アガシは非常に浮き沈みの激しいキャリアでしたから、ナンバーワンを争ってしのぎを削るというイメージではありません。
しかし、アガシはそのリターン能力でサンプラスを脅かすプレイヤーとして存在感を発揮していたような気がします。
2人の試合は名勝負と呼ばれるものがたくさんあるのです。
しかし、アガシはそのリターン能力でサンプラスを脅かすプレイヤーとして存在感を発揮していたような気がします。
2人の試合は名勝負と呼ばれるものがたくさんあるのです。
最高のオールラウンダーと言われるのは……
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サービスは、ファースト・サービスはもとより、セカンドでもエースを狙えるほど強力で、非常に柔軟な肩から同じトスでスライスサーブ・フラットサーブ・スピンサーブを打ち分けることができた。そのため、対戦相手はサーブのコースや種類を読むことが極めて難しかった。
【最強サーブ&ボレー】サンプラスのお手本ともいうべきネットプ - YouTube
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ボレーは、相手コートに叩き付けたり、柔らかいタッチでネット際に落としたり、状況に応じて打ち分けることができ、こうした彼のサーブ力とボレー力は世界一と称された。
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「ピストル・ショット」と呼ばれた彼のフラット系のストロークも強力で、ストロークの名手アンドレ・アガシにも打ち勝つほどの力があり、ストロークで相手を圧倒することもしばしば見られた。特にフォアのクロスの切り返しは彼の得意のショットであった。
サンプラスが最高のオールラウンダーと言われるのは、全てのショットでポイントを取れるという点につきます。グランドストローカー、ネットプレイヤー、ビッグサーバーなど突出した強みを持っている選手はそこが安定しなければ相手がランキング下位であっても負けてしまうのです。
サンプラスはそこがあまり無いプレイヤーでした。
サンプラスはそこがあまり無いプレイヤーでした。
唯一の苦手・クレーコート
サンプラスの穴として決定的なのがクレーコート勝率の低さだろう。
例えばレンドルは、苦手のグラスでも勝率76.4%を記録しており、最終的に優勝しなかったとはいえ、
ウィンブルドンでは毎年優勝候補に挙げられていた。準決勝進出が7回というのも安定感を表している。
一方のサンプラスは、クレー勝率62.5%とかなり低く、全仏で優勝候補になることもなかった。
準決勝進出が1996年に一回あるのみで、1回戦敗退や2回戦敗退も多く経験している。
グランドスラム大会で唯一タイトルを取れなかったのは全仏オープンです。
同時代にクレーコートで強さを見せつけたクーリエやブルゲラがいたこともあり、タイトルを取ることはできませんでした。
同時代にクレーコートで強さを見せつけたクーリエやブルゲラがいたこともあり、タイトルを取ることはできませんでした。
引退の真相・そして現在は?
「僕は29歳の時に(グランドスラム)記録を破った―――その後2年間は、モチベーションを見いだそうとして過ごした。もはや毎週毎週の大会では、モチベーションが湧かないと感じていた。僕はただ、もう1回メジャーで優勝したかったんだ。コーチを替えたりしたが、あまり効果が上がらなかった。最後の夏にポール・アナコーンの元に戻ったら、自分がゲームを取り戻したと分かった。あとはそれを組み立てて、あの最後のUSオープンでプレーするのみだった」
引退後のサンプラスは、グランドスラムには関わってこなかった。いくつかのエキシビション・マッチには参加してきているが、かつての彼のライバルたち、エドバーグやボリス・ベッカー、イワン・レンドル、マイケル・チャンのように、コーチを務めたことはない。
「僕はまだジムに行ってるよ。練習量はちょっとだけどね」と42歳になったサンプラスは言う。「今はゴルフをたくさんやっているんだ」。
現在も派手な生活とは無縁なようですね。伝説のテニスプレイヤーとして今後もあらゆる面で憧れの対象になるのだと思いますが、サンプラスの本質は真面目で努力家、それは変わらないんですね。
今回は90年代最高のプレイヤー、ピートサンプラスについてまとめてみました。
今回は90年代最高のプレイヤー、ピートサンプラスについてまとめてみました。