孤高の大打者・最年少三冠王 落合博満のプロ野球選手時代・まさに異端
2016年11月25日 更新

孤高の大打者・最年少三冠王 落合博満のプロ野球選手時代・まさに異端

落合博満というプロ史上最強の打者の一人についてまとめてみました。オレ流といわれる落合の選手時代のエピソードから、人となりがわかってくるのではないでしょうか。

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日本人初の年棒調停

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1991年2月、年俸を不服として日本人選手として初めて調停を申請。同年シーズンは前半戦に肉離れを起こし、大事を取り打撃三部門のトップに立った時点で1ヵ月程戦線離脱をした。復帰後も終盤まで十分に三冠王を狙える位置にいたが、三冠王を獲得するため本塁打狙いにいった結果打率が下がり、打率.340・37本塁打・91打点で本塁打王のみに終わる。
いずれもハイレベルな成績ですが、打率は古田、打点は広沢というヤクルトコンビにさらわれてしまいました。
年棒調停に至った詳しい経緯は調べきれませんでしたが、お金で揉めるということはイメージが悪いと避ける人の方が多いところ、落合はしっかり調停まで持ち込んでいます。

史上最年長での規定打席到達

1997年、同じセ・リーグのヤクルトスワローズからの誘いを断り、年俸3億円の2年契約を提示した日本ハムに移籍。背番号は「3」。キャンプでは若手の生え抜きの上田佳範を指導し、上田は見事打率三割を規定打席に到達して記録した。自身は大杉勝男に次ぐプロ野球史上二人目の両リーグ1000本安打を達成するものの、打率.262、本塁打3、打点43という成績に終わった。
http://livedoor.blogimg.jp/i6469/imgs/c/3/c3d04162.jpg (1436608)

いずれも規定打席に到達したシーズンの中では過去最低の成績に終わったが、44歳になる年での規定打席到達は現在でも日本プロ野球史上最年長記録である。

名球界入り拒否の理由

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通算400勝、ミスター名球会の金田正一氏です。
入団当初、キャンプに来ていた評論家は口を揃えて落合のフォームを酷評し、特に前監督の金田正一は面と向かって落合の打撃を酷評した。
この事は後に金田が会長を務めていた名球会への入会拒否の一因となり、プロ入り2年目ごろには「将来、たとえ2000本安打とか打てたとしても、名球会には入らない」と断言した。
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落合は入団当初に酷評されたことを根に持っているのではなく、影響力のある人間がまだ若いルーキーに対して面と向かって酷評した場合、その選手は潰れてしまうのでは、ということを問題にしていました。

プロとして実績を積んでいたり、ある程度の年齢であれば受け流せても、高卒ルーキーは10代、それが名球界という権威のある選手に酷評をされるのは耐えられないことなのでしょう。

この名球界入りのエピソードにも、風土に合わない場所はどんな権威でも関係なく拒否をするという落合流が感じられます。

唯一無二の存在・落合博満

落合博満 80連発ホームラン - YouTube

プロらしいプロ選手だった落合、ロッテ、中日、巨人、日ハムと4球団を渡り歩き、選手生活の晩年であった日ハム以外は好成績を残しています。
43歳のシーズンでも3割、20本塁打を記録できる選手はこれから現れるでしょうか。

卓越した打撃技術でプロとして最高のタイトルを獲得した名選手。
今現在、GMとしての評価が如何なるものであってもそれだけは変わらない評価だと思います。

誤解をされやすい性格の方だと思いますが、思ったことが口に出る素直な部分が裏目に出る事もありますね。

今回は選手としての落合博満を振り返りました。
特に史上初の部分にスポットを当ててみましたがいかがでしたでしょうか。
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