「セダン」から「ステーションワゴン」「RV・SUV・クロスオーバーSUV」「ミニバン」へ転換が進んだ90年代
2015年12月24日 更新

「セダン」から「ステーションワゴン」「RV・SUV・クロスオーバーSUV」「ミニバン」へ転換が進んだ90年代

90年代の幕開けは「ステーションワゴン」と「RV・SUV」から始まり、ワゴンブームの立役者である「スバル・レガシー・ツーリングワゴン」や本格的なSUVの「三菱パジェロ」の人気は高まり、後続のワゴンやSUVも続々と登場しました。トヨタの「エスティマ」やホンダの「オデッセイ」などのミニバンも大ブレイクしました。クロスオーバーSUVの「ホンダ・CR-V」も登場しました。その一方セダンなど保守的なモデルは低迷していきました。セダンはほんとに少なくなりましたね。

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マツダ・MPV 初代 LV系(1988年-1999年)

マツダ・MPV 初代 LV系(1988年-1999年)

MPV(エムピーブイ) はマツダが製造・販売するMPV(Multi Purpose Vehicleの略でミニバンの同義語)型の普通乗用車である。同社のロードスター同様、自動車のスタイルの呼称をそのまま車名に用いている車種である。なお3代目から日本国外向けの車名がマツダ8(Mazda 8 )となった。

駆動方式はFR。プラットフォームはルーチェ用のマツダ・LVプラットフォームをベースにしているが、リアサスペンションは固定軸式である。ちなみにリアドアの窓は固定式だった。変速機は後に追加される多くのグレードも含めてコラム式4速オートマチックのみであった。
日本仕様は当初、エンジンはV6・3000ccの本革仕様のみで車両本体価格は355万円。モノグレードでボディカラーも1色のみで通常設定とツートン設定のみだった。マツダはミニバンとは呼ばず、「新しいカテゴリーの多目的高級サルーン」と呼んでいた。
(出典:Wikipedia「マツダ・MPV」)

二代目「マツダ・MPV」(1999年-2006年)

マツダ・MPV 2代目 LW系(1999年-2006年)

マツダ・MPV 2代目 LW系(1999年-2006年)

この代から駆動方式がFFとなる。先代まで存在してたスイングドアは両側スライドドアとなり、エンジンは新開発の直4・2,000ccとフォード製のV6・2,500ccをラインアップした。プラットフォームはマツダ・LWプラットフォームを採用。セカンドシートにはベンチにもキャプテンにもなるKARAKURIシートが採用された。サードシートは床下格納式である。グレード体系は2.0Lの標準車と2.5Lの「Gパッケージ」・「スポーツパッケージ」・「Lパッケージ」の計4タイプとなった。
(出典:Wikipedia「マツダ・MPV」)

開発主査を手がけた丸本明は、2代目発表同時に品質担当補佐と商品品質本部長へ昇進するとともに、マツダとしては史上最年少となる41歳(当時)にして取締役に就任した。
1988年にマツダ・MPVがアメリカに投入され(日本発売は1990年)、1990年に北米向けに開発されたプレビア(トヨタ・エスティマ)が日本にも投入された。

それは技術とデザインの面も含めて日本の自動車業界として一つの契機となった。マツダもトヨタも新しい形の高級乗用車として宣伝に努めた。

ただ、この頃は(当時の他の乗用車に比べて)大型の部類であり、さらに当初は300万円前後かそれ以上の高価な車種・グレードしかなかったこともあり、乗用車全体への影響はまだ大きくなかった。メディアやユーザーはワンボックスカーとして扱っていた。

ミニバンの代表的な車種『トヨタ・エスティマ』

初代「トヨタ・エスティマ」(1990年5月 - 1999年12月)

初代「トヨタ・エスティマ」(1990年5月 - 199...

初代「トヨタ・エスティマ」(1990年5月 - 1999年12月)

エスティマ(ESTIMA )は、トヨタ自動車、トヨタ車体が1990年から生産する高級ミニバンである。
初代はトヨタ自ら「天才タマゴ」というキャッチコピーを用いており、卵型の丸みを帯びた外観が印象的であり、ミニバンを代表する車種である。

「初代トヨタ・エスティマ」
1989年に幕張メッセで初開催された第28回東京モーターショーにコンセプトモデルとして出展。「動くカットモデル」の展示は大きな話題となった。

それから約半年後の1990年5月12日に市販化され、その卵をイメージさせる未来的なスタイルで「高性能ニューコンセプトサルーン」として注目を集めた。

従来のワンボックスカーでは前輪前・運転席下に位置しているエンジンを、横に75°寝かせることにより平床化に成功、前輪も運転席の前方に置くことにより、世界にも例を見ないアンダーフロア型ミッドシップレイアウトが採用され、ミッドシップ=2シーター、実用性に欠けるという常識を覆した。

元々のコンセプトは、当時トヨタが開発中であった2ストローク「S2」エンジンを搭載した新時代のMPV(マルチパーパスビークル)というものであり、このエンジンのおかげでエンジンルームをコンパクトにまとめられる目算であったが、排ガス対策の解決ができずエンジン開発に失敗したため、急遽ハイエースの部品を流用した一般的な直列4気筒2.4リットルエンジンを傾斜搭載することで、何とか日の目を見ることができた。

商用グレードを用意しない独立モデルであり、サスペンションも前軸はマクファーソンストラット式、後軸はダブルウィッシュボーン式の4輪独立懸架を採用。発売当時はモノグレード体系・7人乗りの1種類のみで、駆動方式はミッドシップと四輪駆動。サスペンションも前がストラット式サスペンション、後がダブルウィッシュボーン式サスペンションの4輪独立懸架を採用。搭載されたエンジンも2TZ-FE型・直列4気筒2438cc(135馬力)の1種類であった。

驚きを持って迎えられたエスティマではあったが、横幅が5ナンバー(小型乗用車)サイズに収まるキャブオーバー型ミニバンが主流だった(この当時は、1991年6月発売のバネットセレナが人気を博していた)、当時の日本では、対抗馬としてのエスティマは大柄で高価(296.5万円 - 335万円)すぎたため、また北米市場(アメリカ・カナダ)では2.4リットルエンジンが非力、ヨーロッパ市場では高価だという理由で支持を得られなかった。

なお日本国外では「プレヴィア」(Previa )として販売された。競合他車がV型6気筒エンジンを搭載する中で、エンジンパワーで劣るエスティマは価格に比して静粛性、ひいては高級感に劣ると評された。
(出典:Wikipedia「トヨタ・エスティマ」)

二代目「トヨタ・エスティマ」(2000年1月 - 2005年12月)

二代目「トヨタ・エスティマ」(2000年1月 - 20...

二代目「トヨタ・エスティマ」(2000年1月 - 2005年12月)

2代目は2000年1月6日に発売された。目標月間販売台数はTとL合わせて6,000台。
後にヨーロッパ市場向け(プレヴィア)とオセアニア向け(プレヴィアもしくはタラゴ)も発売されたが、北米向けは発売されなかった(初代を参照)。また、エミーナ/ルシーダは、本モデルに統合された。

卵型の丸みを帯びた車体を踏襲しつつも、ミッドシップエンジンを改めカムリをベースとしたFF(前輪駆動)に変更となり、更に乗用車のイメージが強くなった。駆動方式をFFに変えたため、エンジンの大型化が可能となり、エンジンラインナップはV型6気筒2,994ccが先に登場し、2ヶ月遅れで加わった直列4気筒2,362ccの2本立てとなる。2001年6月にはハイブリッドモデルが追加された。

車体寸法は初代とほぼ同一であったが、駆動方式の変更による低床化により着座位置を下げヘッドクリアランスに余裕を持たせるなど室内スペース減少は最低限に抑えたと共に居住性を向上。また、このモデルより両側スライドドア、センターメーターを採用。スライドドアに関しては、一部グレードで電動化された。

初代エスティマが失敗で終わったことでの反省を踏まえ、様々な改良を加えた結果、販売面ではカローラ、ヴィッツに次ぎ、2000年新車乗用車販売台数第3位(約12万2400台)と初代の雪辱を果たす大ヒットを記録。その後も勢いは衰えず、3代目へモデルチェンジした後も中古車市場において人気モデルとなった。
(出典:Wikipedia「トヨタ・エスティマ」)
ワンボックスが主流だった日本において、RVやアウトドアに見るアメリカンスタイルに憧れが徐々に火がつき始め、ボンネットバンというアメリカ特有のスタイルに興味を注ぎ始めた。

しかし、サイズや維持の問題や躊躇する中、1987年にシボレーアストロが登場すると共に米国で人気となり、お手頃なサイズとスタークラフト等による豪華な内装が日本でブームとなった。

それ以降、日本メーカー各社はボンネット型ミニバンを数多く放出することとなる。当然ながらミニバンは多人数乗車が可能である点がメリットで、燃費や取り回し性の悪さがデメリットである(つまり、乗車人数が少ないと恩恵が小さく欠点が目立つ)が、当時はミニバンに普段1~2人でしか乗らないユーザーも多かった。

2000年代以降、節約志向や環境意識の高まり、核家族化などにより、ミニバン人気はやや下火になった。もっとも、現在でもファミリーカーとして根強い人気がある。

クロスオーバーSUV「トヨタ・RAV4」(1994年5月発表)

クロスオーバーSUV「トヨタ・RAV4」

クロスオーバーSUV「トヨタ・RAV4」

RAV4(ラヴフォー)は、トヨタ自動車で生産されているクロスオーバーSUV。

モノコック構造の乗用車をベースにした、オフロード車「クロスオーバーSUV」の先駆となった車種である。RAV4の成功を受け、他社もCR-V(本田技研工業)、エクストレイル(日産自動車)、フォレスター(スバル)などのクロスオーバーSUVを製造するなど、クロスオーバーSUV市場に大きな影響を与えた。なお、RAV4の登場に先んじて日本市場ではエスクード(スズキ)が販売されていたが、エスクードはオンロード性能や乗り心地にデザインやサイズはRAV4のクロスオーバーSUVと似ているものの、本質的には堅牢なラダーフレーム構造を持つ本格クロスカントリー車であるという点で異なる。
初代RAV4は、本国の日本でいう「5ナンバーサイズ」に収まるコンパクトなサイズのクロスオーバーSUVであったが、主に北米市場の要求から、モデルチェンジのたびにボディサイズを拡大、2代目以降3ナンバーサイズとなった。

主要市場の欧米においては他の同社製SUVよりもコンパクトなサイズとなっている。生産はトヨタ自動車高岡工場と、グループ会社の豊田自動織機である。

その後RAV4は、世界中で販売台数を延ばしており、欧州全域・北米・南米・オセアニア・中国・東南アジア・南アフリカなど、世界200か国以上で使用される世界戦略車である。

1989年の東京モーターショーにRAV-FOURとして出展し、4年後の1993年の東京モーターショーにプロトタイプが披露された後、1994年5月に発表。
カローラ、セリカなどのコンポーネンツを流用しながらも、フロアパネルは独自に起こされ、リアサスペンションも鍛造リンクを用いた仮想球面支持の専用品となるなど、オン・オフ両面の性能追求のため、惜しみなく技術が投入されることとなった。
パワートレーンは直列4気筒 2.0L 3S-FE型 ガソリンエンジンとトランスミッションを横置きに搭載し、ドライブトレーンには国産車では数少ないベベルギア式のセンターデフを持つ本格的なフルタイム4WDである。
CMキャラクターには木村拓哉が起用された。
(出典:Wikipedia「トヨタ・RAV4」)

【動画】トヨタ「RAV4」CM - 木村拓哉 - ♪ CHAKA KHAN 「FACTS OF LOVE」 - YouTube

♪ CHAKA KHAN 「FACTS OF LOVE(ファクツ・オブ・ラブ)」
クロスオーバーSUVは CUV (Crossover Utility Vehicle) またはCrossをXと表記してXUVとも表記される。「クロスオーバー・ビークル (Crossover Vehicle) 」という考え方が米国で1990年後半に形作られる。

これは「異なる種別の車を混ぜ合わせた」という意味で直訳で「クロスオーバー車」ともいわれ、また、英語でも略してCrossoverのみでも使用される。この意味では、車輌製作側の概念上、特にSUVに限らず、多くは試作車として「クロスオーバー・ビークル」が作られていた。これらは『ハイブリッド・ビークル』と呼ばれることもある。その中で市場に最も受け入れられたもの、つまり販売可能なものが「SUVと乗用車とのクロスオーバー車」だった。これがクロスオーバーSUVである。

2006年時点で、米国では「SUV」という用語がすでに30年以上にわたって使用され、カテゴリー用語として定着した一方で、消費者の心をつかむためのマーケティング用語としては陳腐化も起こっている。

1990年代末から、SUVに対する安全性への指摘がなされ、SUV批判が起こったが、まだ有識者の間でのみだった。しかし、2003年末から起こったガソリン価格の高騰は1ガロン=2ドルを超え、3ドルに達する。高騰が長引くにつれ、燃費の悪いSUVの販売は落ち込む。

SUVブームの中心にあり、ブームを自身で推し進めていた米国の2大メーカー、GM、フォードはこの10年間の収益の軸をSUVにおいていたため、SUVの販売落ち込みは会社の経営に影響した。そのため、特に両社では、SUVのマイナスイメージに引きずられないよう、クロスオーバー系の車両にかかわらずマーケティングにおいてSUVを想起させないアプローチがなされはじめている。つまり、SUVという言葉を使わない方向に向かいつつある。

ミニバンブームの火付け役『ホンダ・オデッセイ』 (1994年10月21日発売)

ミニバンブームの火付け役「ホンダ・オデッセイ」(199...

ミニバンブームの火付け役「ホンダ・オデッセイ」(1994年10月21日発売)

オデッセイ(Odyssey)は、本田技研工業が生産、販売する上級ミニバンである。

1994年に初代モデルが発売され、現行型は5代目である。ホンダが提唱した「クリエイティブ・ムーバー(生活創造車)」の第1弾として発売された初代から現在までヒットを続けており、ホンダの基幹車種のひとつに位置付けられている。

当時のホンダは、いすゞ自動車からビッグホーンのOEM供給を受けホライゾンとして細々と販売していた程度で、「RV車を持っていないのが致命的」と言われるほどセダン・クーペ以外の車種展開に出遅れ、業績が低迷していた。

そんな中、開発費の厳しい制約からアコードのプラットフォームを用いて開発を行ったオデッセイは、発売間もなく業績を回復させるほどの大ヒットとなり、同時期に販売されていた他社の類似車種と共にミニバンブームの火付け役となった。

ボディサイズをアコードと同じ生産ラインに流せる限界のサイズとし、当時のワンボックスカーでは常識であった後席スライドドアを採用できなかったことが逆に従来の多人数乗用車にない感覚を生み、日本での大ヒットに繋がったとされる。

乗用車ベースのミニバンとしてセダン同等の運動性能を持つほか、3代目以降は「低床」「低重心」をキャッチコピーとし、なおかつセダンよりも広い室内空間を売りにしている。また、初代 - 4代目までは一般的なセダン型乗用車と同様、前ヒンジドアを採用していたが、5代目モデルでは更なる低床化と車高アップに伴い、両側スライドドアに変更された。

3列目シートの床下収納機構がシリーズ通しての特徴で、3代目では電動格納式(一部グレードに標準装備またはオプション設定)のものも採用されていた。

1994年10月20日に発表された(発売は翌10月21日)。
発売当初の月販目標台数は4,000台程度と控え目であったが、予想外の大ヒットにより、後に生産ラインも増強された。当時のミニバンにはない独特な乗用車的プロポーションが特徴であった。シフトレバーは、コラムシフトを採用し、前席から後席へのウォークスルーを可能にしていた。

エンジンはF22B型のみの設定で、アコードに設定されていたVTEC仕様は後のマイナーチェンジの際に採用された。トランスミッションは「プロスマテック(TYPE II)」と呼ばれる4速ATが搭載された。増加した車重に対して最終減速比を高めたため、エンジン回転数は若干高めであり、以後のモデルに対して燃費が劣る。

ホンダの同排気量クラスの車の中では珍しく、タコメーターが標準装備されなかったため、発売開始から半年後に純正オプションとして用意された。グレード体系は「B」・「S」・「L」の3グレードで、「B」は7人乗り仕様のみ、「S」と「L」は6人乗り仕様と7人乗り仕様が選べる。

それまで、排気量2L以上の3ナンバー普通自動車クラスの販売台数では、長年の首位を維持していたトヨタ・クラウンを抜き去り、1995年には、12万5,590台の販売台数を記録。1994年には日本カー・オブ・ザ・イヤーの特別賞を、1995年にはRJCカー・オブ・ザ・イヤーを受賞した。ヒットを後押ししたのはハード面だけでなく、当時、映画化された「アダムスファミリー」の出演者を総動員した販売戦略としてのソフト面での成功もある。
(出典:Wikipedia「ホンダ・オデッセイ」)

【動画】初代「オデッセイ」 CM - YouTube

映画化された「アダムスファミリー」の出演者を総動員した初代「オデッセイ」のCM

クロスオーバーSUV「ホンダ・CR-V」(1995年10月9日)

ミドルサイズのクロスオーバーSUV「ホンダ・CR-V」...

ミドルサイズのクロスオーバーSUV「ホンダ・CR-V」(1995年10月9日)

CR-V(シーアール-ブイ)は、本田技研工業が生産・販売しているミドルサイズのクロスオーバーSUVである。

初代・2代目はシビックのプラットフォームを基に開発されたが、3代目からは北米専用車種アキュラ・RDXなどと共通のグローバル・ライトトラック・プラットフォームを使用し、18インチタイヤの装着を前提にした最適設計を行った結果、アコードと並ぶ動力性能を手にしたと言われる。いわゆる乗用車ベースのエンジン横置きSUVである。なお、全モデルで共通して全幅が1,700mm以上あるため、3ナンバーボディとなる。

駆動方式は基本的に4WDであるが、一部FFもある。高い最低地上高によって道路状態の劣悪な災害地でも走破性を発揮できることやコストパフォーマンスの良さなどから、献血供給事業団の血液搬送車のベース車両として多く採用されている。

1995年10月9日にオデッセイに続くクリエイティブ・ムーバーシリーズの第2弾として登場。後に登場するオルティアとエンジン、シャシー、プラットフォームを共用している。
当初はSUVでありながら、全車コラムAT車のみの設定で、乗用車としては珍しいステッキ式パーキングブレーキを採用、前後ウォークスルーも可能であるなど、悪路走破性よりも居住性、実用性を重視したモデルであった。さらに、オフロードに重点を置いたフレーム式の本格SUVとは異なる都会的でスタイリッシュなエクステリアデザインや、その居住性、そして何よりも低廉な価格が評価され、当初は納車まで最長3ヶ月待ちとなる程の好セールスを記録した。

後に追加されたMT車はフロアシフトとされ、駐車ブレーキもサイドレバー式となったため、ウォークスルーに適しているのはAT車である。
(出典:Wikipedia「ホンダ・CR-V」)
1990年代にはSUVは米国で一般カテゴリーとなっていたが、日本では1990年代になっても、まだ「RV」や「オフロード車」といったカテゴリー表記が主流であり、2000年を越える頃まで「SUV」という表記は米国系SUVなどに対して『米国ではSUVというジャンルになる』という紹介や、一部の愛好家向けメディアで使用されるに過ぎなかった。

日本では、1992年になって初めて統計上「RV」という言葉が用いられ[5]、さらに1996年になってやっと自動車販売協会連合会が、RV統計を取り始める。

RVは1980年中頃にはオフロード車のことを指すマーケティング用語として広く使用されていた言葉だったが、1980年代後半にワンボックス、90年代になりステーションワゴンがRVの概念に追加され、ようやく1996年はRVという言葉を業界が統計上の公式に認めた年となったばかりであった。日本のマーケティングでは「SUV」など、まだ一般が耳にすることはなかった時代だった。
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