここでもセレソンの実力をいかんなく発揮し、ダイナミックなゴールを量産した。

1998-99シーズンは股関節炎のためフル出場は少ないものの、27試合12得点を記録してスクデット(リーグ制覇)に貢献。在籍した4シーズンで177試合に出場して22得点だった。

ちなみにこの時の監督は後の日本代表監督のアルベルト・ザッケローニであった。
ACミラン時代

ACミラン時代

ブラジル代表でワールドカップに二大会出場

1990年にブラジル代表デビューしたレオナルド。
1994年のワールドカップメンバーには左サイドバックとして選出された。

決勝トーナメント1回戦のアメリカ戦。レオナルドのワールドカップが事実上終わってしまうプレイが起こる。
相手MFと競り合った際、相手を払いのけようと腕を強く振ると、相手の顔面に肘が入ってしまった。
ゴチッという鈍い音が、中継でも拾える程に強く打ちつけられた肘打ちだった。これが故意と判断され、一発レッドで退場処分が下された。

レオナルドはそれまで左サイドで躍動していただけに、悔やまれるプレイだった。

これにより4試合の出場停止処分を受けた。おそらく故意ではないものの、この処分はワールドカップの歴史の中で2番目に長いものとなった。

また、相手DFはこの肘打ちで、頬骨を骨折し、3か月半もの間入院を余儀なくされた。

ワールドカップ94 ブラジル代表 2/4

0:31~ 肘打ちのシーン
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