第5回(1981年)
第1問が球場前で発表されるようになった。アメリカ以外の国であるメキシコに上陸した初めての回である。大会5周年を記念して近畿日本ツーリストがメキシコ国内3つのCPを進呈したため前期ウルトラクイズの中では最もチェックポイントの多い大会となった。
以後、第6回を除き、第7回以降アメリカ以外の国へ上陸することが定着した。勝ち抜き時の『○○行き決定!』のゴシック体のスーパーが初登場、第6回では使用されなかったが第7回以降定着する。
空席待ちクイズ、奇襲クイズ、通せんぼクイズが初登場。一方、罰ゲームはますます厳しくなり、「72歳の老婆と強制的に結婚」(ラスベガス)、「闘牛」(メキシコシティー)、「イグアナのフルコース料理を食べる」(テオティワカン)、「スカイダイビング」(フェニックス)などが登場、その厳しさに批判的な意見が新聞(読売新聞など)の投書欄に出るようになった。 また、司会者の一次予選開始のフレーズ「みんな!ニューヨークへ行きたいかーっ!!」も初登場した。
準決勝地ノックスビルで行われた「通せんぼクイズ」は前期ウルトラクイズで最も激しい戦いが繰り広げられ、第13回・準決勝の激戦が行われるまでは大会最大の名勝負と位置付けられていた。 後にウルトラクイズの総集編特別番組「ウルトラクイズ・史上最大の傑作選」(1986年6月19日放送)の中で、歴代名勝負として紹介されている。
クイズ王(優勝者) 真木法男
真木法男
中央大学の学生。番組初の現役大学生クイズ王。クイズ番組の優勝経験が複数回ある実力者であったが、サイパンでの敗者復活を皮切りにテオティワカンとフェニックスで苦戦しラスト通過、腹痛にも悩まされた末、全大会で唯一となる決勝以外で一度もトップ通過が無かった優勝者。
細身の体形と眼鏡をかけていたことから「メガネカマキリ」と通称。優勝した後は「石油王」。
準優勝者 杉山眞
優勝賞品 テキサスの油田採掘権
第6回(1982年)
成田第二次予選ではクイズ(ただしジャンケンで3勝した挑戦者が解答権優先)が行われた。ルートはアメリカのみだったが、常夏のサイパンから極寒のアラスカへと駒を進めるといった工夫がなされた。双子神経衰弱クイズが初登場。今大会から早押しクイズの効果音(解答権取得・正解・不正解)がアナログ音から電子音に変更された。勝ち抜き時の万歳三唱もこの大会から定着する。
司会の福留が旅の途中で食中毒になったことや、制作費の一部を持ったADが強盗に襲われ、またそのADが優勝賞品の旅行のロケに同行中に体調を崩し、帰国後赤痢に感染していたことが判明、本人と優勝者らが保健所に行く事態になるなど事件が多発したことから、福留自身「呪われた回」と述べている。
優勝旗返還が2年ぶりに登場(前大会は第4回クイズ王・上田由美が不参加のため行わず)。前大会クイズ王・真木法男と共に北川宣浩と宗田利八郎も入場、以後「歴代クイズ王の入場パレード」は恒例となる。
クイズ王(優勝者) 高橋直樹
高橋直樹
父親が経営する会計事務所勤務。体重が100キロという巨漢であることから、愛称は「トドさん」。強気な姿勢にもかかわらず準決勝までトップ通過はなく、サイパンの空席待ちクイズでは残り2席の状態で通過、ニューオリンズの双子神経衰弱ではラストで通過するなど苦戦も。
準優勝者 高木剛
高木剛
青山学院大学の学生。愛称は「田舎っぺ」ということから「カッペ」、準決勝以降は「パンプキン」。
コンピュータ予想では常時トップにいて、ほとんどのチェックポイントを上位で通過。しかし決勝戦ではほぼ逆転不可能な状態まで点差が開いた。
優勝賞品 世界一周の旅
世界一周の旅
途中ドバイ国際空港では無許可撮影でスパイ容疑をかけられ逮捕拘禁された。その後出国を許されことなきを得たが、このハプニングは放映されなかった。
第7回(1983年)
福留が「歴代ベスト」と評した大会。参加者が1万人を突破し、視聴率も歴代で最高を記録した。
敗退後も「あの岩瀬の仲間の」と福留の言葉に登場したほど名前を記憶されていた岩瀬明彦(No.7、レイクパウエルで敗退)をはじめ、番組のムード盛り上げに貢献した挑戦者が複数存在し、多くが終盤、最終週まで勝ち残った。
今大会からサポートアナウンサーが同行するようになり、第8回までは石川牧子が担当した。綱引きクイズとダブルチャンスクイズが初登場。ルートはアメリカ合衆国本土への上陸の前と途中(ナイアガラの滝)でカナダを経由、番組では初めてカナダへ上陸した(正確には、第2回でナイアガラの滝を訪れているので、カナダ経由は2回目である)。
スタジオの電飾ルートのセット形式(CPからCPの丸みのあるフォルム)がこの回より定着する。 全大会で唯一、大陸上陸後に急病による脱落者が発生した。また、前年末に開催された『史上最大の敗者復活戦』の優勝者がシード権によりグァム空港から参加したが、合流クイズで機内最下位同点の挑戦者に敗れ敗退した。
部品の状態で渡され、自分で組み立てなければならなかった。