90年代最強のプレイヤー・ピートサンプラス
錦織の活躍で俄然注目を集めている男子テニス。今の時代、テニス界に君臨するBIG4と言われるプレイヤーがいます。その中でもフェデラー、ジョコビッチは数年間ずれがありますがどちらも圧倒的な強さを誇るトップ中のトップと言われる選手です。
90年代にも圧倒的な実力を持った選手が存在していたのをご存知でしょうか? ピートサンプラス、フェデラーと比較されるオールラウンドプレイヤーです。今回はそのピートサンプラスについて解説をしてみたいと思います。
90年代にも圧倒的な実力を持った選手が存在していたのをご存知でしょうか? ピートサンプラス、フェデラーと比較されるオールラウンドプレイヤーです。今回はそのピートサンプラスについて解説をしてみたいと思います。
4大大会最高成績・シングルス
全豪 優勝(1994・97)
全仏 ベスト4(1996)
全英 優勝(1993-95・1997-2000)
全米 優勝(1990・93・95・96・
2002)
優勝回数 14(豪2・英7・米5)
通算14勝は男子歴代2位
グランドスラム最多優勝記録33年ぶりの更新となる通算14回優勝(現在2位タイ記録)、最長記録を10年ぶりに更新となる通算286週のランキング1位保持記録(現在2位)を樹立した。また、ウィンブルドン選手権と全米オープンの最多優勝記録(タイ記録)も保持する。
引用元:ウィキペディアピートサンプラス
引用元:ウィキペディアピートサンプラス
ストローク、ボレー、サービス全てのレベルが高いうえに非常に冷静なプレイスタイルで世界最高のオールラウンダーとも称されます。
あまりに強く、冷静であるため面白みのない選手と言われていた面もありますがプレイ自体は人を魅了するテクニックに溢れたものでした。
あまりに強く、冷静であるため面白みのない選手と言われていた面もありますがプレイ自体は人を魅了するテクニックに溢れたものでした。
ピートサンプラスの選手としてのキャリアまとめ
グランドスラム決勝
シングルス: 18 (14 タイトル, 4 準優勝)
全豪オープン:2勝(1994年、1997年)
〔準優勝1度:1995年〕
ウィンブルドン:7勝(1993年-1995年、1997年-2000年)[3連覇と4連覇、男子歴代1位タイ]
全米オープン:5勝(1990年、1993年、1995年&1996年、2002年)
[大会歴代4位タイ]〔準優勝3度:1992年、2000年&2001年〕
引用元:ウィキペディアピートサンプラス
シングルス: 18 (14 タイトル, 4 準優勝)
全豪オープン:2勝(1994年、1997年)
〔準優勝1度:1995年〕
ウィンブルドン:7勝(1993年-1995年、1997年-2000年)[3連覇と4連覇、男子歴代1位タイ]
全米オープン:5勝(1990年、1993年、1995年&1996年、2002年)
[大会歴代4位タイ]〔準優勝3度:1992年、2000年&2001年〕
引用元:ウィキペディアピートサンプラス
1988年 2月に17歳でプロデビューし、同年の全米オープンで
4大大会初出場。
1989年 全米オープン2回戦で前年優勝者のマッツ・ビランデルを
破る。この大会では4回戦まで進出した。
1990年 2月にアメリカ・フィラデルフィア大会でツアー初優勝。
9月9日、全米オープン決勝でアンドレ・アガシを破り、
「19歳28日」で4大大会初優勝。これにより、全米オープンの
男子最年少優勝記録を100年ぶりに更新する。
1993年 4月にジム・クーリエを抜き、初めて世界ランキング1位になる。
1993年 - 1994年 ウィンブルドン初優勝。その後全米オープン・
翌年の全豪オープンを制覇し、4大大会3連勝を飾る。
ここからサンプラス時代が始まった。
via www.geocities.jp
1993年 - 2000年
ウィンブルドン選手権で総計「7勝」を達成。1993年-1995年
まで3連覇を果たすが、1996年の準々決勝でリカルド・
クライチェクに敗退。1997年-2000年まで4連覇を果たし、
ウィンブルドン優勝の男子歴代1位タイ記録に並んだ。
2000年 全米オープン決勝でマラト・サフィンにストレートで敗れ、
“サンプラスの決勝不敗神話”が崩れることになる。
2001年 ウィンブルドン4回戦でロジャー・フェデラーに、
全米オープン決勝でレイトン・ヒューイットにそれぞれ
敗れ、1992年以来の4大大会無冠に終わる。
2002年 全米オープンで6年ぶり5度目の優勝。これが最後の4大大会
優勝になり、同時に彼の現役最後の試合にもなった。
サンプラスのライバル
90年代最高の選手と言われたピートサンプラスですが、実際にランキング1位になり、全盛期を迎えるのは93年以降、特に94年からです。それ以前のライバルとしては同じアメリカのジムクーリエです。
1990年代初頭に活躍し、全豪オープンと全仏オープンでそれぞれ大会2連覇を達成した。アメリカの同世代男子選手にはアンドレ・アガシ、ピート・サンプラス、マイケル・チャンなどがいて、特にアガシとは少年時代からのライバルだった。ATPツアーでシングルス23勝、ダブルス6勝を挙げる。身長185cm、体重82kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。フルネームは James Spencer Courier (ジェームズ・スペンサー・クーリエ)という。クーリエは元野球少年だったことから、バックハンド・ストロークはまるで野球の左打ちのバッティングのようなフォームであった。
引用元:ウィキペディアジムクーリエ
引用元:ウィキペディアジムクーリエ
少年時代からの友人でもある2人、先に世界の頂点にたったのはクーリエでした。そのクーリエからナンバーワンを奪い取ったのはサンプラス。
同じ時代でライバル関係を築いた2人の最高の試合は1995年、全豪オープンの準々決勝です。
同じ時代でライバル関係を築いた2人の最高の試合は1995年、全豪オープンの準々決勝です。
via www.ne.jp
前回優勝者のピート・サンプラスと少年時代からの仲間ジム・クーリエによる、有名な1995年オーストラリアンの準々決勝だった。サンプラスのコーチで助言者のティム・ガリクソンは大会中にガンと診断され、翌日には飛行機で帰国の途に就く事となった。
きわめて異例な事だが、サンプラス、クーリエ、ティムと(兄弟の)トムは、ティムが翌日に帰国するという試合前夜に全員で夕食を共にした。
結果として4時間を越える試合の末、サンプラスは勝利します。
クーリエはナンバーワン時代にはサンプラスを批判したことも有り、決して友好関係ではなかったかもしれませんが、この試合はそういったことを超越した名勝負となりました。
クーリエはナンバーワン時代にはサンプラスを批判したことも有り、決して友好関係ではなかったかもしれませんが、この試合はそういったことを超越した名勝負となりました。
最高のライバルと言われるアンドレアガシ
史上唯一のキャリア・グランドスラム・オリンピックシングルス金メダル・ATPツアーファイナルチャンピオンシップ優勝の3冠達成者。達成4大大会通算「8勝」は、ジミー・コナーズやイワン・レンドルらと並ぶ男子歴代8位タイ記録。
サンプラス vs アガシ 1991 ATP Tour World Championships - YouTube
via youtu.be
国籍 アメリカ合衆国
出身地 ワシントンD.C.
生年月日 1971年8月12日(43歳)
身長 185cm
体重 77kg
利き手 右
バックハンド 片手打ち
ツアー経歴
デビュー年 1988年
引退年 2003年
ツアー通算 66勝
シングルス 64勝
ダブルス 2勝
生涯通算成績 826勝292敗
シングルス 762勝222敗
ダブルス 64勝70敗
生涯獲得賞金 $43,280,489
引用元:ウィキペディアピートサンプラス