2020年10月8日 更新
高校球児として活躍した有名人【アナウンサー・キャスター編】
高校野球で輝いたかつての球児たちの中には、テレビ局の社員となり、アナウンサー・キャスターとして活躍している人も数多く存在しているのをご存知でしょうか?今回はその中でも、たしかな実績を残した7名を紹介していきます。
羽鳥慎一(元日本テレビアナウンサー)⇒横浜平沼高校(神奈川)
元日本テレビアナウンサーで、現フリーの羽鳥慎一は、横浜平沼高校・野球部時代、エースピッチャーだったといいます。夏の神奈川大会4回戦まで進出した経歴を持ち、後に横浜ベイスターズで2年連続首位打者になる鈴木尚典を、二打席連続三振に切って取ったこともあるのだとか。
林正浩(元TBSアナウンサー)⇒桜美林高校(西東京)
4回の甲子園出場経験を誇る桜美林高校。林は野手として活躍し、夏の甲子園には出場を果たせなかったものの、1973年に行われた春の大会には、「5番・一塁手」のレギュラーメンバーとして、甲子園の土を踏んでいます。
立教大学進学後も野球部に所属したものの、肩の故障から選手生活に別れを告げ、代わりに放送研究会へ所属して、アナウンサーを志すようになったのだとか。
林正浩(現在)
伊藤慶太(NHKアナウンサー)⇒県立秋田高校(秋田)
秋田県立秋田高校は、全国高校野球選手権大会の前身となる、全国中等学校優勝野球大会の栄えある第一回大会で準優勝、第47回の夏の甲子園ではベスト4進出も果たしている高校野球の古豪。NHKアナウンサーの伊藤慶太は、夏の甲子園こそ出場できませんでしたが、1989年春の選抜大会には甲子園の地に足を踏み入れています。
伊藤慶太(現在)
大越健介(NHK元キャスター)⇒県立新潟高校(新潟)
NHK夜の報道番組『ニュースウォッチ9』でキャスターをつとめていた大越健介。彼は、県立新潟高校で、2年次には捕手だったところから、3年次には、その強肩を買われて投手へ転向。しかし、春の県大会では準優勝、の県大会はベスト8と、結局、悲願だった甲子園出場は叶いませんでした。
大越健介
東京大学文学部国文学科進学後も、野球部に所属。投手として、通算50試合登板し、8勝27敗、防御率3.52、142奪三振という、六大学の中で弱小で知られる同大学において、抜群の成績を収めます。
大越健介(大学時代)
その活躍が認められ、1983年には、明治大学の広澤克己、日本大学の和田豊らと共に、大学日本代表メンバーへ選出。後に大リーグで通算583本塁打を記録するマーク・マグワイアとも対戦したといいます。
マーク・マグワイア(セントルイス・カージナルス時代)
なお、大越の長男・遼介も日大三高のエースとして活躍した球児であり、父が果たせなかった甲子園出場も成し遂げています(記録はベスト8)。
田中大貴(フジテレビアナウンサー)⇒県立小野高校(兵庫)
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