1981年の大ヒット曲、イモ欽トリオの『ハイスクールララバイ』
「ハイスクールララバイ」は、フジテレビ系バラエティ番組『欽ドン!良い子悪い子普通の子』から誕生した、山口良一(ヨシオ)、西山浩司(ワルオ)、長江健次(フツオ)の3人からなるユニット『イモ欽トリオ』のデビューシングル。
1981年8月5日発売。
1981年8月5日発売。
イモ欽トリオ ハイスクール・ララバイ (1981) 2 - YouTube
via www.youtube.com
『ハイスクールララバイ』は売り上げ160万枚のミリオンセラーを記録。
売り上げ160万枚のミリオンセラーを記録。
TBSの『ザ・ベストテン』においては8週連続第1位を達成。
1981年9月17日放送の1位獲得時には、瞬間最高視聴率41.7%(ビデオリサーチ調べ・関東地区)を記録した。
TBSの『ザ・ベストテン』においては8週連続第1位を達成。
1981年9月17日放送の1位獲得時には、瞬間最高視聴率41.7%(ビデオリサーチ調べ・関東地区)を記録した。
欽ドンから生まれた『イモ欽トリオ』
イモ欽トリオ(イモきんトリオ)
1981年4月、フジテレビで放送されていたバラエティ番組「欽ドン!良い子悪い子普通の子」にレギュラー出演していた、ヨシオ役の山口良一、ワルオ役の西山浩司、フツオ役の長江健次の三名で結成されたユニット。
近年増えるバラエティー番組から誕生する企画ユニットの元祖的存在。
ユニット名の由来は、当時人気だった「たのきんトリオ」と「YMO」にあやかってのこと。「YMO」を「イモ」と読んでユニット名に採用したのは萩本欽一のアイデア。
また、長江は「たのきんトリオよりイモ臭いから」という発言もしている。
近年増えるバラエティー番組から誕生する企画ユニットの元祖的存在。
ユニット名の由来は、当時人気だった「たのきんトリオ」と「YMO」にあやかってのこと。「YMO」を「イモ」と読んでユニット名に採用したのは萩本欽一のアイデア。
また、長江は「たのきんトリオよりイモ臭いから」という発言もしている。
via blogs.c.yimg.jp
『イモ欽トリオ』はいつ解散したの?
1982年3月、長江が大学受験専念を理由に「欽ドン!」を卒業、同時にユニットを脱退。
「欽ドン!」ではコーナー存続のため、二代目のフツオに後藤正を抜擢した。
3rdシングル『ティーンエイジ・イーグルス』もリリースしたが、初代のフツオほどの人気は得られなかった(このシングルを最後にイモ欽トリオとしての音楽活動は凍結した)。
後藤は放送期間中の1983年5月に番組を降板し、同時に芸能界を引退してしまったため、急遽三代目フツオを一般から募集して選出するオーディションが行われることになった。
しかしフツオに相応しい人材を絞り切れず、最終選考に残った三名を暫定仮採用として番組コーナーに出演させ、演技やアドリブなどを競わせたのちに決定するとした。
三名はそれぞれ「フッ君」「ツッ君」「オッ君」と呼ばれ、数週間コーナーに出演。
最終的にオッ君役だった境田晃一が三代目フツオに決定し、1983年3月にリニューアルした『欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子』に起用された。
しかし、番組以外で「イモ欽トリオ」の活動をすることは無くなった。
「欽ドン!」ではコーナー存続のため、二代目のフツオに後藤正を抜擢した。
3rdシングル『ティーンエイジ・イーグルス』もリリースしたが、初代のフツオほどの人気は得られなかった(このシングルを最後にイモ欽トリオとしての音楽活動は凍結した)。
後藤は放送期間中の1983年5月に番組を降板し、同時に芸能界を引退してしまったため、急遽三代目フツオを一般から募集して選出するオーディションが行われることになった。
しかしフツオに相応しい人材を絞り切れず、最終選考に残った三名を暫定仮採用として番組コーナーに出演させ、演技やアドリブなどを競わせたのちに決定するとした。
三名はそれぞれ「フッ君」「ツッ君」「オッ君」と呼ばれ、数週間コーナーに出演。
最終的にオッ君役だった境田晃一が三代目フツオに決定し、1983年3月にリニューアルした『欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子』に起用された。
しかし、番組以外で「イモ欽トリオ」の活動をすることは無くなった。
長江健次の破門説について
長江健次は約1年半のイモ欽トリオでの活動後、大学受験のために脱退。
大阪芸術大学に通いながら、明石家さんま(「MBSヤングタウン」)や笑福亭鶴瓶(「突然ガバチョ!」)などの人気者と共演、大阪を中心に活動の場を広げた。
「欽ちゃんファミリーの一員だったのに、勝手に大阪に帰り、仕事を再開したと思われたんだわ。マスコミには“欽ちゃんファミリーから破門された”とか書かれた。若かったんやね。そうか、だったら自分の力でやったる、欽ちゃんには頼らへん、『ハイスクールララバイ』は二度と歌わへんし、フツオも使わへん、と意固地になったわけ。今にして思えば、ひとりで強がってただけ。カッコ悪いったら、ありゃしない」と当時について語っている。
大阪芸術大学に通いながら、明石家さんま(「MBSヤングタウン」)や笑福亭鶴瓶(「突然ガバチョ!」)などの人気者と共演、大阪を中心に活動の場を広げた。
「欽ちゃんファミリーの一員だったのに、勝手に大阪に帰り、仕事を再開したと思われたんだわ。マスコミには“欽ちゃんファミリーから破門された”とか書かれた。若かったんやね。そうか、だったら自分の力でやったる、欽ちゃんには頼らへん、『ハイスクールララバイ』は二度と歌わへんし、フツオも使わへん、と意固地になったわけ。今にして思えば、ひとりで強がってただけ。カッコ悪いったら、ありゃしない」と当時について語っている。
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『イモ欽トリオ』の再結成
『欽ドン!』終了後も現在までに、オリジナルメンバーで幾度か再結成し、テレビ番組に出演することがある。
2007年の24時間テレビでは、萩本欽一のマラソン応援の為にメンバーが集結したが、山口が寄席の為出演できず、勝俣州和が山口の代理として『ハイスクールララバイ』を披露した。
2007年の24時間テレビでは、萩本欽一のマラソン応援の為にメンバーが集結したが、山口が寄席の為出演できず、勝俣州和が山口の代理として『ハイスクールララバイ』を披露した。
2008年には復活ライブを開催
2008年11月8日、「欽ドン!良い子悪い子普通の子」のDVD発売記念イベントに三人が参加。
ヨシオこと山口良一(53)、ワルオこと西山浩司(47)、フツオこと長江健次(44)は
当時と同じ制服姿で登場。40歳前後の女性たちから大きな拍手を浴びた。
ヨシオこと山口良一(53)、ワルオこと西山浩司(47)、フツオこと長江健次(44)は
当時と同じ制服姿で登場。40歳前後の女性たちから大きな拍手を浴びた。
via www.sanspo.com
イモ欽トリオ ハイスクール・ララバイ (2014年12月) - YouTube
2014年12月31日、テレビ東京系『第47回年忘れにっぽんの歌』(午後5:00~9:30)に生出演。
オリコン7週連続1位を獲得したヒット曲「ハイスクールララバイ」を熱唱した。
オリコン7週連続1位を獲得したヒット曲「ハイスクールララバイ」を熱唱した。
via www.youtube.com
2014年7月、神戸チキンジョージで行われた長江の50歳を記念したライブ『長江健次生誕50周年記念LIVE「健次の五十路」〜今回はバンドでやっちゃいます〜』に山口と西山がゲスト出演。
ハイスクールララバイ2015 - YouTube
2015年1月24日には同店で「イモ欽トリオ」名義のライブを行った。「イモ欽トリオ」名義で有料でライブを行ったのは初めてである。
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【おまけ】吉澤ひとみ、安倍なつみ、松浦亜弥による『ハイスクールララバイ』
ハイスクールララバイ - YouTube
via www.youtube.com
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制作にあたっては作詞を松本隆、作曲・編曲を細野晴臣のヒットメーカーに依頼した。当時流行していたテクノポップと歌謡曲の要素を上手く取り入れた楽曲は時代の波に乗り、企画ものとしては異例の大ヒット。