田中将大  グローブに縫った言葉は「気持ち」イチローのThink Baseballと江夏豊ばりの剛直さを併せ持つ最強のエース
2020年6月20日 更新

田中将大 グローブに縫った言葉は「気持ち」イチローのThink Baseballと江夏豊ばりの剛直さを併せ持つ最強のエース

『もし誰にも負けないというものがあるとしたらなんですか?』と聞かれると「気持ちです」と答え、グローブには「気持ち」と刺繍を入れている。とにかく気持ち、とにかく自信!!「マウンドに上がれば自分を疑うことはありません」「自分が自分を信じてあげないと相手と戦えないし、チームから信頼を得ることもできない」

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Thinking 野球

 (2194230)

1988年11月1日、兵庫県伊丹市出身。
小学校1年生のとき、校庭で野球をする上級生に目が釘づけになり、軟式少年野球チーム「昆陽里タイガース」に入った。
「野球をやりたいといい始めて・・・
あまり体も強くなかったし体も鍛えられて友達もできていいかなという感じで・・・」
(父:田中博)
練習は1日も休まず通った。
よいプレーをするとニコニコ笑って、ますます野球に夢中になっていった。
「一に野球、二に野球。
野球ばっかりやったもんね。
野球の話がまずあって、勉強ももうちょっとがんばりよくらい・・・」
(母:田中和美)
右投げ右打ち。
ポジションはキャッチャー。
小学2年で2塁への盗塁をさすほど肩が強かった。
打順は4番。
本塁打を連発し、何度も校舎の窓を直撃しかけた。
6年生で県大会で準優勝。
とにかく野球。
田中将大は野球が大好きだった。
「これだけは変えられない。
これだけはずっと持っていないといけないというものを大事に。
ブレてはいけない。
絶対に軸がないとダメです」

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中学になるとボーイズリーグの宝塚ボーイズに入団し硬式野球を始めた。
奥村幸治監督は20代の頃、3年間、バッティングピッチャーとしてプロ野球の世界を経験した。
そして自分のバッティングについて考え続けるイチローをみた。
「イチロー選手は、毎日、野球をやりながらどうしたら野球が上達する考え方ができるかということを求め続けているんです。
こういう考え方でやれば自分の技術は絶対よくなるよねっていうことを常に求めているので、それはすごく勉強になりました」
(奥村幸治)
そして超一流の選手が持つ高い意識や考え方を子供たちに伝えようとした。
練習で同じミスを繰り返すと声を荒げ、その場で子供たちに話し合わせた。
子供たちは輪になって意見をいい合ったが、田中将大も率先して発言した。
キャッチャーだった田中将大は守備練習で奥村幸治の隣にいることが多く、何かあると監督がいう前に指示を出した。
「僕が指示する前に将大がいうんです。
もう『監督にいわれるな』っていう意識が強かったと思います。
私にいわれて嫌な雰囲気になるのが嫌いだったと思うんですよ。
やっぱり自分たちでいい雰囲気をつくって自分たちでいろんなことを考えてやろうとしていたと思います」
(奥村幸治)
また田中将大は強肩を買われキャッチャーだけでなくピッチャーも兼任するようになった。
そして3年生のとき関西南選抜チームに選出された。

田中将大かハンカチ王子か

 (2194231)

駒澤大学附属苫小牧高校に進学。
「高校に進学するとき北海道にいくことには何の迷いもありませんでした。
どこで野球をしたいかということだけを考え自分で選んで進んだ道です」
1年生の秋、明治神宮野球大会1回戦の新田高戦ではキャッチャーとして、準々決勝の羽黒高校戦ではピッチャーで出場。
チームは準々決勝で敗退した。
2年生の夏の甲子園では25回2/3を投げ優勝。
決勝戦の最後の1球は150㎞/hのストレートだった。
チームは2連覇を果たした。
3年生が引退後、エースで主将となり、秋季北海道大会では5試合中4試合で本塁打を放ち、決勝戦は13点差のブッチギリで優勝。
明治神宮野球大会でも北海道勢として初めて決勝に進出し優勝。
春の甲子園でも優勝候補に挙げられたが、部員の不祥事により出場辞退となった
 (2194236)


駒澤大学附属苫小牧高校にとって第88回高校野球選手権大会は夏の甲子園3連覇がかかっていた。
そして決勝戦で、ハンカチ王子:斎藤佑樹を擁する早稲田実業高等学校と対戦。
田中将大は3回途中からリリーフ登板して延長15回まで1失点。
両チーム8回に1点ずつ取り合い、その後は共に得点することができず、延長15回で大会規定により引き分け再試合となった。
斎藤佑樹は、西東京大会決勝で日大三を相手に延長11回を投げ、5対4でサヨナラ勝ち。
甲子園初日第2試合、鶴崎工(大分)との1回戦では9回でマウンドを譲ったが、2番手ピッチャーが1アウトも取れず、再登板し13対1。
「西東京大会の決勝が7月30日。
その1週間後に開幕日の試合だったので、正直にいえば回復していなかったですね。
調子は良くなかった」
2回戦で同年の春の選抜で優勝した横浜を11対6で圧勝した大阪桐蔭と対戦。
大阪桐蔭の4番、2年生の中田翔は、その試合でバックスクリーン左に特大の1発を見舞った。
しかし斎藤佑樹は中田翔から3奪三振。
チームも11対2で大勝した。
ポケットから青いハンカチを取り出して汗を拭い、涼しい顔で強敵をなぎ倒していく王子様に人々は酔いしれた。
「大会中は特に感じなかったんです。
終わってからですね。
大変なことになっているとわかったのは。
人から『ハンカチだ!』って呼ばれるのはイヤなものでしたよ。
人を呼ぶ言葉じゃないでしょ? 
『ハンカチ』って。
使わなきゃ良かったと思ったことだってありますよ、そりゃ」
斎藤佑樹が西東京大会から使用していた青いハンカチタオルは、大阪市中央区に本社を置くニシオ株式会社が製造したもので、大きさは2.5㎝×2.5㎝、「GIUSEPPE FRASSON(ジョゼッペ・フラッソン)」というロゴが入り、定価は400円。
しかしすでの生産が終了しており、ネットオークションでは10000円の値がついた。
また株式市場でハンカチ関連銘柄が買われるなど、「ハンカチ王子」は1種の社会現象となった。

斎藤佑樹 vs 田中将大-koshien 2006

田中将大か斎藤佑樹か。
大(田中将大は188㎝)か小か
剛速球か技巧派か
剛か柔か
自信か謙虚か
庶民派かハンカチ王子か
好みは分かれ、ファンは反目し合ったが、当の本人たちは
「マー君」
「佑ちゃん」
と呼び合っていた。
再試合で斎藤佑樹は先発し無四球13奪三振で被安打6、3失点。
田中将大は1回2アウトで1点を失ってから登板し7回1/3を投げて3失点。
3対4で迎えた9回2アウト、打席に入った田中将大は斎藤佑樹に空振り三振。
1回の1点が勝負の分かれ目になった。
秋ののじぎく兵庫国体で、1回戦の13奪三振、無失点を含め、3試合24イニング無失点。
決勝戦で早稲田実業高等学校と対戦し斎藤佑樹にヒットを打たれ0対1で敗れた。
高校時代の公式戦通算成績は、57試合(329回2/3)35勝3敗。
防御率1.31。
横浜高等学校の松坂大輔を上回る458奪三振。
打者としても13本塁打。
「怪物」「最強エース」などといわれた。
2006年、田中将大はドラフト会議で、北海道日本ハムファイターズ、オリックス・バファローズ、横浜ベイスターズ、東北楽天ゴールデンイーグルスから1位目指名を受けた。
そして抽選の結果、楽天ゴールデンイーグルスが交渉権を獲得。
田中将大は東北楽天イーグルスに入団した。
2年前に創設され、2年連続最下位のチームだった。

2年前に誕生し2年連続最下位中の東北楽天ゴールデンイーグルス へ

 (2194240)

田中将大がプロになる3年前、プロ野球は球界再編問題に揺れ、近鉄バッファローズが消滅し、東北楽天ゴールデンイーグルスが創設された。
2004年5月、経営難の近鉄にオリックスが話を持ち掛け、合併が進んでいることが発覚するとファン、特に近鉄ファンは猛反対した。
巨人オーナー:渡邉恒雄、西武ライオンズオーナー:堤義明、オリックスオーナー:宮内義彦などは、問題の背景に不景気があり、財政難で苦しむ球団を救済する意味でも
「12球団2リーグ制」
から球団数を1リーグ制で行うという
「8~10チーム1リーグ制」
というプランを提起した。
オリックス・近鉄に続き、西武・ダイエー、西武・ロッテ、中日・ヤクルト、阪神・広島の合併交渉も水面下で進み「第2の合併」と呼ばれた。
プロ野球選手会は、球団数が減ることで選手がリストラされることを懸念し、2リーグ12球団制の維持を望んだ。
この状況に、IT企業:ライブドアのホリエモンこと堀江貴文社長は、近鉄の買収に名乗りを上げた。
しかしオリックスと近鉄は合併。
ライブドアはプロ野球への新規参集、つまり新チームを立ち上げることを目指した。
選手会も、2リーグ12球団制の存続のため新規球団参入を求め、プロ野球機構と数度、交渉したが確約を得ることができなかった。
9月18日、19日、選手会は2日間にわたって日本プロ野球史上初のストライキを決行した。
その後、両者は交渉を重ね、2リーグ12球団制と新規参入で合意。
またライブドアに続き、楽天がプロ野球新規参入を宣言。
認められるのは1チームのみ。
2つのIT企業は露骨に競い合った。
ライブドアは、かねてから近鉄買収に名乗りを上げ、
「近鉄の救世主」
といわれ、その後も楽天よりも1ヶ月近く早く東北地方で球団を設立することを表明し、準備を進め、地元の支持者が多かったが、プロ野球実行委員会は
「健全な経営が行われている」
「資金力が勝っている」
という理由から楽天を選んだ。
 (2194243)

こうして新しいプロ野球チームが宮城県仙台市に誕生した。
本拠地は、宮城県仙台市にある楽天生命パーク宮城(楽天生命パーク)
チーム名は、「東北楽天ゴールデンイーグルス」、通称:「楽天イーグルス」、あるいは「東北楽天」
監督は、田尾安志だった。
「イヌワシ(ゴールデンイーグル)は東北6県に生息し、優雅に飛んで、狙った獲物を外さない。
いい名前だと思う。
長いので『楽天イーグルス』と呼んでもらいたい」
(楽天の創業者で社長の三木谷浩史)
11月8日、オリックスバファローズ(近鉄・オリックスの合併後のチーム)と楽天イーグルスで選手分配ドラフトが行われた。
まずオリックスバファローズがプロテクト枠(旧オリックス、旧近鉄から選抜した主力25人)を確保。
次に楽天が、外国人選手、FAを行使した選手、入団2年目までの選手を除く全選手の中から20人を選抜。
次に入団2年目までの選手を加えた全選手の中からオリックスバファローズが20人を選抜。
次に楽天が20人選抜。
このように分配が進んでいき、最後まで指名されずに残った選手はオリックスバファローズとなり、40選手の楽天イーグルス入りが決まった。
プロテクト枠入りを打診されて拒否する近鉄選手もいた。
オリックスバファローズは基本的にその意志を尊重したが、近鉄のエースだった岩隈久志だけは手放そうとしなかった。
11月17日、楽天イーグルスは、初のドラフト会議に参加し、大学、社会人から6選手を指名した。
また山﨑武司、関川浩一、飯田哲也など、自由契約となった選手、他球団からの無償トレードで選手を獲得。
オリックスバファローズに入団拒否していた岩隈久志も、金銭トレードで楽天イーグルスに入った。
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1年目

2005年、楽天イーグルスは沖縄県久米島での春季キャンプで本格始動。
2月26日初のオープン戦となる巨人戦を4対3で勝利。
3月26日、開幕戦で千葉ロッテマリーンズと対戦し、岩隈久志が完投し3対1で勝利。
3月27日、ロッテ第2戦で0対26の大差で敗北し、その後4連敗。
4月1日、本拠地初戦となる西武ライオンズ戦で1回、先頭打者の礒部公一がバックスクリーン直撃の球団初ホームランを放ち、16対5で2勝目。
しかしその後、11連敗。
5月、この年から始まったセ・パ交流戦は11勝25敗で最下位。
7月、10勝9敗1分けで球団初の月間勝ち越し。
8月、シーズン2度目の11連敗。
そして最下位が決まった。
9月25日、最終戦終了後、田尾安志監督解任。
38勝97敗1分。
勝率.281。
大差で負ける試合が多く、5位の日本ハムとは25ゲーム差、1位のソフトバンクとは51.5ゲーム差。
「2軍の寄せ集め」
新監督となった野村克也がいうように他球団との戦力差は明らかだった。

2年目

2006年、野村克也監督は、弱者の戦略として「無形の力を養おう!」をスローガンに掲げた。
西武を自由契約となったホセ・フェルナンデス、横浜からセドリック・バワーズ、台湾からは林英傑、元ロッテのリック・ショートを獲得。
リーグ戦開幕直前には、練習グラウンド、室内練習所、合宿所が完成した
3月25日、開幕戦の日本ハム戦は、岩隈が故障のため前年2勝の一場が先発し、開幕から5連敗。
3月31日、福岡ソフトバンクホークス戦で初勝利。
5月、交流戦では、ヤクルトスワローズでのノーヒットノーラン負けを含め17勝19敗で7位。
8月、オリックスに3連勝。
9月23日、開幕から5位以上となることなく2年連続最下位が決定。
47勝85敗4分。
5位のオリックスとは4.5ゲーム差。
前年は25ゲーム差だった。
9月25日、ドラフトで、日本ハム、オリックス、横浜と共に夏の甲子園で準優勝した駒大苫小牧の田中将大を1位指名。
抽選で交渉権を獲得した。

グローブに「気持ち」と刺繍

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