準優勝者 間下友美子
優勝賞品 ニューヨークの最高級ホテル・エセックスハウス宿泊権
第3回(1979年)
番組テーマ曲が今大会から「スタートレックのテーマ」となり、番組内で使われる他の楽曲の多くも今大会から使用された。早押しテーブルなどの機材も今大会のものが基本になっているものが多い。勝ち抜き時の『○○行き決定!』スーパーもこの大会から登場した。
体力系のクイズが行われ始め、バラマキクイズやダイビングクイズ(ドボンクイズ)など、その後の番組の代名詞になるようなクイズが初登場し、クイズ形式の基礎が確立された。ルートは第1回よりも更に南側のコースとなり、ロサンゼルスとフロリダ半島に初上陸した。また、機内トップの挑戦者が途中で敗退、途中で女性が全滅、全編を通じて敗者復活戦が行われなかったのは、いずれも今大会が初めてである。
クイズ王(優勝者) 宗田利八郎
準優勝者 田上滋
優勝賞品 競走馬一頭
競走馬一頭
ヒューストンまで進出した女性挑戦者の名前「千春」から「サウザンド・プランタン」(英語の「サウザンド」とフランス語の「プランタン」を組み合わせた造語)と命名。
第4回(1980年)
視聴率は歴代2位を記録。成田での敗者復活戦が今大会から始まり、ジャンケンに負けた人にも国外脱出のチャンスが与えられるようになった。また、どろんこクイズが初登場、更に通せんぼクイズの前身・通過クイズが登場し、各クイズ形式にも一ひねりを入れ始めた。ルートでも横断の要素に加え縦断の要素が強い回となる。
準決勝では全大会で唯一、プエルトリコ自治連邦区に上陸した。そのプエルトリコに駒を進めたのは、4名とも女性でグァムから勝ち抜いて以降、誰一人脱落しなかった(うち1名は、歴代唯一の夫婦そろってアメリカ本土上陸を果たした夫婦の妻だった)。歴代で唯一、男性が途中で全滅する[8]とともに、女性がクイズ王となった大会であり、決勝戦は初めてクイズ番組未経験者同士の対決となった。
この回から第1問は自由の女神関連問題で定着するようになった。
クイズ王(優勝者) 上田由美
上田由美
本番組唯一の女性優勝者で、本番組以外のクイズ番組出場経験はなし。
成田のジャンケンで対戦相手からもらったハチマキを締めて以降のクイズに臨んだことから「ハチマキ娘」と呼ばれる。
当初、コンピュータ予想の評価は高くなかったものの、イエローストーン以降は全てトップ通過で決勝まで進出。
クイズ番組ファンという一家の末っ子で、共に後楽園予選を通過した兄は成田で、姉はサイパンで敗退。本人もサイパンで敗れたものの、敗者復活。
国際電話連想クイズでは姉のサポートを受けて勝ち抜け、クイズ番組初挑戦ながら決勝まで勝ち残った。