【プロ野球・東西対抗オールスター】セパ両リーグともに現在は開催されなくなったオールスター東西対抗戦。
2016年12月28日 更新

【プロ野球・東西対抗オールスター】セパ両リーグともに現在は開催されなくなったオールスター東西対抗戦。

かつて存在したプロ野球オールスター東西対抗戦。セ・リーグ、パ・リーグともに行われていたこの東西対抗戦、現在は行われなくなりましたが、その歴史を振り返ろうと思います。

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セ・リーグオールスター東西対抗

セ・リーグオールスター東西対抗

セ・リーグオールスター東西対抗

セ・リーグオールスター東西対抗は、かつて、日本プロ野球・セントラル・リーグのイベントとして11月に行われた大会。
セントラル・リーグに参加する6チームを、読売ジャイアンツ・ヤクルトスワローズ・横浜大洋ホエールズ→横浜ベイスターズの東軍と中日ドラゴンズ・阪神タイガース・広島東洋カープの西軍それぞれに分けて、各チームから選抜された選手らによる対抗戦だった。
開始当初は参加各チームのホームスタジアム球場を使ったが、その後九州地方(主に宮崎県・鹿児島県)で開催された。1999年を最後に現在は非開催。

パ・リーグオールスター東西対抗

パ・リーグオールスター東西対抗

パ・リーグオールスター東西対抗

パ・リーグオールスター東西対抗は、パシフィック・リーグの6球団を東西2チームに分けて争われるオールスターゲームである。1981年に第1回が開催され、1988年からはほぼ毎年11月に静岡県草薙総合運動場硬式野球場(静岡草薙球場)で行われてきたが、2006年(第19回)をもって幕を閉じた。
パ・リーグの6球団を、東軍(北海道日本ハムファイターズ、東北楽天ゴールデンイーグルス、千葉ロッテマリーンズ)と西軍(埼玉西武ライオンズ、オリックス・バファローズ、福岡ソフトバンクホークス)に分けて、それぞれの球団から選手を数人ずつ選出し、約20人のチームを編成する。
監督はいずれかの球団の監督が務め、他の2球団の監督はコーチとなる。
年1試合行う。ホームチームは交替で務め、1塁側ベンチを使用する(ただし、ユニフォームは全球団ホーム用を着用する)。2006年は西軍がホームチームを務めた。

セ・リーグオールスター東西対抗の開催球場

各チームのホームグラウンド⇒九州地方へ

1979年:横浜スタジアム
1980年:ナゴヤ球場
1981年:明治神宮野球場
1982年:広島市民球場
1983年:阪神甲子園球場
1984年:ナゴヤ球場
1985年:後楽園球場
1986年:香川県営野球場
1987年:広島市民球場
1988年:平和台野球場
1989年:セ・パ両リーグ40周年イベントの為開催せず
1990年:宮崎市営球場

パ・リーグオールスター東西対抗の開催球場

ほぼ静岡県草薙球場で開催

1981~82年:西武ライオンズ球場
1988~2006年:静岡県草薙球場

セ・リーグオールスター東西対抗のエピソード

1980年:ナゴヤ球場(CBC/JNN)

1980年:ナゴヤ球場(CBC/JNN)

CBC創立30周年記念の一環として開催。試合後、巨人・王貞治と中日・高木守道の引退セレモニーも行われた。
なお、同年巨人監督を解任された長嶋茂雄は参加せず(代理として巨人コーチの末次利光が出場)。ちなみにレフトスタンドには「長嶋不滅、よみうり破滅」という、長嶋解任の首謀者となった読売新聞及び当時の同社のドン務臺光雄に対する怒りの横断幕も見受けられた。
1983年:阪神甲子園球場(MBS/JNN)

1983年:阪神甲子園球場(MBS/JNN)

甲子園球場にとっては手書きスコアボードによる最後の試合となった(翌年、電光掲示板に全面改装)。
また、巨人の同僚時代に兄貴分・弟分のような関係でもあった巨人・堀内恒夫と阪神・小林繁は共にこの大会が現役選手としての最終登板となった。
1985年:後楽園球場(TBS/JNN)

1985年:後楽園球場(TBS/JNN)

TBSの創立35周年及びテレビ開局30周年記念の一環として開催。同テレビにとっては1955年の開局(当時はラジオ東京テレビ)以来セ・リーグに関しては初、なお且つ唯一の後楽園球場からのプロ野球中継となった(パ・リーグの試合については不明)。

パ・リーグオールスター東西対抗のエピソード

第2回で一旦休止に

第2回で一旦休止に

1981年10月30日 ロッテ、日本ハム、西武の3球団を東軍、南海、近鉄、阪急の3球団を西軍として第1回が開催された(於・西武ライオンズ球場)。
1982年11月6日 同じく西武ライオンズ球場で第2回が開催された。これを最後として一旦この大会は休止される。
東西のバランスで西武が東⇒西へ

東西のバランスで西武が東⇒西へ

2005年11月3日 近鉄の消滅と楽天の誕生に伴い、それまで東軍だった西武を西軍に移した上で第18回が開催された(西武が東軍のままだと東軍4球団、西軍2球団になってしまうため)。
2006年に打ち切るもファンからはブーイングが

2006年に打ち切るもファンからはブーイングが

年限りでの打ち切りが決定した。11月5日、事実上最後の開催となる第19回が開催され、9-4で東軍が勝利(MVP:千葉ロッテ・今江敏晃)し、26年19回に及ぶ大会の歴史に終止符を打った。
この大会打ち切りに関してリーグ側からは「一定の役割を果たした」とのコメントしか出ず、パ・リーグを愛するファンに納得のいく説明がされていないこともあり、この打ち切りに対しては批判的な声が多い。
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