ピンク・レディー (Pink Lady)
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1981年3月31日、みぞれ交じりの雨が降り続く中、後楽園球場でピンク・レディーは解散。数度の限定活動を経て2010年9月1日、「解散やめ!」を宣言して活動再開を表明。
【左】ミー
・現:未唯mie、本名:根本美鶴代
・1958年3月9日生まれ
・A型
・静岡県静岡市葵区出身
・1998年からはアニメタルファミリーのアニメタル・レディーとしても活動。そのきっかけでアニメタルのプロデューサーであった佃淳三と結婚したが、2004年に離婚。
【右】ケイ
・現:増田恵子、本名:桑木啓子(旧姓:増田)
・1957年9月2日生まれ
・O型
・静岡県静岡市葵区出身
・2002年6月23日、音響会社「ギルド・ジャパン」の桑木知二社長と結婚。
・現:未唯mie、本名:根本美鶴代
・1958年3月9日生まれ
・A型
・静岡県静岡市葵区出身
・1998年からはアニメタルファミリーのアニメタル・レディーとしても活動。そのきっかけでアニメタルのプロデューサーであった佃淳三と結婚したが、2004年に離婚。
【右】ケイ
・現:増田恵子、本名:桑木啓子(旧姓:増田)
・1957年9月2日生まれ
・O型
・静岡県静岡市葵区出身
・2002年6月23日、音響会社「ギルド・ジャパン」の桑木知二社長と結婚。
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※売上枚数はオリコン調べ
【10位】「ペッパー警部」 60.5万枚
ペッパー警部 (1976年8月25日発売)
ピンク・レディーのデビュー・シングル。
第18回日本レコード大賞新人賞受賞。
当初はレコード会社側の意向でB面に収録されている「乾杯お嬢さん」の方がA面になる予定だった。だが阿久悠(作詞)と都倉俊一(作曲)は「これではキャンディーズと何ら変わりがない」と批判し、本曲がA面として採用された。
第18回日本レコード大賞新人賞受賞。
当初はレコード会社側の意向でB面に収録されている「乾杯お嬢さん」の方がA面になる予定だった。だが阿久悠(作詞)と都倉俊一(作曲)は「これではキャンディーズと何ら変わりがない」と批判し、本曲がA面として採用された。
via pds.exblog.jp
ペッパー警部 ピンク・レディー
≪インタビュー付き 0:40~歌≫
【9位】「S・O・S」 64.5万枚
S・O・S (1976年11月25日発売)
ピンク・レディー2枚目のシングルで初のオリコン1位獲得作品。
オリジナルのレコードでは、曲の冒頭部分にモールス符号による「SOS」(遭難信号)が効果音として使われていたため、放送局(テレビ局・ラジオ局共に)では冒頭部分をカットして放送していた。
オリジナルのレコードでは、曲の冒頭部分にモールス符号による「SOS」(遭難信号)が効果音として使われていたため、放送局(テレビ局・ラジオ局共に)では冒頭部分をカットして放送していた。
via pds.exblog.jp
ピンクレディー - SOS
【8位】「カルメン'77」 66.3万枚
via pds.exblog.jp
カルメン'77 ピンク・レディー
【7位】「カメレオン・アーミー」 70.8万枚
カメレオン・アーミー (1978年12月5日発売)
ピンク・レディーの10枚目のシングル。
正式な発売日以前にフライング発売された分がオリコンに集計されたため、初登場88位→翌週1位という87ランクアップの珍しい記録を達成した。
現時点では、ピンク・レディーによるオリコンシングルチャート首位獲得としては最後の作品となっている。
正式な発売日以前にフライング発売された分がオリコンに集計されたため、初登場88位→翌週1位という87ランクアップの珍しい記録を達成した。
現時点では、ピンク・レディーによるオリコンシングルチャート首位獲得としては最後の作品となっている。
via pds.exblog.jp
ピンクレディー de カメレオン・アーミー - YouTube
タイトルに合わせ、テレビ番組では歌の最中に衣装の色が画像処理で変化する演出があった。
ミーやケイ本人達の談によると「ピンク・レディーの全曲中、最も振付けの激しい曲」とのこと。最盛期当時もこの曲を完璧な振付けで踊りながら歌い切るには相当な体力・気力が必要だったようで、当時のテレビ映像の中には、本人たちが振付けを誤って踊っているものまである。
ミーやケイ本人達の談によると「ピンク・レディーの全曲中、最も振付けの激しい曲」とのこと。最盛期当時もこの曲を完璧な振付けで踊りながら歌い切るには相当な体力・気力が必要だったようで、当時のテレビ映像の中には、本人たちが振付けを誤って踊っているものまである。
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【6位】「透明人間」 88.6万枚
透明人間 (1978年9月5日)
ピンク・レディーの9枚目のシングル。
当時TBS系列で放送された「ザ・ベストテン」などの音楽番組では、二人の姿が「透明人間」のように、突然消えたり現れたりという演出がなされていた。
当時TBS系列で放送された「ザ・ベストテン」などの音楽番組では、二人の姿が「透明人間」のように、突然消えたり現れたりという演出がなされていた。
ピンクレデイーLIVE(1984)「透明人間」「モンスター」「ウオンテッド」 - YouTube
via www.youtube.com
1976年NTV系番組「スター誕生!」決戦大会でスカウトを受けたビクターより、同年8月25日「ペッパー警部」でデビュー。続く「S・O・S」「カルメン'77」「渚のシンドバッド」「ウォンテッド(指名手配)」「UFO」「サウスポー」などを立て続けにリリースし、そのいずれもがチャートの1位を獲得。 大胆なコスチュームと過激な振付けで歌うアップテンポな曲は、子供から大人に至るまでの幅広い層から支持を得て、ピンク・レディー旋風は急速に日本全国のお茶の間に浸透していった。彼女たちが披露した振付けは、その後のアイドルユニットには欠かせないアイテムとなる。
(出典:ピンク・レディー公式サイト)