1980~89年・ウィンブルドン決勝戦・組み合わせ
ウィンブルドンは4大大会の中でも権威のある大会です。
1980年代はそれまでのウッド製のラケットからカーボンなどの新素材に変わり始めた時代です。サービスやストロークのスピードアップし、新しい選手も続々と現れました。今回はそんな年代のウィンブルドンの決勝戦を振り返ってみようと思います。
1980年代はそれまでのウッド製のラケットからカーボンなどの新素材に変わり始めた時代です。サービスやストロークのスピードアップし、新しい選手も続々と現れました。今回はそんな年代のウィンブルドンの決勝戦を振り返ってみようと思います。
1980年 ビョルン・ボルグ(5) ジョン・マッケンロー
1981年 ジョン・マッケンロー(1) ビョルン・ボルグ
1982年 ジミー・コナーズ(2) ジョン・マッケンロー
1983年 ジョン・マッケンロー(2) クリス・ルイス
1984年 ジョン・マッケンロー(3) ジミー・コナーズ
1985年 ボリス・ベッカー(1) ケビン・カレン
1986年 ボリス・ベッカー(2) イワン・レンドル
1987年 パット・キャッシュ(1) イワン・レンドル
1988年 ステファン・エドベリ(1) ボリス・ベッカー
1989年 ボリス・ベッカー(3) ステファン・エドベリ
一部改変
1980年 ボルグの5連覇かマッケンローの初優勝か
1980年ウィンブルドン男子シングルス決勝、第4セットのタイブレークは、20世紀のスポーツ史上でも類を見ないほど壮絶なものとなった。立役者はディフェンディング・チャンピオンであったビヨン・ボルグとアメリカのジョン・マッケンローだ。
ボルグは当時24歳で、ウィンブルドン5連覇を狙っていた。一方21歳のマッケンローは、1977年に予選を勝ち上がって初めて準決勝まで進んでいたが、今回が初の決勝進出であった。
優勝:ビョルン・ボルグ
1980年までに4連覇している名実ともにトッププレーヤーです。
ネットプレーが有利であると言われているウィンブルドンでトップスピン主体のベースライナーが4連覇というのは例を見ない偉業。
ネットプレーが有利であると言われているウィンブルドンでトップスピン主体のベースライナーが4連覇というのは例を見ない偉業。
男子シングルス優勝者のビョルン・ボルグが、1976年からウィンブルドン「5連覇」の偉業を達成した。ジョン・マッケンローとの男子シングルス決勝は「3時間55分」を要した激戦となり、今なおテニス史上に残る名勝負の1つとして語り継がれている
スコア:1-6 7-5 6-3 6-7 8-6
via img.spokeo.com
1981年 ボルグの6連覇かマッケンローの初優勝か
1981年のウィンブルドンでは、再び決勝で相まみえたボルグを 4-6, 7-6, 7-6, 6-4 で破り、前年の雪辱を果たして初優勝。こうして、マッケンローがボルグのウィンブルドン「6連覇」を阻止した。
via hpr.co.jp
第1セットはボルグ6-4 観客はボルグを応援します。第2セットはマッケンロー7-6(7-1) マッケンローのサーブ&ボレーが冴えます。第3セットはマッケンロー7-6(不明) 5-4ボルグリードをデュースゲームの攻防で凌ぐ。第4セット マッケンロー6-4 ボルグが打つサーブに威力が落ちたようです。
マッケンロー 4-6 7-6 7-6 6-4 ボルグ
勝者マッケンローはとことんウィンブルドンから嫌われたようです。ウィンブルドン104年の歴史で最も歓迎されないチャンピオンと記載されています。
準優勝:ビョルン・ボルグ
6連覇が阻止されたボルグはこの年以降、ウィンブルドンの決勝に進むことはありませんでした。
その後、1983年で引退となります。
マッケンローとのライバル関係は3年程度の短い期間でしたがウィンブルドンの決勝は歴史に残るものです。
その後、1983年で引退となります。
マッケンローとのライバル関係は3年程度の短い期間でしたがウィンブルドンの決勝は歴史に残るものです。
1982年 マッケンローの連覇阻止はジミーコナーズが?
前年度優勝のマッケンローとコナーズのアメリカ人同士の決勝。
コナーズは1978年から4大大会の優勝が無く、すでに30歳になっていました。対するマッケンローは前年の優勝以降、世界ランクもNO,1となり優勝候補筆頭でのウィンブルドンでした。
コナーズは1978年から4大大会の優勝が無く、すでに30歳になっていました。対するマッケンローは前年の優勝以降、世界ランクもNO,1となり優勝候補筆頭でのウィンブルドンでした。
3-6 6-3 6-7 7-6 6-4
4時間15分の熱闘でした。この決勝もウィンブルドンの名勝負に数えれてています。