【西武VSヤクルト】「智将・森祇晶VS野村克也のID野球」1992、93年の日本シリーズ同一カードは1勝1敗に終わる!
2016年11月25日 更新

【西武VSヤクルト】「智将・森祇晶VS野村克也のID野球」1992、93年の日本シリーズ同一カードは1勝1敗に終わる!

92、93年の日本シリーズを憶えていますか?ともに智将と呼ばれた両監督の激しい戦いは、派手さはなくとも強い両チームを体現していましたね。そんな森、野村両監督について振り返ります。

17,316 view
森西武の野球の凄みをよく示すエピソードは巨人と対決した1987年の日本シリーズ第6戦であろう。この試合、8回裏二死から辻発彦が安打で一塁に出塁した。この二死一塁の場面で、続く秋山幸二はセンター前へ安打を放つ。

ところが巨人の中堅手ウォーレン・クロマティの緩慢な返球の間に辻はなんと一気にホームまで駆け抜けて西武が得点してしまった。実は森はじめ西武側は、クロマティの送球に難がありながら、そのことに巨人が何も手を打っていないことを事前のデータ収集とミーティングで知り抜いていた。

その緻密な事前研究を監督の森が選手各人に徹底していたことがこの辻の劇的な好走塁に結びついたのである。このシリーズは、事前予想では攻撃力に勝る巨人の優位といわれていたが、この辻の走塁にみられる西武の緻密なディフェンス野球が逆に巨人を圧倒し、西武が2年連続日本一を獲得している。

当時の主力選手の一人だった辻が自著「プロ野球 勝つための頭脳プレー」で語ったところによると、試合でエラーをして落ち込んだ辻のところに深夜、森から気遣いの電話があったり、遠征先や合宿先で選手が食事に満足しているかどうかを気にして尋ねたりということがよくあったという。

広岡の監督時代も経験した辻によれば「広岡さんは選手をほめることがそもそもなくてそれが持ち味だった監督だけど、森さんは選手のいいプレーを必ずミーティングでほめてくれた」という。また選手達がゲームボーイなどの新しい遊び道具に熱中しているのをみると、叱るより前にまず森自身が買ってやってみて、その面白さを自分で体感してから「ほどほどにしなさいよ」というような穏当な理解者の面ももっていた。

森は選手の管理について「時代背景というものはどんどん変わっていく。若い選手の時代背景を理解しないままに、『あれをやってはいけない・これをやってはいけない』ということは指導者として絶対に言ってはいけないことだ」と言っている。

また有名な逸話として、優勝時にチャンピオンフラッグを持って球場を一周するときの様子があげられる。通例ではたいてい監督がフラッグを持って先頭を歩くものだが、森はそれをせず、石毛宏典・辻などの主力選手にフラッグを持たせ、自身は常に列の一番後ろを歩いていた。これは「選手が主役、監督は脇役」のポリシーを森がずっと持っていたことを示している。

清原和博をルーキーイヤーの年から、周囲の批判に抗してスタメンで使い続けたのは森の強い意向による。コーチ陣や野球評論家の多くは清原を二軍でしばらく鍛えることを主張していた。しかし森は清原のスター性からして、華やかな実戦舞台で使い続けた方が伸びるというふうに判断した。

開幕当初は不振だった清原であるが、次第に森の期待に答え始め、ついに新人王を獲得、プロ野球を代表する選手になっていく。清原は今なおこのときの森の起用を深く恩義に感じており、今でも森とは家族ぐるみでの付き合いが続いている。2005年の森の野球殿堂入りのときは祝賀式にかけつけ、一番に森に対し祝辞を述べている。

名将に倣う

野村語録

野村語録

「王や長嶋がヒマワリなら、オレはひっそりと日本海に咲く月見草」

「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」

「先入観は罪、偏見は悪」

「初めの勝ちは、嘘の勝ち」

「戦いに勝つは易し、勝ちを守るは難し」

「人生の最大の敵、それは「鈍感」である」

「これが楽天野球です。安打多くして得点少なし」

「強いチームは接戦で勝ち、負ける時はボロ負け。弱いチームはボロ勝ちし、接戦で負ける。」

「無視されて三流、称賛されて二流、非難されて一流」
座右の銘は「忍」

座右の銘は「忍」

好きな言葉は「忍」。1989年に優勝を逃した後、空いた時間に、妻の希望もあって中国を旅した。洛陽で高僧に「あなたはどういう言葉が好きですか」と尋ねられた森は「忍」と答えた。
高僧は膝を打って言った、「大変な言葉ですね。忍という字は、心臓の上に刃をのせている。つまり、心の上に刃をのせている。これは苦しいことですよ」。
さらに、「忍の字が好きだということは、あなたはそれができる、ということです。きっと、いい仕事ができますよ」。森はこの言葉を聞いて、全身に力がみなぎるのを感じたという。
ともに派手さはありませんでしたが、たしかに強いチームを率いた名将でした。
25 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

野村自身の“再生”工場だった!野村克也のシダックス監督時代を描いた『砂まみれの名将 野村克也の1140日』が発売決定!!

野村自身の“再生”工場だった!野村克也のシダックス監督時代を描いた『砂まみれの名将 野村克也の1140日』が発売決定!!

新潮社より、故・野村克也氏の社会人野球シダックス監督時代を描いたノンフィクション『砂まみれの名将 野村克也の1140日』が3月16日(水)に発売されます。
隣人速報 | 652 view
デストラーデ、伊東勤、秋山幸二、辻発彦…野球殿堂博物館で「埼玉西武ライオンズ 特集展示 1980~90年代黄金期」が開催!

デストラーデ、伊東勤、秋山幸二、辻発彦…野球殿堂博物館で「埼玉西武ライオンズ 特集展示 1980~90年代黄金期」が開催!

東京・文京区の野球殿堂博物館にて、西武ライオンズの黄金期を中心とした展示会「埼玉西武ライオンズ 特集展示 1980~90年代黄金期」が開催されます。会期は6月1日から6月30日まで。
隣人速報 | 2,253 view
1989年バブル絶頂~2004年球界再編問題「たかが選手が」球団vs選手会  ライブドアvs楽天  旧vs新  置き去りになった近鉄ファン

1989年バブル絶頂~2004年球界再編問題「たかが選手が」球団vs選手会 ライブドアvs楽天 旧vs新 置き去りになった近鉄ファン

近鉄とオリックスの合併、球界再編問題、ストライキ、IT企業のプロ野球参入合戦、近鉄バッファローズ消滅、オリックスバッファローズ、楽天イーグルス誕生 夢と感動がいっぱいのプロ野球の裏側では、それを支えるドロドロの利権と古い体質を持つ巨大な権力があった。
RAOH | 2,038 view
甲子園のアイドル荒木大輔!荒木トンネルまで作られたフィーバーぶり!

甲子園のアイドル荒木大輔!荒木トンネルまで作られたフィーバーぶり!

1980年代の甲子園のアイドルと言えば荒木大輔。1年時に愛甲猛率いる横浜高校と対戦。プロ野球ではヤクルトで活躍するも、怪我との戦いを強いられた荒木大輔。大ちゃんフィーバーも含め、荒木大輔の野球人生を振り返る。
ひで語録 | 18,011 view
【ヤクルト・伊藤智仁】ガラスのエースと呼ばれた天才、ケガで記録に恵まれなかった高速スライダー右腕。

【ヤクルト・伊藤智仁】ガラスのエースと呼ばれた天才、ケガで記録に恵まれなかった高速スライダー右腕。

1993年、セ・リーグ新人王に輝いたヤクルトの伊藤智仁投手。手元で伸びる速球と、誰もが打てなかった高速スライダーを持つ彼は、史上最高レベルのピッチャーと評されました。ケガで記録に恵まれませんでしたが、いまみてもとんでもないスライダーを投げていたのがよく分かります。
青春の握り拳 | 24,607 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト