1993年アンドレ・ザ・ジャイアント死去。享年46歳
父親の葬儀へ出席するためフランスに帰国していた1993年1月27日、パリのホテル内で急死。死因は急性心不全でした。長年に渡る過度の飲酒が原因と言われています。
via a-mp.jp
アンドレは、先端巨大症(アクロメガリー)だった。先端巨大症は、脳下垂体前葉の成長ホルモン分泌腺細胞が腫瘍化し、成長ホルモンが過剰に産生されるため、手足、内臓、顔が肥大化する。唇が厚くなる、額が突き出る、下顎がせり出す、舌や声帯が厚くなる、四肢が異常に発達する、四肢以外の筋肉が萎縮する、骨がもろくなる、頭痛や発汗過剰を起こすなどの症状を示す。
さらに、脳梗塞、脳出血などの脳血管障害、狭心症、心筋梗塞、心不全、高血圧などの心血管障害のほか、糖尿病、大腸がんなど悪性腫瘍、睡眠時無呼吸症候群、内臓障害など、さまざまな合併症を伴うことが少なくない。
先端巨大症は身長が異常に成長するのが特徴だが、210cmを越えると上肢・下肢を問わず体重の負荷がかかり、じわじわと全身に悪影響を及ぼす。アンドレは、1980年代中頃から、オーバーウエイトに苦しみ、両膝、腰、背中の激痛に襲われる。全盛期の動きのキレはほとんど消えていた。
ミスター高橋は「アンドレは、身長の伸びるのが止まらないのをひどく気にしていた」と『悪役レスラーのやさしい素顔』で回想する。先端巨大症の苦痛と闘っていたアンドレ。数十年にわたる激烈過酷なマッチは、アンドレの両膝、関節、背骨を極限まで痛めつけた。引退後の晩年、米国ノースカロナイア州の片田舎に広大な牧場を買い、多くのイヌやネコとひっそりと暮らした。だが、両手で杖をつき、歩行もままならない状況だったという。
苦境に追い打ちをかけたのが、巨体にもの言わせて若い時から抜け出せなかった過度の飲酒癖だ。全盛期はビール、晩年はワインを鯨飲。飲酒量が桁違いだったため、「店ごと飲み込んだ」など酒にまつわる奇談は数知れない。試合前に何本も飲み干し、ほとんどトレーニングをしなかったので、心臓や肝臓への負担は避けられなかった。悪性のアルコール依存症とオーバーウエイトに祟られ、糖尿病の併発や内臓の衰弱と死闘していたのではないか?
1993年、実父の葬儀へ出席するためにフランスに帰国。その直後、パリのホテル滞在中の1月27日、急性心不全で急死。享年46だった。遺書にこうある。「死後48時間以内の火葬を厳守すること 」。WWF(ワールド・レスリング・フェデレーション)は、生前の活躍に敬意を表してWWF殿堂を設立。アンドレに殿堂入り第1号の栄誉を贈った。
「It's not my business.(仕掛けたのは俺の意思ではない)」。「底が丸見えの底なし沼」というプロレス界の地獄で、アンドレが一生を賭けて闘った敵は何か? それは、異形、異端、異様、破格、壮絶、非凡! 先端巨大症という因果を背負った”モンスター”の悲哀と慟哭ではなかったか?