クイズ王(優勝者) 横田尚
準優勝者 渡辺晶夫
優勝賞品 カナダ産ログハウス
第8回(1984年)
初めて全都道府県から参加者が集まった。今大会から第一次予選での敗者復活戦が行われるようになった。予選の段階での優勝賞品発表が唯一行われた大会でもある。
大学生のクイズ研究会の進出が、今大会から本格的に始まった。社会人・主婦は最終週まで二人が勝ち残っていたが、主婦はキーウエスト、社会人はバハマで準決勝進出者の一人に敗れて散っている。
大声クイズとジョギング(マラソン)クイズ初登場。準々決勝ではバハマに上陸し、「クイズ史上初」と銘打たれ、当時の最新鋭の技術を駆使した海底クイズが実施された。
パンナムビルで決勝戦を行った最後の大会である。
クイズ王(優勝者) 石橋史行
石橋史行
麻布大学の学生。クイズ番組の優勝経験を複数回持つ実力者で、第4回から後楽園予選に参加しており、5回目で予選通過。
歴代クイズ王の中では最も危なげなく各チェックポイントを勝ち抜け、グアムでの奇襲クイズは寝起きながら余裕を持って解答し一発勝利、ゲストクイズや体力系のクイズも余裕を持って上位通過を果たした。
準優勝者 宍戸浩明
創価大学の学生。石橋とはクイズを通して知り合った友人同士で、第5回から後楽園予選に一緒に参加していた。
ラピッドシティーではラスト通過だったものの、他は石橋と各チェックポイントのトップ通過を競い合っていた。準決勝フィラデルフィアでは通過クイズ二度目で一抜けを果たした。
優勝賞品 高級クラシックカー
第9回(1985年)
自由の女神の修復工事が今大会と重なり、当時のパリ市長ジャック・シラクの招致で今大会はパリが決勝地になり、ニューヨークは北米大陸最後のチェックポイントとなっていた。それに伴い第1問もパリのランドマークであるエッフェル塔関連の問題が出題された。
それまで例年第二次まで行われた予選は、「敗者の味方」徳光の提案により第二次予選が全員通過。全員第1CPに行けると思われたところで、突如として第三次予選が出現し、結局は例年通りジャンケンで第1CP進出が決まった。
アメリカ横断後、大西洋を越え、ヨーロッパのイギリス、フランスに上陸。チェックポイントの数も増加し、1人が通過するチェックポイント数は17と歴代最多。これまで以上にスケールの大きい大会となった。団体戦クイズが初登場。
随所のハプニングが演出であることをカミングアウトするなど開き直った展開、機内ペーパークイズのベスト3が本土上陸前に全員敗退(1、2位はハワイで、3位はグァムで敗退、学生が一般人に負けるという展開)し、本土上陸後優勝最有力と目され、上位勝ち抜けを続けていた女性がロンドンで敗退するなど波乱含みの大会となった。
番組制作サイドは常々「知力・体力・時の運」を銘打っており、第4週エンディングのナレーションでは、クイズ番組で活躍を重ねる人でなくても勝てることが強調された。
第9回の決勝戦は、第10回までの最長の収録時間で、挑戦者が誤答を連発してなかなか決着しなかったという。
クイズ王(優勝者) 金子孝雄
金子孝雄
埼玉大学クイズ研究会所属。愛称は、顔が似ていることから「林真理子」。優勝時の年齢が歴代最年少。
成田で敗者復活(を経験した優勝者は初)、アルバカーキのバラマキクイズではハズレを何度も引き当てた結果、背後に次の回答者(後楽園の敗者復活者)が迫り間違えれば敗退確実という状況でのラスト抜け、アトランティックシティではクイズの正解数最多ながらカードに恵まれずドボンを連発し本戦敗退するも敗者決定戦のスロットマシーンで777を出し勝利、ドーバーでも最後に通過したためドーバー横断○×クイズでは座席が残った側の飛行機に乗り結果正解するなど運に恵まれた部分もあった。
しかしロサンゼルスの3択クイズでは同率でトップ通過、アナポリスでは早々にトップ通過。早押しクイズでは安定しておりいずれも上位~中位で通過。
新宿駅前の旅館を営む若旦那。日本大学出身。183㎝の長身で、コンピュータ予想では常時トップにいたが、グァムの敗者復活戦では残り最後1つに辛くも滑り込んだり、オルバニーでのパラマキクイズでは早々にリーチをかけながら3ポイント目を取るのに苦戦。
優勝決定後はグリニッジ・ビレッジ・ハイスクール・バンドの学生たちによる万歳三唱で讃えられ、騎馬を組まれ盛大に祝われた。