「手倉森 誠」の現役時代 来歴
元サッカー選手、サッカー指導者。U-23日本代表監督。
1967年11月14日生まれ。青森県三戸郡五戸町出身。
手倉森浩は双子の弟。
JFA公認S級コーチライセンス保有。
via pbs.twimg.com
青森県五戸高校の3年時に「全国高等学校サッカー選手権大会」に出場。ベスト8まで進出しました。
1986年に高校卒業後は、日本サッカーリーグ2部の住友金属(現・鹿島アントラーズ)に入団します。
また、同時期にユース日本代表に選出され、「アジアユース選手権大会1次予選」に出場しました。
1993年に「NEC山形(現モンテディオ山形)」に移籍。1995年に引退しました。
1986年に高校卒業後は、日本サッカーリーグ2部の住友金属(現・鹿島アントラーズ)に入団します。
また、同時期にユース日本代表に選出され、「アジアユース選手権大会1次予選」に出場しました。
1993年に「NEC山形(現モンテディオ山形)」に移籍。1995年に引退しました。
「双子の手倉森」 兄・誠と弟・浩
リオ五輪代表を率いる手倉森監督は、実は双子である。弟は日本サッカー協会の特任コーチを務める手倉森浩。正直、同じ髪型で並ばれると、どっちがどっちかわからない。
兄と共に歩んだ弟・浩の現役時代
青森県立五戸高等学校在籍時に全国高校サッカー選手権で活躍しユース日本代表に選出される。
卒業後、日本サッカーリーグの住友金属(現鹿島アントラーズ)に入団。
名称がアントラーズとなった1992年まで在籍し、1993年にNEC山形(現モンテディオ山形)に移籍。1996年までプレーし、現役を引退した。Jリーグでの試合出場はない。
ベガルタ仙台 手倉森監督 高校時代 - YouTube
弟・浩のアシストを兄・誠がドカン!とゴールに叩き込みます!
via www.youtube.com
双子の兄弟としても有名で、人気サッカー漫画「キャプテン翼」の立花兄弟のモデルとも言われている。仙台では07~10年に弟・浩氏(現JFA復興支援特任コーチ)との兄弟指導者として注目も浴びた。
【キャプテン翼】出来た人いますか?インパクトあり過ぎ、そして現実離れし過ぎな必殺シュートの数々。 - Middle Edge(ミドルエッジ)
立花兄弟の「スカイラブハリケーン」にも触れております!
ギャンブルで全財産を使い果たした「手倉森 誠」
住友金属時代はパチンコなどギャンブルに明け暮れていたといい、酷い時にはパチンコ店に手倉森を探しに来たジーコの目から逃れるため、パチンコ台の下に隠れたこともある。
鹿島から戦力外通告を受けた1992年暮れには、やけになって中山競馬場に足を運び、全財産を2日で使いきってしまった(金額については600万円とも1200万円ともされている)。
結果として無一文となったが、翌1993年にNEC山形サッカー部(現:モンテディオ山形)から声がかかり移籍。このことを教訓に、以後ギャンブルはきっぱり止めた。
28歳の時、石崎監督からの引退勧告
実は、28歳の手倉森監督に引退を勧告したのも、この石崎監督だった。将来のJリーグ入りを目指し、翌年から「モンテディオ山形」とチーム名を変えることが決まっていた95年のシーズン中に「コーチにならんか」と声を掛けられたのだ。
「ショックでしたよ、突然だったし。選手兼任でもいいっていう話だったけど、それは断った。中途半端になったら周りに失礼だから。で、選手を続けたいって言ったらどうなるんですかって聞くと、『だったらクビや。ワシ、使わんもん』だって(苦笑)」
さらに石崎監督の「今辞めれば、同世代の誰よりも経験を積めて、良い指導者になれるぞ」という言葉に背中を押されたという。
「確かにユース代表でチームメイトだった井原やゴン(中山)はクラブでも代表でも第一線で活躍しているけど、俺はJFLでもがいている。この先、選手として陽の目を見ることはもうないだろう。でも、今から指導者の道に進めば、彼らが引退する頃には俺は相当な経験を積んでいるはずだって、自分に言い聞かせて、現役の未練を断ち切ったんだ」