あの北野武や、司会者となった島田伸介など、みんなMANZAIブームで漫才をやっていました。ブームが起きたのはバブル前夜の1980年。山口百恵が引退し、松田聖子がデビューた年でもありました。
漫才ブーム(まんざいブーム)は、演芸界において、1980年~1982年のごく短い期間に漫才がさまざまなメディアを席巻し、またメディアに消費された一大ムーブメントである。
ものすごいブームだった印象があるのですが、MANZAIブームは3年間だったのですね。
ブームを引っぱった漫才師たち
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"もみみまんじゅー!"で、広島名物もみじ饅頭を全国的な知名度にしたB&B。あの長寿番組「笑っていいとも!」の前番組「笑ってる場合ですよ」の司会もやってました。
ツービート
ツービート(TWO BEAT)は、ビートたけし(本名:北野武)とビートきよし(本名:兼子二郎)の2人による漫才コンビ。1972年結成。きよしはたけしを「相棒(あーいぼう)」と呼び、たけしはきよしを「ビートきよしさん」もしくは「兼子さん」と呼んでいる。
引用:wikipedia
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今やお笑いの大御所であるばかりでなく、俳優、作家、映画監督としても知られる北野武も、漫才コンビツービートで人気を得ました。この頃のたけしと言えば"コマネチッ"でしょうか。
横山やすし・西川きよし
横山やすし・西川きよし(よこやまやすし・にしかわきよし)は、横山やすしと西川きよしによる、かつて吉本興業に所属し活動していた漫才コンビ。
当たりギャグは「怒るでしかし!」(やすし)、「小さな事からコツコツと」(きよし)。
引用:wikipedia
当たりギャグは「怒るでしかし!」(やすし)、「小さな事からコツコツと」(きよし)。
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当時すでに大御所だったやすきよは、漫才番組のトリをつとめる事が多かったと記憶しています。プライベートの不祥事を全てネタにしてしまうタフさもすごかったです。
セント・ルイス
星セント・ルイス(ほし・セント・ルイス)は、星セントと星ルイスからなる、日本の漫才コンビ。1971年結成、2003年解散。
1980年には「田園調布に家が建つ」(「弁が立つ、腕が立つ」に続く韻踏み)というネタで一世を風靡。『花王名人劇場・激突!漫才新幹線』では、やすし・きよしに対抗する東の代表として競演し、漫才ブームの先駆けとなった(もう一組として抜擢され出演したのがB&B)。
引用:wikipedia
1980年には「田園調布に家が建つ」(「弁が立つ、腕が立つ」に続く韻踏み)というネタで一世を風靡。『花王名人劇場・激突!漫才新幹線』では、やすし・きよしに対抗する東の代表として競演し、漫才ブームの先駆けとなった(もう一組として抜擢され出演したのがB&B)。
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漫才ブームでは、吉本の若手が多かった中で、数少ない東京の漫才のイメージがありました。
オール阪神・巨人
オール阪神・巨人(オールはんしん・きょじん)は、日本の漫才コンビ。吉本興業大阪本社所属。
1975年4月にコンビ結成。コンビ名は毎日放送の公開バラエティ番組『ヤングおー!おー!』内で桂三枝(現・六代桂文枝)がコンビ名募集を行い、その中から採用されたものである。
引用:wikipedia
1975年4月にコンビ結成。コンビ名は毎日放送の公開バラエティ番組『ヤングおー!おー!』内で桂三枝(現・六代桂文枝)がコンビ名募集を行い、その中から採用されたものである。
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阪神・巨人は、当時の若者番組「ヤングおー!おー!」で命名するとこから見てました。丁度あの頃、さんまも同番組で新人として紹介されていました。懐かしいですね。
ざ・ぼんち
ザ・ぼんち(The Bonchi)は、漫才コンビ。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。1973年コンビ結成。1980年代前半に一世を風靡した。
1980年、関西テレビの「花王名人劇場」やフジテレビの「THE MANZAI」で横山やすし・西川きよし、B&B(島田洋七・島田洋八)、島田紳助・松本竜介、西川のりお・上方よしお、太平サブロー・シローらと共に爆笑漫才を披露、漫才ブームの頂点を極めたコンビへと発展した。この当時大阪・東京の会場をヘリコプターで往復し、楽屋で過労防止のために点滴を打っていたと言われている。
引用:wikipedia
1980年、関西テレビの「花王名人劇場」やフジテレビの「THE MANZAI」で横山やすし・西川きよし、B&B(島田洋七・島田洋八)、島田紳助・松本竜介、西川のりお・上方よしお、太平サブロー・シローらと共に爆笑漫才を披露、漫才ブームの頂点を極めたコンビへと発展した。この当時大阪・東京の会場をヘリコプターで往復し、楽屋で過労防止のために点滴を打っていたと言われている。
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"おさむちゃんでーす。""そ~なんですよ、山本さん。"を思い出します。当時流行っていたプレッピースタイルのファッションも時代を感じさせますね。漫才師がファッショナブルになって、アイドルのような人気者となったのもあの頃からです。
西川のりお・上方よしお
1975年1月にコンビ結成。映画ブルースブラザーズよろしく黒いスーツ、ネクタイ、靴、レイバンのサングラス(ウェイファーラー)、ソフト帽の出で立ちで1980年初頭に起こった漫才ブームの人気漫才師となる。その後フジテレビで放送していたオレたちひょうきん族にレギュラー出演すると、のりおが人気のキャラ的になったのとコンビでのなんばグランド花月の出番が貰えなかった(当時過激な芸が林正之助から嫌われていたといわれる。)ことにより1990年に一度解散したが、のりおとよしおの人気が下火になったこともあり、のりお自身が出直しの意味をこめて1994年に再結成する。現在はなんばグランド花月などの舞台で漫才を披露している。
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のりおがとてもやかましい人でした。今もずっとそんなキャラのままなのがある意味立派です。
太平サブロー・シロー
太平サブロー・シロー (たいへいサブロー・シロー)は、太平サブローと太平シローによるお笑いコンビ。タイヘイ一門、レツゴー三匹門下。愛称は「サブシロ」。
1980年代の漫才ブームの波に乗り、人気漫才コンビとしての地位を確立した。この頃、当時は無名だったダウンタウンの才能を見抜き、ラジオ番組のレギュラーを与える(後述)。1988年、吉本から独立して東京の芸能事務所に所属、1992年、お互いの仕事観等の意見対立から喧嘩別れする形でコンビを解散した。その後、サブローのみ1993年に吉本に復帰し、後にシローも吉本復帰を果たす。 2012年2月9日午後2時32分、大阪市内の病院でシロー死去。
引用:wikipedia
1980年代の漫才ブームの波に乗り、人気漫才コンビとしての地位を確立した。この頃、当時は無名だったダウンタウンの才能を見抜き、ラジオ番組のレギュラーを与える(後述)。1988年、吉本から独立して東京の芸能事務所に所属、1992年、お互いの仕事観等の意見対立から喧嘩別れする形でコンビを解散した。その後、サブローのみ1993年に吉本に復帰し、後にシローも吉本復帰を果たす。 2012年2月9日午後2時32分、大阪市内の病院でシロー死去。
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サブロー・シローと言えば、やすきよの物まねですね。どちらも器用な人でした。
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