ポール・マッカートニーの脱退宣言から50年!1970年に発生した「ビートルズの解散問題」
2020年3月12日 更新

ポール・マッカートニーの脱退宣言から50年!1970年に発生した「ビートルズの解散問題」

世界中のポピュラー音楽に絶大な影響を与えた伝説のバンド・ビートルズの事実上の解散から、2020年で50年を迎えます。この記事では、そんなビートルズの「解散問題」について掘り下げたいと思います。

2,226 view

1970年に発生した「ビートルズの解散問題」

60年代から現在に至るまで、世界中のポピュラー音楽に影響を与え続けている伝説のバンド「ビートルズ」。1970年に彼らが事実上解散してから、2020年で実に50年を迎えます。そもそも、なぜ彼らは解散という選択をしたのでしょうか?この記事では、ビートルズが解散する原因になったとされる出来事について詳しく迫ってみたいと思います。

解散を伝える当時の新聞記事

1966年8月、ライブ活動を終了しレコーディングに専念

日本武道館での伝説的公演など、世界各国でライブを開催していたビートルズ。しかし、1966年8月に開催したサンフランシスコでの公演を最後に、ライブ活動を停止しました。これは、各国でライブを開催する際に発生したトラブル(例えば、フィリピンで暴動が発生した際にツアー関係者が負傷)がメンバーにとってのストレスとなり、自身の音楽を表現する場として相応しいライブを開催することが困難になってしまったのが原因と言われています。

そしてライブ活動の停止を決定した際、ジョージ・ハリスンはバンドからの脱退を当時のマネージャーであったブライアン・エプスタインに申し出たのですが、このときジョージの意見は聞き入れられず、結局バンドに残留することとなりました。

ビートルズの陰の立役者「ブライアン・エプスタイン」が死去

1967年8月、ビートルズのマネージャーとして辣腕を振るい、バンドを世界的に成功させた陰の立役者であるマネージャー、ブライアン・エプスタインが自宅で死亡するという事件が発生。睡眠薬のオーバードーズが原因であり、メンバーは大きなショックを受けました。そしてこのエプスタインの死去が、メンバー間の力関係に変化をもたらします。
 (2174511)

マネージャーとして辣腕を振るったブライアン・エプスタイン。
エプスタインの死後、バンドの主導権を握ったのはポール・マッカートニーでした。ビートルズのヒット曲を量産していたポールの発言権は大きく、1967年12月にリリースされたアルバム「Magical Mystery Tour」はポールが主導するプロジェクトとなりました。その一方で、ジョージはポールの言動に不満を抱き、徐々に不仲が顕在化していくことに。なお、後年ジョン・レノンは「エプスタインの死がバンド解散の主原因となった」と述懐しています。
 (2174842)

ジョージ・ハリスンへの「過小評価」

ジョンとポールという二枚看板の影に隠れがちだったジョージに対する「過小評価」が、ジョージと他メンバーの関係悪化へと繋がったという指摘もあります。確かに活動初期のビートルズにおいては、メロディーメーカーとしてはジョンとポールの後塵を拝しており、ジョージ自身も後に当時の実力不足を認めています。しかしながら、活動後期には「Something」「Here Comes The Sun」に代表される名曲を輩出し、作曲の才能を開花させていきました。にもかかわらず、当時主導権を握っていたポールはジョージを軽視し続けており、バンド内でジョージが孤立状態にあったと言われています。
 (2174516)

「オノ・ヨーコ」のビートルズへの関与

「ビートルズの解散には『オノ・ヨーコ』が関与している」という話は、ファンならずとも一度は耳にしたことがあるかと思います。これはヨーコがジョンとの交際を通じて、ジョンの音楽性などに影響を与え、それが他メンバーとの衝突の原因となったという説で、実際ジョンがヨーコをバンドのセッションに連れてきた際に、ヨーコが楽曲について意見したと言われています。さらに、ジョンにソロ活動をするように促したとも。

このように「ヨーコがビートルズ解散の戦犯である」という説は長年囁かれていましたが、しかしながら、後年ポールは「ヨーコがビートルズをバラバラにしたのではなく、ビートルズは自らバラバラになった」と語っており、必ずしもヨーコが解散の原因ではないことを示唆しています。
 (2174517)

オノ・ヨーコとジョン・レノン。

1969年9月、ジョンが脱退を宣言

1969年9月、アップル本社で行われた会合にてジョンとポールがビートルズの今後の活動について口論となり、その際にジョンから「脱退宣言」が飛び出しました。しかしながら、当時のマネージャーだったアラン・クレインの説得により、その場での脱退は無かったことに。しかし、この口論以降、ジョンがビートルズのメンバーとしてスタジオ入りすることはありませんでした。

なお、当時のジョンは薬物中毒で精神的に不安定になっていた時期であり、周囲の意見を聞く余裕がなかったと言われています。そんな中飛び出したのが、この脱退宣言でした。また、この件によるポールのダメージは大きかったものの、当時の妻・リンダの支えにより、何とか精神的に持ちこたえたとのことです。
29 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

日本の伝統工芸とビートルズが初の公式コラボ!展示販売イベント第三弾がタカシマヤタイムズスクエア高島屋新宿店で開催!!

日本の伝統工芸とビートルズが初の公式コラボ!展示販売イベント第三弾がタカシマヤタイムズスクエア高島屋新宿店で開催!!

アイ・シー・エージェンシーが、タカシマヤタイムズスクエア高島屋新宿店2階 ザ・メインスクエアで開催される「THE BEATLES×日本伝統工芸品」にて「THE BEATLES×日本伝統工芸」展示販売会を行います。
隣人速報 | 71 view
【訃報】ストーンズのドラマー、 チャーリー・ワッツさん死去。音楽家達から悲しみの声

【訃報】ストーンズのドラマー、 チャーリー・ワッツさん死去。音楽家達から悲しみの声

イギリスを代表するロックバンドとして長年にわたり活動を続けているザ・ローリング・ストーンズのドラマー、チャールズ・ロバート“チャーリー”ワッツさんが24日、ロンドン市内の病院で亡くなっていたことが明らかとなりました。
隣人速報 | 858 view
懐かしのバンドが目白押し!楽器店員が選ぶ「推しバンド」「加入希望バンド」が決定!!

懐かしのバンドが目白押し!楽器店員が選ぶ「推しバンド」「加入希望バンド」が決定!!

島村楽器株式会社が、このたび従業員に対して洋楽ロックバンドに関する調査を実施しました。その結果、楽器店員が選ぶ「推しバンド」「加入希望バンド」に加え、一番ロックが盛り上がっていたのはどの年代だったのかも明らかに!
隣人速報 | 3,345 view
ビートルズ「アビイ・ロード」が50周年記念エディションになって登場!さらに当時の現地の模様を収めた動画が公開!!

ビートルズ「アビイ・ロード」が50周年記念エディションになって登場!さらに当時の現地の模様を収めた動画が公開!!

世界を代表するバンド、ザ・ビートルズが1969年8月8日にアルバム「アビイ・ロード」のジャケットを撮影してから50周年となったのを記念し、当時の現場の様子を撮影した公式動画が公開されました。
隣人速報 | 2,588 view
親父にそっくり!?「ビートルズ」メンバーの息子たちの魅力!!

親父にそっくり!?「ビートルズ」メンバーの息子たちの魅力!!

日本の芸能界で定期的に話題となっている「二世タレント」。最近ではキムタクと工藤静香の次女が世間を騒がせていますよね。一方、海外では二世タレントはどのような活躍をしているのでしょうか。この記事では、世界を代表するバンドである「ビートルズ」の息子たちについて書いてみたいと思います。

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト