日本テニスの生ける伝説 伊達公子は錦織の前に世界トップに手が届く可能性がありました
2016年11月25日 更新

日本テニスの生ける伝説 伊達公子は錦織の前に世界トップに手が届く可能性がありました

1990年代半ば、錦織選手よりも20年も前に世界のトップ5入りを果たした女性がいます。現役復帰した伊達公子さんの全盛期を振り返ってみたいと思います。

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日本女子テニス界のレジェンド・伊達公子

日本テニス界に現れた世界トップレベルのプレイヤー、錦織圭。世界のTOP5にランキングされ、グランドスラムタイトルも現実的なレベルとあれば期待せずにはいられません。しかし、今から20年ほど前にも世界のトップに迫った選手がいました。その名も伊達公子。日本女子テニスの可能性を広げた選手です。一度の引退を経て現在は現役選手として活躍している伊達公子さんの全盛期を振り返りたいと思います。
http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/otherballgame/entry_img/Date1994PBbest4.jpg (1078523)

デビュー年 1989年
ツアー通算 14勝
シングルス 8勝
ダブルス 6勝

4大大会最高成績・シングルス
全豪 ベスト4(1994)
全仏 ベスト4(1995)
全英 ベスト4(1996)
全米 ベスト8(1993・94)

引用元:ウィキペディアクルム伊達公子
国籍 日本
出身地 京都府京都市
生年月日 1970年9月28日(44歳)
身長 163cm
体重 53kg
利き手 右
バックハンド 両手打ち

代名詞・ライジングショット

http://sportiva.shueisha.co.jp/contents/whattoday/entry_img/date-001.jpg (1078526)

当時のテニスの主流はグラフやサンチェス、サバティーニといったトップ選手のプレースタイルであるスピンをきかせたストロークでした。ナブラチロワのサーブ&ボレーのスタイルを除けば伊達選手のようなフラットに近い打球は珍しいものでした。
他の選手よりも前で打球を捌くうえ、バウンドも低くスピードが速いので良いときの伊達選手のプレーは他の選手と全くペースが違います。
これができるから伊達選手は身体能力に劣りながらも世界の上位になったのですね。
「ライジング・ショット」の名手として、世界的にも有名な選手である。これは、相手の打ったボールが自分のコートでバウンドした直後の上がり端を打ち返す、非常に高度な技術である。世界トップ選手へと躍進し始めた頃の伊達は、“ライジング・サン”(日の出)と呼ばれた。

プロデビューからあっという間のトップ10入り

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伊達さんはプロデビューが1989年。その後は順調といえるペースでランキングをあげています。デビュー時は322位だったランキングは91年には32位、92年は21位、93年は13位とデビューからわずか5年程度で世界のトップ選手といえるほどの選手になってしまいました。
1992年、2月に東京の「東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメント」で、当時世界ランキング5位のアランチャ・サンチェス・ビカリオを破る。3月末の「リプトン国際選手権」4回戦でシュテフィ・グラフと初対戦。全仏オープンで初めて4大大会のシード選手になり、4回戦に進出。全日本テニス選手権で2連覇。この年の活躍により、WTAアワードの「最も上達した選手賞」(Most Improved Player of the Year)に選出された。
1993年、全米オープンで初の4大大会ベスト8進出。この4回戦で、当年度のウィンブルドン準優勝者ヤナ・ノボトナを破る。
エッセイも出しています。
http://ecx.images-amazon.com/images/I/41G6026EVZL._SX304_BO1,204,203,200_.jpg (1078532)

ランキングが上がるにつれて世間の認知度も高くなり、伊達選手は大人気になってしまいます。テニス選手としての活動以外にも注目されてしまうことになります。
有名人になることに拒否反応があったのか、伊達選手はコート上でも感情を出さず笑わなくなりました。以後、引退するまで張り詰めた顔をしてプレーをする伊達選手しか見ることができませんでした。
http://tennis-since1965.c.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_6bf/tennis-since1965/date4-73205.jpg?c=a0 (1078534)

1994年、1月にオーストラリアの「ニュー・サウスウェールズ・オープン」で海外初優勝。日本人の女子テニス選手として、史上初の世界トップ10に躍進する。直後の全豪オープンで初の4大大会ベスト4進出を果たしたが、準決勝でグラフに 3-6, 3-6 で完敗。全米オープンで2年連続ベスト8入り。日本人選手として初めて女子テニスツアー年間最終戦の「バージニア・スリムズ選手権」の出場権を獲得し、準決勝まで進出した。

東レPPOテニス 1995年 伊達公子初優勝 - YouTube

出典 youtu.be
1995年、2月の東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメントで初優勝。その決勝戦ではリンゼイ・ダベンポートを圧倒した。リプトン国際選手権で準優勝。この大会では決勝でグラフに完敗したが、準決勝でガブリエラ・サバティーニを 1-6, 1-5 の土壇場から逆転し、1-6, 7-6, 7-6 で逆転勝利を収めた。この年は全仏オープンで日本人初のベスト4進出を達成するが、準決勝でアランチャ・サンチェス・ビカリオに 5-7, 3-6 で敗れた。
11月に自己最高の世界ランキング4位を記録する。年間最終ランキングもシュテフィ・グラフ、コンチタ・マルティネス、アランチャ・サンチェス・ビカリオに次ぐ4位に輝いた。 
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1996年4月27日 - 28日、東京・有明コロシアムで開かれた女子国別対抗戦・フェドカップの「ワールドグループ」1回戦でドイツと対戦し、28日の試合で女王シュテフィ・グラフを 7-6, 3-6, 12-10 で破る大金星を挙げた。1996年7月4日 - 5日の2日間にわたり、ウィンブルドン準決勝でグラフと最後の対戦をする。第1セットはグラフが 6-3 で先取したが、第2セットを伊達が 6-2 で取り返したときに試合が日没順延となり、翌日に持ち越された第3セットはグラフが 6-3 で取ったため、日本人選手初の4大大会決勝進出はならなかった。
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