多村仁志
横浜高校時代は斉藤宜之、紀田彰一とクリーンナップを組み3年生の春夏連続(1994年)で甲子園に出場。第66回選抜高等学校野球大会の一回戦で、赤星憲広擁する大府高校と対戦した。1994年のドラフト4位で横浜ベイスターズに入団。背番号は52。このときの登録名は本名の多村 仁。
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松井光介
2005年の大学生・社会人ドラフト3巡目で、ようやくプロからの指名を得て、27歳にしてプロ入りする。松井を指名したヤクルトスワローズは、丹波慎也の兄・丹波幹雄が所属した球団であった。
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松坂大輔
1998年度新人選手選択会議では、指名順位1位で日本ハムファイターズ及び横浜ベイスターズ含む3球団が競合の末、西武ライオンズが交渉権を獲得(ハズレ1位として指名された横浜は古木克明、日本ハムは實松一成、いずれも同じ高校3年生)。ドラフト直後の会見では「自分の意中の球団は横浜ベイスターズでした」と語っていたが、西武へ入団した。
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成瀬善久
横浜高校時代は度重なる故障に悩まされたが、第75回選抜高等学校野球大会で3回戦の明徳義塾を劇的に破ると勢いに乗って、準優勝。決勝では西村健太朗‐白濱裕太のバッテリーを擁する広陵高校と対戦。先発した1学年下の涌井秀章をリリーフしたが共に打ち込まれ、3-15という大敗を喫した。
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1990年のドラフト会議で横浜大洋ホエールズに第4位で指名され入団。
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