日本テニスの生ける伝説 伊達公子は錦織の前に世界トップに手が届く可能性がありました
2016年11月25日 更新

日本テニスの生ける伝説 伊達公子は錦織の前に世界トップに手が届く可能性がありました

1990年代半ば、錦織選手よりも20年も前に世界のトップ5入りを果たした女性がいます。現役復帰した伊達公子さんの全盛期を振り返ってみたいと思います。

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アトランタ五輪でも女子シングルスのベスト8に進出し、アランチャ・サンチェス・ビカリオに惜敗する。しかし8月25日、アメリカ・サンディエゴで開かれた「トーシバ・クラシック」決勝戦でサンチェスを 3-6, 6-3, 6-0 で破り、WTAツアー7勝目を挙げた。
同年9月24日に現役引退を宣言。WTAツアー年間最終戦の「チェイス選手権」2回戦で、当時16歳のマルチナ・ヒンギスに 1-6, 2-6 で敗れた。世界ランキング8位での引退だった。

引退・結婚~11年後の復活!

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「いまだからいえるのですが、26歳で一度引退したころは、テニスが大嫌いになっていました。当時はいまより海外で戦うアスリートの数は少なかったですし、携帯電話やネットなども発達していませんでしたから、孤独を感じることも多かったのです。世界ランキング4位まで到達したころは肩の痛みがひどく、周囲の期待がプレッシャーになり、マスコミへの応対などもあって疲れ切っていました。
肩の故障で引退と言われていますが本当の真相は違うのかもしれません。精神的なプレッシャーが次第に伊達選手からモチベーションを奪ってしまったのかもしれません。ランキングは上がりトップ選手に勝利することで周囲はグランドスラム大会の優勝やランキング1位と騒ぎ立てます。様々な要因が絡み合っていると思いますが日本全体がまだ世界で戦えるトップアスリートを受け入れる環境が無かったのだと思います。
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2001年12月1日、ドイツ人レーシングドライバーのミハエル・クルムと結婚し、本名が「クルム伊達公子」となった。

2008年現役復帰・現在まで現役を続ける44歳!

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人間というのは成長を求める生き物だと思うのです。試練を乗り超えて自分のレベルを上げたい。そういう気持ちは誰しも心のなかにもっているのではないでしょうか。私の場合、その気持ちを思い起こさせてくれたのは、やはりテニスでした。『やっぱり私はテニスが好きだったんだ』と気づくのに11年もかかってしまいました。でもそれは私にとって必要な時間だったと思います」
エキシビジョンがきっかけでテニスへの気持ちを取り戻した伊達選手はその後旦那さんの後押しもあり現役復帰します。テニスを楽しめるようになった伊達選手はコート上で感情を表すようになりました。以前よりもリラックスしていることもありますがアスリートである旦那さんの影響も大きいのかもしれませんね。
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年齢を経れば不利と思われるかもしれませんが、テニスでは必ずしもそうではありません。経験があれば、試合運びにしっかりしたプランが立てられますし、途中で柔軟に戦術を変えることもできます。パワーの代わりに頭を使ってショットを決めたり、力で攻めてくる相手がパワーダウンするのを待って攻撃を仕掛けたり……経験は大きな力になるのです。若い選手にはそれが脅威に思えるようで、対戦するとやりづらいと言われます(笑)。
伊達公子さんの全盛期を振り返ってみました。当時の資料が少なく、お見せできるものが限られますが20年も前のことになるのですね。
今年45歳になる伊達選手、いつまで現役でいられるかは誰にも分かりませんがテニスが好きで体が動く限り、精一杯楽しんで欲しいですね!!
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