かぐや姫
1970年に「南高節とかぐや姫」としてデビューし、その後メンバーを変えて1971年に「南こうせつとかぐや姫」で再デビューを果たします。
この時のメンバーが伊勢正三と山田パンダ(山田つぐと)です。
後に名曲を世に送り出す3人ですが、デビューから2年ほどは、あまり目立った存在ではありませんでした。
1973年にグループ名を「かぐや姫」に変更、素晴らしい活躍をしていきます。
この時のメンバーが伊勢正三と山田パンダ(山田つぐと)です。
後に名曲を世に送り出す3人ですが、デビューから2年ほどは、あまり目立った存在ではありませんでした。
1973年にグループ名を「かぐや姫」に変更、素晴らしい活躍をしていきます。
via www.tintai.jp
古いコートは捨てて 僕の胸でおやすみ
僕の胸でおやすみ
via akabay.jugem.jp
1973年7月リリース。彼らの初のヒット曲です。
作詞・作曲は山田パンダ(つぐと)が担当しました。
綺麗に流れるメロディと、切なさを感じながらも愛のある詩がマッチしている、とてもいい楽曲です。ジワジワとロングヒットを続け25万枚も売り上げました。
作詞・作曲は山田パンダ(つぐと)が担当しました。
綺麗に流れるメロディと、切なさを感じながらも愛のある詩がマッチしている、とてもいい楽曲です。ジワジワとロングヒットを続け25万枚も売り上げました。
かぐや姫 僕の胸でおやすみ
via www.youtube.com
名曲誕生
神田川
1973年9月リリース。作曲、南こうせつ。
彼らの最大のヒット曲で、ミリオン(100万枚以上)セラーとなりました。
「二人で行った横丁の風呂屋」「洗い髪が芯まで冷えて 小さな石鹸カタカタ鳴った」
寂しくも温かみを感じさせてくれる詩が、当時の若者たちの心を捉え、瞬く間にヒットしていきました。心に沁みる名曲です。
この歌には色々なエピソードがありますのでご紹介しますね。
彼らの最大のヒット曲で、ミリオン(100万枚以上)セラーとなりました。
「二人で行った横丁の風呂屋」「洗い髪が芯まで冷えて 小さな石鹸カタカタ鳴った」
寂しくも温かみを感じさせてくれる詩が、当時の若者たちの心を捉え、瞬く間にヒットしていきました。心に沁みる名曲です。
この歌には色々なエピソードがありますのでご紹介しますね。
当初、この作品は『かぐや姫さあど』(LP、1973年7月20日発売)の収録曲だったが、当時南こうせつがDJを担当していたTBSラジオの深夜放送ラジオ番組『パックインミュージック』で本作を流したところ、視聴者からのリクエストが殺到し、同番組のリクエストランキング1位を獲得した。これを受けて日本クラウン社内で制作会議を開いてシングル盤として発売するかどうかを決める際、名物プロデューサーであった馬渕玄三が「この曲は歴史に残る名曲になる。これを出さなかったら日本クラウンは一生の恥をかくことになるぞ」と強力にシングルカットを推した
これだけのヒットを飛ばした「神田川」だったが、歌詞の2番に登場する「24色の『クレパス』買って」が商標名であることから、同年の『第24回NHK紅白歌合戦』の出演依頼が来た際にNHKから「クレパスを『クレヨン』に変えて歌って欲しい」と言われたため出場を拒否している。
1970年代の若者文化を象徴する作品のひとつに数えられており、中野区内の末広橋近くの公園には「神田川」の歌碑が建てられている。
かぐや姫 - 神田川
via www.youtube.com
公衆電話の箱の中 ひざを抱えて泣きました
赤ちょうちん
via tayune.com
1974年1月リリース。70万枚売り上げた、神田川に続くヒット曲です。
「月に一度のぜいたくだけど お酒もちょっぴり飲んだわね」
「雨が続くと仕事もせずに キャベツばかりをかじってた」
貧しいながらも寄り添う男女の悲恋を見事に描いた感動作です。
リリースする歌が大ヒットする裏側で、ミュージシャンとしての彼らの主義と、商品価値として利益を追求する会社側との溝が、この頃出来上がっていました。
「月に一度のぜいたくだけど お酒もちょっぴり飲んだわね」
「雨が続くと仕事もせずに キャベツばかりをかじってた」
貧しいながらも寄り添う男女の悲恋を見事に描いた感動作です。
リリースする歌が大ヒットする裏側で、ミュージシャンとしての彼らの主義と、商品価値として利益を追求する会社側との溝が、この頃出来上がっていました。