Jリーグ初期に活躍した日本人ストライカー
2016年11月25日 更新

Jリーグ初期に活躍した日本人ストライカー

1993年5月15日、日本初のプロサッカーリーグ「Jリーグ」が誕生しました。それまでは代表戦ですら閑古鳥が鳴いていた日本サッカー界が劇的に変わった日です。そんなJリーグ黎明期を支えた日本人ストライカーをラインナップしてみました。

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武田 修宏(たけだ のぶひろ、1967年5月10日 - )は、日本の元サッカー選手。現在はスポーツコメンテーター・タレント(ホリプロ所属)。浜松市立佐藤小学校・浜松市立丸塚中学校・静岡県立清水東高校卒業。Jリーグ通算94ゴール(8位タイ)、日本サッカーリーグ(JSL)新人王・MVP、ベストイレブンはJSL時代3回・Jリーグ1回の記録を持つ。

永島昭浩

ガンバ大阪の前身である松下電器時代から支えてきていたミスターガンバ!Jリーグ開幕年にはリーグ戦で12ゴールを記録。今ではカミカミがお馴染みのスポーツキャスターに、そして娘が女子アナになるなんて想像もできなかった。

永島昭浩(元ガンバ) 伝説のフリーキック - YouTube

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永島 昭浩(ながしま あきひろ、1964年4月9日 - )は神戸市出身の元サッカー選手で、サッカー解説者、スポーツキャスター。元サッカー日本代表。

小学4年からサッカーを始め、御影工業高校時代は1年からインターハイ出場、1、2年時には全国高校選手権出場。3年では兵庫県選抜入りし、島根国体で優勝。

高校卒業後の1983年、松下電器産業サッカー部(現:ガンバ大阪)に入団。4年目からポジションを奪い、水口洋次監督退任直前の1991年元日には本並健治・和田昌裕らと共に天皇杯獲得。この頃から彫りの深いエキゾチックな顔立ちやFWとしてのプレーぶりが注目されるようになった。日本代表にも選ばれ、国際Aマッチには4試合出場[1]。1992年にはオフト監督で代表に招集されたことはあるが試合出場はない。

黒崎比差支

同時代に活躍していたカズや高木の陰に隠れて、代表では地味な存在になってしまったいぶし銀ストライカー。下馬評では厳しいと言われていた鹿島アントラーズを常勝軍団にまで引き上げていった功労者の一人。

(黒崎 比差支)Jクロニクルベスト:1995ベストゴール - YouTube

黒崎 久志(くろさき ひさし、1968年5月8日 - )は、栃木県上都賀郡粟野町(現:鹿沼市)出身の元サッカー日本代表選手。ポジションはFW、MF。1992年から1999年までの登録名は黒崎 比差支(読みは同じ)。

2010-2012シーズン、アルビレックス新潟の監督を歴任。
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中山雅史

ご存知「ゴン中山」。Jリーグ黎明期は、所属先であるジュビロ磐田がまだJリーグに入れていなかったため、知る人ぞ知るストライカーだったが、代表では貴重なスーパーサブとして、泥臭いゴールを連発していた「魂のストライカー」

【隊長】 "ゴン" 魂のストライカー 中山雅史ゴール集 - YouTube

http://livedoor.blogimg.jp/domesoccer/imgs/f/a/fa394619.jpg (968223)

中山 雅史(なかやま まさし、1967年9月23日 - )は、静岡県藤枝市出身の元サッカー選手である。現役時のポジションはフォワード。日本プロサッカー選手会名誉会長。ゴン中山の愛称で知られる。ほかに、中山隊長、隊長の愛称がある。1996年から2009年までジュビロ磐田でチームキャプテンを務めた。

日本代表としてフランスワールドカップ、日韓ワールドカップにも出場。Jリーグ(J1)最優秀選手賞1度受賞、得点王2回、ベストイレブン4度受賞した経験を持ち。2つのギネス世界記録とJリーグシーズン最多得点、Jでの通算最多ゴール、J1での最年長記録、W杯本大会日本代表初ゴールなどの個人記録なども持つ。

妻は女優・タレントの生田智子で、2004年に第1子(女子)が生まれた。実父の中山儀助は元岡部町町議会議員である。
他にも〇〇選手を忘れている!などとあると思いますが、自己流と言う事で勘弁してください。カズや中山など、ここぞと言う時にゴールを決めてくれる印象が残っているストライカーがエースなのでしょう。今の代表でもそのようなエースが誕生して欲しいですね!
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