マルチな活躍ぶりをみせた藤子不二雄Aさん
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アルファベットのAは丸で囲った『Ⓐ』表記が正式名称となりますが、記事内では、便宜上”藤子不二雄A”と表記させていただきます。
ちなみにAは本名の安孫子のイニシャルに由来します。
ちなみにAは本名の安孫子のイニシャルに由来します。
藤子不二雄Aさんの経歴
1934年、曹洞宗49代目住職の息子として生まれた藤子不二雄Aさん。10歳のときに父親を亡くしたことで、富山県高岡市に転居し、その転入先の小学校にて後に藤子不二雄としてコンビを組む藤本弘さんと出会います。
しかし、高校卒業後は新聞社に就職して学芸部・社会部を担当しています。
1954年、藤本弘さんに誘われるかたちで新聞社を辞め、幼いころからの漫画家になる夢を実現するために上京しました。
1954年、藤本弘さんに誘われるかたちで新聞社を辞め、幼いころからの漫画家になる夢を実現するために上京しました。
#これを見た人は2人組の画像を貼れ
— Hassey (@Hassey_90125) July 15, 2021
藤子不二雄🖋 pic.twitter.com/xNTYHCOGIU
その後は藤本弘さんとコンビを組み、藤子不二雄の共同ネームでご活躍されます。
すぐに人気漫画家としての地位を確立するも、里帰りに伴なって連載8本を落とすという失態を犯してしまい、プロとしての姿勢を問われることに。
すぐに人気漫画家としての地位を確立するも、里帰りに伴なって連載8本を落とすという失態を犯してしまい、プロとしての姿勢を問われることに。
以降は『オバケのQ太郎』『忍者ハットリくん』『魔太郎がくる‼』など、我々ミドルエッジ世代の記憶に今も刻まれている名作を次々に生み出し、漫画家として、歴史に名を刻むほどの評価を獲得しました。
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1987年にはコンビを解消し、藤子不二雄の名前に、それぞれのイニシャルを入れた名義で活動するように。
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受賞・受賞歴におかれても、その功績は数知れず…
・1990年 - 藤本賞・山路ふみ子文化財団特別賞受賞(映画『少年時代』)
・2005年 - 第34回日本漫画家協会賞文部科学大臣賞受賞(全作品に対し)
・2008年 - 出生地の氷見市において、自作漫画キャラクターの提供など市の活性化の貢献により名誉市民となる。
・2008年 - 旭日小綬章受章
・2014年 - 第18回手塚治虫文化賞特別賞受賞(『まんが道』、『愛…しりそめし頃に…』)
幅広いジャンルで才能を発揮し、恥ずかしがり・照れ屋という藤子不二雄Aさんの人柄も多くのファンから愛されましたね。
長年のコンビ”藤子不二雄”を解消した理由とは?
コンビ解消という言葉だけを見ると、お二人の関係が不仲となって決裂してしまったかのようにも思えますよね。しかし、事実はそうではないようなので、ここにコンビを解消することになった3つの理由を記載させていただきます。
藤本弘さんの体調が不安材料に
この頃、胃潰瘍の手術を受け、さらには肝臓も悪くしていたという藤本弘さん。入退院を繰り返していたことで、それぞれコンビを組んでペースを合わせていると、お互いの活動・生活に支障が出てくると考えたみたいです。
二人三脚で括っていた足のヒモを解くことで、再び新しい可能性を見出せるのではないかと前向きに検討された結果なのだとか。藤本弘さん自身、病気によって残りの人生にあまり時間が残されていないことを自覚されていたのかもしれません。
結果的にコンビを解消した9年後、1996年に藤本弘さんは肝臓がんのためにお亡くなりになっていますしね。
結果的にコンビを解消した9年後、1996年に藤本弘さんは肝臓がんのためにお亡くなりになっていますしね。
本名 :安孫子素雄
生年月日:1934年3月10日
血液型 :A型
出生地 :富山県氷見市
職業 :漫画家
活動期間:1951年~