まずはお聴き下さい、八代亜紀で「舟唄」
年を重ねるにつれ沁みわたるように心に響く名曲です
八代亜紀 舟歌 - YouTube
via www.youtube.com
八代亜紀
via hachigen.com
幼少の頃から父親の歌う浪曲を子守唄代わりに聴きながら育つ。そうした影響もあり、八代は歌好きの子供になり、地元の歌唱コンクールなどにも出場していた。
八代が小学5年生の時、たまたま父親が買ってきたジュリー・ロンドンのレコードを聴き、そのハスキーボイスに魅せられる。もともと自身もハスキーボイスの持ち主だった八代は、その声に若干のコンプレックスがあったが、ジュリーの声質に勇気づけられ、クラブ歌手になることを意識するように。
中学卒業後、地元熊本でバスガイドとして勤務していたが、15歳で父親の反対を押し切り上京。銀座のクラブ歌手となり、スタンダードやポップスなどを歌った。
八代が小学5年生の時、たまたま父親が買ってきたジュリー・ロンドンのレコードを聴き、そのハスキーボイスに魅せられる。もともと自身もハスキーボイスの持ち主だった八代は、その声に若干のコンプレックスがあったが、ジュリーの声質に勇気づけられ、クラブ歌手になることを意識するように。
中学卒業後、地元熊本でバスガイドとして勤務していたが、15歳で父親の反対を押し切り上京。銀座のクラブ歌手となり、スタンダードやポップスなどを歌った。
ちなみにこちらはジュリー・ロンドンの「Fly Me To The Moon」(1964)
Julie London - Fly Me To The Moon (1964) - YouTube
TV gig Tokyo "Is it really Jazz?" I ask myself. Quickly followed by,"Do I care?" .........(sigh)
via www.youtube.com
多くの歌手がカバーした名曲ですが、エヴァンゲリオンでも登場しましたね
ヱヴァンゲリヲン新劇場版破~Claire Littley Fly Me To The Moon - YouTube
via www.youtube.com
1971年、テイチクよりデビュー
1971年、テイチクより「愛は死んでも」でデビュー。読売テレビのオーディション番組『全日本歌謡選手権』に出場、10週連続勝ち抜きでグランドチャンピオンに輝く。
1973年の「なみだ恋」が120万枚の大ヒット。その後も「しのび恋」「愛ひとすじ」「おんなの夢」「ともしび」「花水仙」「もう一度逢いたい」「おんな港町」「愛の終着駅」他、女心を歌った歌で次々とヒット曲を連発。
1973年の「なみだ恋」が120万枚の大ヒット。その後も「しのび恋」「愛ひとすじ」「おんなの夢」「ともしび」「花水仙」「もう一度逢いたい」「おんな港町」「愛の終着駅」他、女心を歌った歌で次々とヒット曲を連発。
八代亜紀 - 愛は死んでも - YouTube
八代亜紀 - 愛は死んでも
via www.youtube.com
哀憐三部作とされた「舟唄」「雨の慕情」「港町絶唱」で演歌の女王へと駆け上がる
1979年には新境地を開拓した初の男歌「舟唄」が大ヒット。
1980年に発表した「雨の慕情」で日本レコード大賞を受賞。これら2曲は「港町絶唱」と共に「哀憐三部作」とされる。
演歌歌手にしては稀な連続ヒットと国民的ヒット曲により、女性演歌歌手として不動の地位を築き、“演歌の女王”と称された。
1980年に発表した「雨の慕情」で日本レコード大賞を受賞。これら2曲は「港町絶唱」と共に「哀憐三部作」とされる。
演歌歌手にしては稀な連続ヒットと国民的ヒット曲により、女性演歌歌手として不動の地位を築き、“演歌の女王”と称された。
雨の慕情 / 八代亜紀 - YouTube
via www.youtube.com
女性演歌歌手の中では総売上枚数がトップ
演歌の女王と称される
演歌歌手にしては珍しく、全盛期においては出す曲全てが連続ヒットを記録しており、女性演歌歌手の中では総売上枚数がトップ。
オリコンのシングルチャートにおけるトップ10獲得作品数も通算7作で、2011年6月に水森かおりの8作連続シングルチャートトップ10を更新されるまで女性演歌歌手歴代1位をキープし続けていた。
オリコンのシングルチャートにおけるトップ10獲得作品数も通算7作で、2011年6月に水森かおりの8作連続シングルチャートトップ10を更新されるまで女性演歌歌手歴代1位をキープし続けていた。
via hachigen.com
アルバムもまた好セールスを記録しているため、オリコンの総合アルバム・チャートには5作品をトップ10に送り込み、演歌歌手としては氷川きよし、五木ひろし、森進一に次ぐ第4位の記録。