via i.ytimg.com
いつの間にかボケがピンになっていった漫才ブームのコンビの中、ずっと漫才コンビでいたのが、この2人。いくよさんの後冥福をお祈りします。
春やすこ・けいこ
春やすこ・けいこ(はるやすこ けいこ)は、漫才ブーム時代に活躍したアイドル女性漫才コンビ。所属事務所は松竹芸能であった。
1977年に海原千里・万里が解散したために「ポスト千里・万里」として期待される。当時人気だったピンク・レディーにあやかって漫才界のピンク・レディーとして人気を得る。師匠無しでこの世界に入ったため屋号の「春」は当時毎日放送で放送されていた「スタジオ2時」のコーナー名の一部を拝借した。映画出演のほか、「ハートブレイクホテルは満員」(作詞は糸井重里だった)などレコードもリリースした。
引用:wikipedia
1977年に海原千里・万里が解散したために「ポスト千里・万里」として期待される。当時人気だったピンク・レディーにあやかって漫才界のピンク・レディーとして人気を得る。師匠無しでこの世界に入ったため屋号の「春」は当時毎日放送で放送されていた「スタジオ2時」のコーナー名の一部を拝借した。映画出演のほか、「ハートブレイクホテルは満員」(作詞は糸井重里だった)などレコードもリリースした。
引用:wikipedia
漫才師とは思えないルックスで、アイドル漫才コンビとなったやすこ・けいこ。ヌードを披露してくれたりもしました。
おぼん・こぼん
おぼん・こぼんはトービック、漫才協会に所属する漫才コンビ。1965年にコンビ結成。コンビ名の由来は、「大きいボンボン」と「小さいボンボン」。当初は「月見おぼん・こぼん」と名乗っていた。表記がおぼん★こぼん(真ん中に★マーク)だったりもする。
1980年に日本テレビ『お笑いスター誕生!!』にて10週連続勝ち抜きグランプリを受賞。それを機に赤坂コルドンブルーを引退。自分達の後釜として、当時『お笑いスター誕生!!』に挑戦中だった貴明&憲武(後のとんねるず)にコルドンブルー出演を勧める(だがとんねるずは半年足らずでクビになる)。「漫才ブーム」時には『花王名人劇場』(関西テレビ)等に出演。ブーム後も演芸番組等に長く出演した。
引用:wikipedia
1980年に日本テレビ『お笑いスター誕生!!』にて10週連続勝ち抜きグランプリを受賞。それを機に赤坂コルドンブルーを引退。自分達の後釜として、当時『お笑いスター誕生!!』に挑戦中だった貴明&憲武(後のとんねるず)にコルドンブルー出演を勧める(だがとんねるずは半年足らずでクビになる)。「漫才ブーム」時には『花王名人劇場』(関西テレビ)等に出演。ブーム後も演芸番組等に長く出演した。
引用:wikipedia
via pds.exblog.jp
お笑いスター誕生10周勝ち抜きの実力派。
うなずきトリオ
うなずきトリオは、日本のコミックグループ。
1980年代のMANZAIブームに乗って、紳助・竜介、ツービート、B&Bのツッコミ(うなずき役)によって結成され、プチブームとなった。
デビューするに当たって、当時何人もの大物歌手にオファーを出しており、最終的には大滝詠一がプロデュースを担当した。
引用:wikipedia
1980年代のMANZAIブームに乗って、紳助・竜介、ツービート、B&Bのツッコミ(うなずき役)によって結成され、プチブームとなった。
デビューするに当たって、当時何人もの大物歌手にオファーを出しており、最終的には大滝詠一がプロデュースを担当した。
引用:wikipedia
via pbs.twimg.com
CDも出したうなづきトリオ。
漫才ブームの後にはひょうきん族が始まって、トンネルズ、ダウンタウンと続き、第3次漫才ブームと、お笑いの世界も世代交代していきました。思えば遠くへ来たもんだ…
1980年になってようやくフジテレビ系「花王名人劇場」に出演するチャンスを得たものの、吉本興業から「これでウケなかったら最後」と通告されていた。リハーサルやネタ見せの段階では全く受けなかったが、本番になってくるよがお腹を叩いたところこれが受け、2人の漫才はカットされずに全国放送された(このときの他の出演者にはやすし・きよしなどの大御所が並んでいた)。翌日よりテレビ、ラジオその他からの出演依頼が殺到。苦難の末、ようやく本格女流漫才師として日の目を見ることとなった。その後1984年には上方漫才大賞を受賞している。
引用:wikipedia