【ピンク・レディー】シングル売上TOP10☆ペッパー警部、サウスポー、UFO…1番は?
2016年9月8日 更新

【ピンク・レディー】シングル売上TOP10☆ペッパー警部、サウスポー、UFO…1番は?

1970年代後半に一世を風靡した人気デュオ、ピンク・レディーのシングル売上トップ10を見てみます。

31,146 view

ピンク・レディー (Pink Lady)

1970年代後半に活躍したデュオのアイドル。ミーとケイ...

1970年代後半に活躍したデュオのアイドル。ミーとケイの2人組。

ミー、ケイのふたりは1973年にヤマハ主催の「チャレンジ・オン・ステージ」というオーディションに合格、1974年5月にピンク・レディーの前身となるフォークデュオ「クッキー」を結成。
1976年NTV系番組「スター誕生!」決戦大会でスカウトを受けたビクターより、同年8月25日「ペッパー警部」でデビュー。続く「S・O・S」「カルメン'77」「渚のシンドバッド」「ウォンテッド(指名手配)」「UFO」「サウスポー」などを立て続けにリリースし、そのいずれもがチャートの1位を獲得。 大胆なコスチュームと過激な振付けで歌うアップテンポな曲は、子供から大人に至るまでの幅広い層から支持を得て、ピンク・レディー旋風は急速に日本全国のお茶の間に浸透していった。彼女たちが披露した振付けは、その後のアイドルユニットには欠かせないアイテムとなる。
(出典:ピンク・レディー公式サイト)
1981年3月31日、みぞれ交じりの雨が降り続く中、後...

1981年3月31日、みぞれ交じりの雨が降り続く中、後楽園球場でピンク・レディーは解散。数度の限定活動を経て2010年9月1日、「解散やめ!」を宣言して活動再開を表明。

【左】ミー
・現:未唯mie、本名:根本美鶴代
・1958年3月9日生まれ
・A型
・静岡県静岡市葵区出身
・1998年からはアニメタルファミリーのアニメタル・レディーとしても活動。そのきっかけでアニメタルのプロデューサーであった佃淳三と結婚したが、2004年に離婚。


【右】ケイ
・現:増田恵子、本名:桑木啓子(旧姓:増田)
・1957年9月2日生まれ
・O型
・静岡県静岡市葵区出身
・2002年6月23日、音響会社「ギルド・ジャパン」の桑木知二社長と結婚。
※売上枚数はオリコン調べ

【10位】「ペッパー警部」 60.5万枚

ペッパー警部 (1976年8月25日発売)

ペッパー警部 (1976年8月25日発売)

ピンク・レディーのデビュー・シングル。
第18回日本レコード大賞新人賞受賞。

当初はレコード会社側の意向でB面に収録されている「乾杯お嬢さん」の方がA面になる予定だった。だが阿久悠(作詞)と都倉俊一(作曲)は「これではキャンディーズと何ら変わりがない」と批判し、本曲がA面として採用された。

ペッパー警部  ピンク・レディー

≪インタビュー付き 0:40~歌≫

【9位】「S・O・S」 64.5万枚

S・O・S (1976年11月25日発売)

S・O・S (1976年11月25日発売)

ピンク・レディー2枚目のシングルで初のオリコン1位獲得作品。

オリジナルのレコードでは、曲の冒頭部分にモールス符号による「SOS」(遭難信号)が効果音として使われていたため、放送局(テレビ局・ラジオ局共に)では冒頭部分をカットして放送していた。

ピンクレディー - SOS

【8位】「カルメン'77」 66.3万枚

カルメン’77 (1977年3月10日発売)

カルメン’77 (1977年3月10日発売)

ピンク・レディーの3枚目のシングル。

の曲あたりから激しい振り付けが増えてゆき、さらなるインパクトがつけられた。

カルメン'77  ピンク・レディー 

【7位】「カメレオン・アーミー」 70.8万枚

カメレオン・アーミー (1978年12月5日発売)

カメレオン・アーミー (1978年12月5日発売)

ピンク・レディーの10枚目のシングル。

正式な発売日以前にフライング発売された分がオリコンに集計されたため、初登場88位→翌週1位という87ランクアップの珍しい記録を達成した。

現時点では、ピンク・レディーによるオリコンシングルチャート首位獲得としては最後の作品となっている。

ピンクレディー de カメレオン・アーミー - YouTube

タイトルに合わせ、テレビ番組では歌の最中に衣装の色が画像処理で変化する演出があった。
ミーやケイ本人達の談によると「ピンク・レディーの全曲中、最も振付けの激しい曲」とのこと。最盛期当時もこの曲を完璧な振付けで踊りながら歌い切るには相当な体力・気力が必要だったようで、当時のテレビ映像の中には、本人たちが振付けを誤って踊っているものまである。

【6位】「透明人間」 88.6万枚

透明人間 (1978年9月5日)

透明人間 (1978年9月5日)

ピンク・レディーの9枚目のシングル。

当時TBS系列で放送された「ザ・ベストテン」などの音楽番組では、二人の姿が「透明人間」のように、突然消えたり現れたりという演出がなされていた。

ピンクレデイーLIVE(1984)「透明人間」「モンスター」「ウオンテッド」 - YouTube

【5位】「渚のシンドバッド」 100.0万枚

35 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

いろいろあった!ピンク・レディーグッズあれこれ

いろいろあった!ピンク・レディーグッズあれこれ

女性アイドルデュオとして一世を風靡したピンク・レディー。その爆発的人気に伴い、巷では様々なピンク・レディーグッズが販売されていました。この記事では、ほんの一部ではありますが懐かしのピンク・レディーグッズを振り返ってみました。
ハナハナ | 437 view
レコ大、全員集合、ベストテン…初DVD化映像満載!ピンク・レディーの永久保存盤DVD6枚組BOXが発売決定!!

レコ大、全員集合、ベストテン…初DVD化映像満載!ピンク・レディーの永久保存盤DVD6枚組BOXが発売決定!!

JVCケンウッド・ビクターエンタテインメントより、ピンク・レディーのDVD6枚組BOX『Pink Lady Chronicle TBS Special Edition』の発売が決定しました。
隣人速報 | 271 view
ミニスカ美脚が眩しい!ピンク・レディーの未唯mie(64)と早見優(56)が「渚のシンドバッド」でコラボ!!

ミニスカ美脚が眩しい!ピンク・レディーの未唯mie(64)と早見優(56)が「渚のシンドバッド」でコラボ!!

70年代後半に絶大な人気を誇ったアイドルデュオ「ピンク・レディー」の未唯mie(64)がこのたび、自身のインスタグラムにて早見優(56)との2ショットを披露し「渚のシンドバッド」でコラボしたことを明かしました。
隣人速報 | 776 view
ピンク・レディーが1981年の解散直前に発表した3枚組アルバム「PINK LADY」が配信スタート!!

ピンク・レディーが1981年の解散直前に発表した3枚組アルバム「PINK LADY」が配信スタート!!

ピンク・レディーが1981年3月の解散直前に発表した3枚組アルバム「PINK LADY」が、各種音楽配信サービスで現在好評配信中となっています。
隣人速報 | 3,595 view
1979年頃、ピンク・レディーが急に売れなくなった理由とは?

1979年頃、ピンク・レディーが急に売れなくなった理由とは?

70年代を代表するアイドルユニット「ピンク・レディー」。1976年から1978年にかけて社会現象となった二人ですが、1979年頃から人気が急降下したのを覚えていますでしょうか?この記事では、その理由について検証してみたいと思います。
となりきんじょ | 28,108 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト