2005年1月30日、両国国技館で断髪式
貴ノ浪の断髪式
引退相撲の歴史を見ても屈指の数と言える400人以上もの来訪者が鋏を入れた。この式にはライバルの武蔵丸親方(元横綱武蔵丸)、当時入退院を繰り返していた師匠の二子山親方も、病院から訪れて髷に鋏を入れると、貴ノ浪は堪えきれずに涙を流し、来場者の感動を呼んだ(その4か月後の5月30日に二子山親方は口腔底癌で死去、貴ノ浪の引退相撲が最後の公の姿となった)。最後の留めバサミを入れたのは、一代年寄の貴乃花親方だった。
via www7.ocn.ne.jp
貴ノ浪(音羽山親方)の人柄を示すエピソード
◆身長は公称196cmだが、本人曰く実際は2mあるという。「2mなんて、怪物みたいで嫌だから」という理由で身長測定の際に姿勢で誤魔化して196cmとしていた。
◆土俵上では、取り組み中に落ちたさがりを足で蹴飛ばした事がある。
◆相撲以外でもNFLに関する知識が深く、スポーツ番組のNFLコーナーにも出演したことがある。
◆プロ野球・千葉ロッテマリーンズ、Jリーグ・浦和レッドダイヤモンズのファンを公言していた。
◆ダーツの腕前はかなりなもので、現役時代、場所中でもダーツの練習を欠かすことは稀であった。
◆プレイステーションを始めとするテレビゲームにも造詣が深い。
◆尊敬する力士は元関脇の琴富士であったが、その理由は、ギャグとカラオケのレパートリーが多いからだとのこと。なお、琴富士の事を師匠とまで呼んでいた。
◆土俵上では、取り組み中に落ちたさがりを足で蹴飛ばした事がある。
◆相撲以外でもNFLに関する知識が深く、スポーツ番組のNFLコーナーにも出演したことがある。
◆プロ野球・千葉ロッテマリーンズ、Jリーグ・浦和レッドダイヤモンズのファンを公言していた。
◆ダーツの腕前はかなりなもので、現役時代、場所中でもダーツの練習を欠かすことは稀であった。
◆プレイステーションを始めとするテレビゲームにも造詣が深い。
◆尊敬する力士は元関脇の琴富士であったが、その理由は、ギャグとカラオケのレパートリーが多いからだとのこと。なお、琴富士の事を師匠とまで呼んでいた。
現役引退後も明るいキャラクターで解説や更新指導に活躍
引退時から年寄音羽山を名乗り、貴乃花部屋付きの親方として指導に当たった。協会の業務など外回りで多忙な貴乃花に代わって部屋の稽古指導にあたることが多かった。
2006年1月末に体調を崩し、心房細動、敗血症、重症肺炎などを併発し緊急入院。一時心停止に陥るほど生命の危機を彷徨ったが、その後回復し3月30日に無事退院した。5月7日からの5月場所で現場復帰。同年9月場所からNHK大相撲中継の解説にも復帰し、影の広報部長ぶりを発揮した。
これまで影の広報部長と言われることが多かったが、2012年2月には記者クラブ担当として広報部へ異動したため、本物の広報部員になった。
2006年1月末に体調を崩し、心房細動、敗血症、重症肺炎などを併発し緊急入院。一時心停止に陥るほど生命の危機を彷徨ったが、その後回復し3月30日に無事退院した。5月7日からの5月場所で現場復帰。同年9月場所からNHK大相撲中継の解説にも復帰し、影の広報部長ぶりを発揮した。
これまで影の広報部長と言われることが多かったが、2012年2月には記者クラブ担当として広報部へ異動したため、本物の広報部員になった。
via www.nhk-g.co.jp
2014年5月場所は体調不良により初日から全休。
当初は胃潰瘍と公表されていたが、この休養が胃癌と診断されて手術を受けての休養であったことが後に判明している。
当初は胃潰瘍と公表されていたが、この休養が胃癌と診断されて手術を受けての休養であったことが後に判明している。
via rubese.net
2015年(平成27年)6月20日午前、仕事滞在先の大阪市内のホテルで倒れているのが発見され、救命処置を受けたが急性心不全のため死去。
日本人離れした豪快な取り組みと、影の広報部長と呼ばれた明るい人柄で多くの人に愛された元大関・貴ノ浪(音羽山親方)。
ご冥福をお祈りします。
日本人離れした豪快な取り組みと、影の広報部長と呼ばれた明るい人柄で多くの人に愛された元大関・貴ノ浪(音羽山親方)。
ご冥福をお祈りします。