「パリーンッ」からのストーン・コールド入場!
Stone Cold Steve Austin Theme Song Download - YouTube
via www.youtube.com
via ks.c.yimg.jp
ストーン・コールド・スティーブ・オースチン
テキサスのガラガラ蛇
ストーン・コールド・スティーブ・オースチン(Stone Cold Steve Austin、1964年12月18日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー、俳優。元WWE所属。テキサス州ビクトリア郡生まれ。出生名はスティーブ・ウィリアムスであったが2007年に本名もスティーブ・オースチン(Steve Austin)と改名。
テキサスのガラガラ蛇(Texas Rattlesnake)、最凶のタフ野郎(Toughest Son of a Bitch)など数々の異名を持つ。SCSAと略されることもある。
テキサスのガラガラ蛇(Texas Rattlesnake)、最凶のタフ野郎(Toughest Son of a Bitch)など数々の異名を持つ。SCSAと略されることもある。
かつては新日本プロレスにも参戦
1990年代後半を代表するスーパースターであり、WWEアティテュード路線時代の象徴レスラーである。パンチを連打する荒くれ者としてのイメージが強いが、実際はリング上でのテクニックも非常に高い。
Steve Austin vs Masahiro Chouno 1992 Japan - YouTube
via www.youtube.com
WWF入団~
ECWでの活躍に目をつけたビンス・マクマホンにスカウトされ1995年WWFと契約。リングマスターのニックネームでテッド・デビアスをマネージャーに迎え、技巧派のヒールとしてデビューしたが人気が出なかった。
その後オースチンの感情をそのまま出すことができるキャラクター、ストーン・コールド・スティーブ・オースチンへとギミックを変更。スキンヘッドにし、缶ビールをリング上で飲み、相手に中指を立て、連続殺人犯をモチーフとした凶暴で手をつけられないキャラクターは単なるヒールレスラーではなく、邪魔をする者は誰でも叩きのめすというキャラクターであり人気が出た。
1997年にはブレット・ハート率いるハート・ファウンデーションと抗争。ロイヤルランブルでの優勝も成し遂げる。WrestleMania 13でのブレットとの試合は名勝負として名高く、オースチン、ブレットともに生涯のベストマッチとしてこの試合をあげている。1997年8月、サマースラムにおけるオーエン・ハート戦で首を負傷。後の長期欠場、引退の引き金となった。
1998年のWrestleMania XIVに向けたストーリーではマイク・タイソンを挑発。同大会でWWF世界ヘビー級王座を初戴冠した。この年以降始まるWWFのアティテュード路線でオースチンはWWF社長のビンス・マクマホンと抗争を繰り広げる。ビンスとの抗争は視聴者が権威や人気に太刀打ちできない実生活の鬱憤を晴らす最高のストーリーとして大ブームを巻き起こし、オースチンが毎週登場するRAWはアメリカケーブルTVで最高視聴率を叩き出した。
1999年のビンス・マクマホン、シェイン・マクマホン、ザ・ロックらの「コーポレーション」との抗争では、製氷車、ビール配送車でリングに登場したり、ザ・ロックのリムジンを破壊するなどして人気を博した。特に、ビール配送車でリングに登場したシーンは、2003年に行われたRAW10周年特番で、ファンが選ぶ10年間の名シーン第一位に輝いている。
1999年後半から首の治療のためサバイバー・シリーズ以降長期欠場(ストーリー上は轢き逃げにあったことになっていた)。2000年のノー・マーシーにてWWF復帰。轢き逃げ犯(リキシ、トリプルH)との抗争ストーリーを経て翌年のWrestleMania X-Sevenに向かう。
宿敵ビンスと結託し、ヒールターンしたレッスルマニア以後も、引き続きWWFの中心キャラクターとして活動を続け、カート・アングルと抗争する。またWWF本隊とWCW/ECW連合軍であるアライアンスの抗争ストーリーでは、アライアンス側に属してビンスらと抗争を行う。
2002年にはWWFで復活したnWoのスコット・ホールらと抗争を行う。しかしながら、長年の活動により首、膝、背中などが故障していたことや、当時WWEがプッシュしていたブロック・レスナーの踏み台になる事に不満を持ち6月に興行をボイコット、二度目であったために懲戒解雇とされた。
1997年にはブレット・ハート率いるハート・ファウンデーションと抗争。ロイヤルランブルでの優勝も成し遂げる。WrestleMania 13でのブレットとの試合は名勝負として名高く、オースチン、ブレットともに生涯のベストマッチとしてこの試合をあげている。1997年8月、サマースラムにおけるオーエン・ハート戦で首を負傷。後の長期欠場、引退の引き金となった。
1998年のWrestleMania XIVに向けたストーリーではマイク・タイソンを挑発。同大会でWWF世界ヘビー級王座を初戴冠した。この年以降始まるWWFのアティテュード路線でオースチンはWWF社長のビンス・マクマホンと抗争を繰り広げる。ビンスとの抗争は視聴者が権威や人気に太刀打ちできない実生活の鬱憤を晴らす最高のストーリーとして大ブームを巻き起こし、オースチンが毎週登場するRAWはアメリカケーブルTVで最高視聴率を叩き出した。
1999年のビンス・マクマホン、シェイン・マクマホン、ザ・ロックらの「コーポレーション」との抗争では、製氷車、ビール配送車でリングに登場したり、ザ・ロックのリムジンを破壊するなどして人気を博した。特に、ビール配送車でリングに登場したシーンは、2003年に行われたRAW10周年特番で、ファンが選ぶ10年間の名シーン第一位に輝いている。
1999年後半から首の治療のためサバイバー・シリーズ以降長期欠場(ストーリー上は轢き逃げにあったことになっていた)。2000年のノー・マーシーにてWWF復帰。轢き逃げ犯(リキシ、トリプルH)との抗争ストーリーを経て翌年のWrestleMania X-Sevenに向かう。
宿敵ビンスと結託し、ヒールターンしたレッスルマニア以後も、引き続きWWFの中心キャラクターとして活動を続け、カート・アングルと抗争する。またWWF本隊とWCW/ECW連合軍であるアライアンスの抗争ストーリーでは、アライアンス側に属してビンスらと抗争を行う。
2002年にはWWFで復活したnWoのスコット・ホールらと抗争を行う。しかしながら、長年の活動により首、膝、背中などが故障していたことや、当時WWEがプッシュしていたブロック・レスナーの踏み台になる事に不満を持ち6月に興行をボイコット、二度目であったために懲戒解雇とされた。
【WWF/WWEの絶対的ヒール】残忍なる知能犯、ザ・ゲームと呼ばれるHHH(トリプルH)! - Middle Edge(ミドルエッジ)
「ザ・ゲーム」WWF/WWEは彼がいなければ始まらない。圧倒的ヒールとして君臨し続ける一方、WWEの団体経営にも力を注ぐHHH(トリプルH)のプロレスキャリアを振り返ってみたい。
WWE Stone Cold Steve Austin & The Rock Sing on Raw 2001 - YouTube
ザ・ロックとの抗争!
via www.youtube.com
WWE時代
2003年にWWEへ復帰するが、同年のWrestleMania XIXにてロックに敗北。レスラーは「引退」してエリック・ビショフと共にRAWの共同GMに就任する。ビショフがヒールのGMを演じたのに対し、オースチンはベビーフェイスのGMを演じた(ただし基本的なギミックは以前から何も変えていない)。
両者は次第に対立し、2003年のサバイバー・シリーズにて行われた敗者追放マッチにて両GM軍が対決した。結果オースチン軍が敗れ、オースチンはGM職を退いた。しかし同年のクリスマスには、RAWの保安官として番組復帰する。
2004年にはWrestleMania XXにてブロック・レスナー対ビル・ゴールドバーグの特別レフェリーを務めたが、契約終了をもって一か月後に再びWWEを離脱。同年に、過去に起こした恋人へのDVにより逮捕された。
2004年にはWrestleMania XXにてブロック・レスナー対ビル・ゴールドバーグの特別レフェリーを務めたが、契約終了をもって一か月後に再びWWEを離脱。同年に、過去に起こした恋人へのDVにより逮捕された。
【神様仏様ロック様!】みんなで合唱した”If you smell what The Rock is cookin’!” - Middle Edge(ミドルエッジ)
アナタも覚えていますよね?歴代のWWEスーパースターのなかでも抜群にカッコよかったザ・ロック。さあご一緒に”Just bring it!!””If you smell what The Rock is cookin’!”
マクマホン一家へのスタナーがさく裂
2005年の10月に行われたRAWの特番、WWE・ホームカミングにおいてマクマホン一家全員にスタナーを食らわせた。またこれをきっかけにしてRAW解説者であるジム・ロス解任ストーリーが始まった。
しかしオースチンは突然WWEを退団し、ジム・ロス解任ストーリーも途中で終了することとなった。この時はPPVでのストーリー内容に不満を持ったと言われていたが、後にWWE側からオースチンの復帰を発表。
2006年4月1日、ブレット・ハートのWWE殿堂入りのインダクターを務めるに際し、久々にWWEへ登場したハルク・ホーガンとの夢の一戦が以前から噂されているが、オースチンはあまり乗り気ではないと言われている。
2006年4月1日、ブレット・ハートのWWE殿堂入りのインダクターを務めるに際し、久々にWWEへ登場したハルク・ホーガンとの夢の一戦が以前から噂されているが、オースチンはあまり乗り気ではないと言われている。
その後もゲスト出演の形で登場
2007年3月頃のRAWにてWrestleMania 23でのビンス・マクマホンvsドナルド・トランプの髪切りマッチの特別レフェリーに選ばれたというギミックで一時的に復帰、ジョナサン・コーチマンにスタナーを浴びせるなど、ストーン・コールドの姿を全世界に見せ付けた。
3月14日のRAWについてはオースチン登場の少し前にザ・ロックがビデオという形だったがタイタントロンに登場した事もあり、WWF時代を思い出させるものになった。また、4月1日当日に行われたWrestleMania 23においても得意技のスタナーを披露するなどして、会場であったフォード・フィールドの8万人の大観衆を沸かせた。
また2008年RAWの15周年記念の回に登場。この日はビンス・マクマホンがRAW15年の歴史でもっとも偉大なスーパースターを発表するということだったが、ビンスは「ビンセント・ケネディ・マクマホン」つまり自分であると発言、これに対しテイカー、マンカインドがビンスを襲撃。
その後オースチンが登場し倒れているビンスを起こして一緒にビールを飲むが飲んだところでスタナーを浴びせる。その後、観客及びカメラに向かって「もっとも偉大なスーパースターはどのレスラーでもなく、会場にいる観客、テレビで番組を見ている世界中の視聴者だ」と紹介。最後にオースチンの呼びかけでRAW所属の全スーパースターがリング上に集合した。
3月14日のRAWについてはオースチン登場の少し前にザ・ロックがビデオという形だったがタイタントロンに登場した事もあり、WWF時代を思い出させるものになった。また、4月1日当日に行われたWrestleMania 23においても得意技のスタナーを披露するなどして、会場であったフォード・フィールドの8万人の大観衆を沸かせた。
また2008年RAWの15周年記念の回に登場。この日はビンス・マクマホンがRAW15年の歴史でもっとも偉大なスーパースターを発表するということだったが、ビンスは「ビンセント・ケネディ・マクマホン」つまり自分であると発言、これに対しテイカー、マンカインドがビンスを襲撃。
その後オースチンが登場し倒れているビンスを起こして一緒にビールを飲むが飲んだところでスタナーを浴びせる。その後、観客及びカメラに向かって「もっとも偉大なスーパースターはどのレスラーでもなく、会場にいる観客、テレビで番組を見ている世界中の視聴者だ」と紹介。最後にオースチンの呼びかけでRAW所属の全スーパースターがリング上に集合した。
via s.wwe.co.jp
WWE殿堂入り
2009年1月12日のRAWの番組内において、2009年度のWWE殿堂入り第一号としてオースチンが選出されたことが発表された。そして4月4日に行われた殿堂入りのスピーチで「オレはここでオレのプロレス人生のドアを閉める。夕陽に向かって歩いて行くんだ」と事実上の引退宣言をした。
そのためWWEのマイクパフォーマンスは長文が少なく、短文の連続で構成される傾向にある。試合中にナックル、チョップ、ストンピングなどの打撃をヒットさせた時も観客がチャントしていた。