清宮克幸 早稲田大学ラグビー部監督1 「OVER THE TOP」
2017年1月30日 更新

清宮克幸 早稲田大学ラグビー部監督1 「OVER THE TOP」

清宮克幸は、大阪府立茨田高校でラグビーを始め、高校日本代表となった。 そして早稲田大学では、2年生で、伝説の雪の早明戦を勝ち、全国大学選手権を優勝。 そして日本選手権でも社会人チームを破って優勝。 4年生で、主将として全国大学選手権優勝し、日本選手権で神戸製鋼に敗れた。 1990年、サントリーに入社し、ラグビー部主将となり、チームを初の日本一に導き、2001年、早稲田大学ラグビー部監督に就任した。

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2002年1月12日、全国大学選手権決勝、早稲田大学 vs 関東学院大学。
今シーズン無敗同士の対戦だった。
国立競技場は45000人が入った。
今シーズンの学生ラグビー界最大の話題は何といっても早稲田大学の復活だった。
清宮新監督の下、積極的な展開から相手を横に揺さぶって走り抜く伝統のスタイルを取り戻し、慶応・明治を連破して関東対抗戦グループ優勝。
大学選手権でも再び慶応を破り、ついに全勝のまま決勝進出を果たした。
その早稲田を迎え撃つのは、ここ4年間3度の優勝を誇る関東学院大学。
巧みで場内はえんじと黒の強いFWと高い個人能力のBKのバランスは学生随一。
ここまで全く危なげなく勝ち上がってきた。
日本ラグビー界屈指の伝統校と新興勢力筆頭の対決であり
低迷からの復活チームと盤石の安定感を誇る王者の対戦でもあった。
関東学院はモールで押しこんでから展開という王道戦法で相手を叩き潰しにかかる。
早稲田は、突進とボールを回してゲインしていった。
両チームの気迫と気迫、意地と意地のぶつかり合った。
両チームともひたすら前進し、ひたすら展開し、ひたすら突進した。
時間が過ぎていくと、反則やミスの数が増えたが、勝利への執念は萎えることはなかった。
43分、ラストワンプレーで、早稲田はPKから迷わず回し、ラックから左に展開。
山下がDFラインのギャップを切り裂いて一気に前進。
山下は追いすがるDFをみて一呼吸おいてから(結果的にはまだ早かったかもしれないが)切り札、仲山へパス。
仲山の前はゴールラインまでポッカリ空いていた。
スタンドは総立ち。
しかし、この最後の最後、ギリギリの場面で冷静に攻撃のコースを読んでいた関東学院のフルバック角濱が仲山へ追いすがり引き倒した。
こぼれたボールを関東学院DF必死にセービングし、ラックが形成され、関東学院によってボールはタッチへ蹴り出された。
ここでレフリーの腕が上がり、終了のホイッスル。
関東学院大学 21-16 早稲田大学。
関東学院大は終盤まで衰えないスタミナと、堅いディフェンスで2連覇した。
立ち上がりは押し込まれる場面もあったが、チャンスを確実にものにし、粘り強い守りで相手の反撃をしのいだ。
早稲田は、フォワードの健闘で、ボール獲得率は高く、攻撃時間も長かった。
しかし要所でのパスミスなどでトライはわずか1つだった。
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2002年1月19日、関東学院に負けてから1週間後、ビデオミーティングが開かれた。
試合中、動きが極端に悪い選手がいた。
彼はまもなく卒業する4年生選手だったが、清宮はしっかり言わなければならないと思いいった。
「君の責任で負けた。」
その選手は試合後に1度もゲームのビデオを観ていなかった。
なぜ自分が叱られているのかわからず、顔が真っ赤になり、やがて目が潤んできた。
清宮も、自分が負けにからんでいることが多かった。
大学3年生時の早明戦では清宮のタックルミスで早稲田が負けた。
サントリーでも清宮のペナルティーでチャンスが途切れて負けてシーズンが終わったこともあった。
清宮がキャプテンになった年のサントリーは社会人大会に出られなかった。
しかし清宮は常にポジティブにものを考えることができた。
絶対に、負けたらどうしようと悪いことを考えて、それに備えることはしない。
勝利だけをイメージし、負けたらクヨクヨせず次の糧になることだけを考えた。
ダメなことは何とかしようと思わず、早く見切りをつけてほかの道を考えた。
2002年1月20日、日本選手権1回戦、トヨタ自動車vs早稲田大学。
今シーズンの早稲田の最多失点は大体大戦の54失点。
その次は早明戦の34失点。
しかしこの日は前半だけで早くも35失点。
どうしようもなかった。
この日、早稲田はトヨタに12対77で負けた。
関東学院もクボタに35対85で負けた。
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