【花のニッパチ組】昭和28年生まれの強者5力士!しかし今も存命は一人だけ・・・
2022年9月11日 更新

【花のニッパチ組】昭和28年生まれの強者5力士!しかし今も存命は一人だけ・・・

1970年代前半、同世代のライバルを「三角大福」「新御三家」「花の中三トリオ」などとまとめていう呼称が流行しました。角界も例外でなく、昭和28年生まれの期待の力士5人に名付けられたのが「花のニッパチ組」。その注目に値する活躍ぶりでしたが、2022年現在、健在なのは大錦だけです。そんな彼らの活躍を振り返ります。

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北の湖

四股名 北の湖 敏満(きたのうみ としみつ)
生年月日 1953年(昭和28年)5月16日
没年月日 2015年(平成27年)11月20日


花のニッパチ組で、最初に入幕したのが北の湖です。ただ、最初から順風満帆だったわけではなく、新入幕の場所は5勝10敗と負け越し、すぐに十両に陥落してしまいます。その後、再入幕しますが、平幕では通算四度の負け越しを経験。ようやく花開いたのは新入幕から2年後の1974年初場所関脇での初優勝でした。結局その年は、春場所で大関昇進秋場所で横綱昇進と一気に上り詰め、昭和の大横綱北の湖が誕生します。

北の湖にとって最大のライバルだったのが、同世代の横綱、輪島。二人の四股名から "輪湖時代"と呼ばれ、1975年の秋場所から1978年の初場所まで、千秋楽の結びの一番はすべて、北の湖対輪島の横綱決戦でした。立ち合いからがっぷり四つの力相撲になることが多く、テレビの前で固唾を飲んで観戦していたファンも多かったことでしょう。それを象徴するように、二人の対戦成績は、北の湖の21勝23敗でほぼ互角でした。

同期との対戦では、金城、大錦に滅法強く、それぞれ金城に29勝0敗、大錦に6勝0敗と無敗でした。

北の湖は、最終的に幕内優勝24回を果たし、現在でも歴代5位の記録を残しています。

引退後は、北の湖部屋を創設。親方として力士を育てる一方、相撲協会の理事長としても活躍しました。2015年、現職理事長のまま62歳で亡くなっています。

輪島vs北の湖 (昭和52年三月場所)

北の湖敏満

北の湖敏満

若乃花(二代目)

四股名 若乃花 幹士(わかのはな かんじ)
生年月日 1953年(昭和28年)4月3日
没年月日 2022年(令和4年)7月16日


花のニッパチ組で、もう一人の横綱だったのが二代目若乃花です。同郷の(後に横綱となる)隆の里と同じ夜行列車で上京し、二子山部屋に入門。当初の四股名は、若三杉でした。

1973年冬場所に新入幕。3年後に関脇で3場所連続二桁勝利を上げ、大関に昇進します。大関に上がってからも好調で、2場所目に初優勝。その後は毎場所二桁勝利を続け、2場所続けて横綱北の湖と優勝決定戦を行います。いずれも優勝は逃したものの、横綱の資格十分と見なされついに横綱昇進。新たな四股名として、師匠の現役時代と同名の若乃花幹士を襲名しました。

当時は輪湖全盛期でしたが、その中で横綱として力を発揮し、幕内優勝3回(全4回)を果たします。それ以外にも、23場所連続二桁勝利、1978年の年間78勝12敗など安定した好成績を残しますが、最後まで北の湖の二番手という印象は拭えませんでした。成績不振から29歳で若くして引退。引退後は、二子山部屋からの分家で、間垣部屋を創設します。

相撲以外では、甘いマスクで蔵間とともに女性に人気があり、CM出演や歌手デビューを果たす一方、師匠の娘との離婚、再婚した夫人の死、間垣部屋所属力士のトラブル、自身の度重なる病など、苦労が絶えませんでした。

2022年7月16日、69歳で亡くなったばかりです。これで、花のニッパチ組で存命は大錦のみとなりました。

輪島vs若乃花 (昭和53年十一月場所)

麒麟児

四股名 麒麟児 和春(きりんじ かずはる)
生年月日 1953年(昭和28年)3月9日
没年月日 2021年(令和3年)3月1日


花のニッパチ組で、突っ張りが信条の力士といったらもちろん、麒麟児です。四股名は、兄弟子の大関・大麒麟が若手時代に名乗っていたもので、十両昇進の際に襲名しました。1974年秋場所に新入幕を果たすと、そこから7場所連続で勝ち越しを記録。3場所連続で関脇を務めました。特筆すべきは、横綱輪島との対戦で、最初の2戦は連敗するものの、その後は5連勝。当時は輪島の天敵でした(最終的には輪島の15勝8敗)。三役では、関脇7場所小結10場所を経験。大関にはなれなかったものの、三役の常連でした。

麒麟児の相撲で特に人気だったのが、富士櫻との突っ張り対決で、1975年夏場所の天覧相撲には、わざわざ日程調整をして二人の取り組みを設けたほどです。対戦は108発の突っ張り合いで盛り上がり、当時の天皇陛下が身を乗り出して観戦する様子が映像に残っています。

相撲以外では、四股名がライバル企業の銘柄を思わせることから、旭國とともにサントリービールのCMに出演しました。

1988年、35歳で引退。引退後は、NHKの相撲中継や『サンデースポーツ』の解説を務め、視聴者から好評を得ました。2021年3月1日、67歳で亡くなったばかりです。

麒麟児vs富士櫻 (昭和50年五月場所)

金城

四股名 金城 興福(かねしろ こうふく)
生年月日 1953年(昭和28年)2月27日
没年月日 2002年(平成14年)12月29日


花のニッパチ組で、毎場所必ず番付表に名前があった力士といったら金城です。途中で栃光に改名し、幕内では栃光の方が長かったのですが、最高位の関脇になったのは金城の時でした。実は、四股名の金城興福は本名そのままです。

1974年秋場所に新入幕。以後、1984年の夏場所までの約10年間一度も休場することなく、また一度も十両に陥落することなく59場所連続幕内力士を務めました。ただ、横綱には滅法弱く、北の湖には29戦全敗。二代目若乃花(若三杉)には2勝29敗、三重ノ海には2勝17敗、輪島には2勝15敗と散々の成績でした。大関には昇進できなかったものの、三役は関脇1場所小結6場所を務めています。

因みに、北の湖戦29連敗は、同一力士の連敗記録で史上1位です。ただ、本場所では勝てなかったものの、日本大相撲トーナメントでは、準決勝で北の湖に勝利、決勝で二代目若乃花に勝利し、なんと優勝を果たしています。

引退後は、経営するちゃんこ店が人気でした。2002年、49歳という若さで亡くなっています。
栃光興福(金城興福)

栃光興福(金城興福)

大錦

四股名 大錦 一徹(おおにしき いってつ)
生年月日 1953年(昭和28年)9月11日

花のニッパチ組で、佐渡島出身の力士といったら大錦です。中学生の時に上京し、出羽海部屋に入門します。幕下が2年以上も続きましたが、1973年夏場所で十両昇進。いきなり11勝4敗で優勝します。次場所も10勝5敗の好成績で、入門から5年かけてやっと新入幕を果たしました。北の湖に次いで2番目に早い入幕です。

つい半年前まで幕下だった大錦ですが、新入幕でいきなり力を発揮します。1973年秋場所は初日から順調に勝ち続け、9日目が終わって8勝1敗。全勝輪島を追うただ一人の1敗力士で、優勝争いに名を連ねます。後半になると上位との対戦が組まれますが、大錦の勢いは止まりません。まず11日目、初の三役との対戦で、関脇・魁傑勝利。13日目、初の大関との対戦で、貴ノ花にも勝利。そして14日目、初の横綱との対戦で、琴櫻にも勝利。最終的には11勝4敗準優勝で、史上初の新入幕三賞独占を果たしました。

翌場所は一気に小結まで昇進。しかし、これが最初で最後の三役でした。その後も、下位の番付で勝ち越し、上位に上がると負け越し、十両に落ちてもすぐに幕内復帰を繰り返します。最終的に、入幕回数は12回(史上2位)に及びました。

引退後は、年寄・山科を襲名。後進の指導だけでなく、最高位小結で初の審判長となるなど、引退後も活躍します。花のニッパチ組では、ただ一人存命の元力士です。
大錦一徹

大錦一徹

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