武田鉄矢の原点は『海援隊』、ミュージシャン&役者としての代表作は?自身のエピソードが面白い
2019年10月25日 更新

武田鉄矢の原点は『海援隊』、ミュージシャン&役者としての代表作は?自身のエピソードが面白い

武田鉄矢さんと言えば、数々のテレビドラマや映画に出演して、今では俳優としてのイメージの方が強くなっています。でももともとは、大ヒット曲を持つグループのリーダ&ヴォーカルです!武田鉄矢さんの原点でもある「海援隊」のこれまでの活躍をまとめます。武田鉄矢さんの断然おススメの代表作はこれ!そして、これまでのエピソードが面白い!と評判なのでご紹介していきます。

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武田鉄矢さんのプロフィール

プロフィール

プロフィール

本名:武田 鉄矢(たけだ てつや)
別名義:片山蒼
生年月日:1949年4月11日(70歳)
出生地:福岡県福岡市博多区
身長:165 cm
血液型:O型
職業:俳優、歌手、作詞家、タレント
活動期間:1972年~
配偶者:既婚

名誉学位・称号:
誉学士(福岡教育大学)
名誉漢字教育士(立命館大学)
長崎市亀山社中記念館名誉館長

武田鉄矢さんの原点は歌手!「海援隊」

海援隊のメンバー

海援隊のメンバー

■中牟田俊男
•生年月日 1949年7月21日
•出身地 福岡県 福岡市
•担当 ギター
(中牟田俊男さんはのちに食道がんを患いますが、現在も元気に活動されています)

■千葉一臣
•生年月日 1951年 12月24日
•出身地 東京都 練馬区
•担当 ギター
(千葉さんはのちにチューリップのヴォーカルになる姫野達也さんと北九州市・八幡大学時代に「ライラック」というフォークデュオを組んでいました)

■本家『海援隊』について
1865年から1868年まで3年余りにわたり活動していた海援隊(かいえんたい)は、坂本龍馬が中心として結成された組織でした。
海援隊のデビューの経緯は、まず地元福岡でも活動場所は、福岡市中央区天神の須崎公園だったり、主には、福岡ではとても有名で多くのミュージシャンがここから巣立ったと言われている1970年11月に開店オープンのライブ&喫茶ハウス『照和』でした。

デビューは、泉谷しげるさんから声をかけられ上京します。そして1972年にアルバム『海援隊がゆく』でデビューします。
大ヒット曲『母に捧げるバラード』は1973年リリースのセカンドアルバム『望郷篇』収録曲で評判がよかったことで、シングルリリースしたところ、大ヒットに繋がります。

この1曲で、海援隊、そして武田鉄矢の名前が全国区になります。

70’s前半武田鉄矢の海援隊とチューリップの財津和夫さんが大人気だった照和

『照和』出身のミュージシャン
・鮎川誠(シーナ&ザ・ロケッツ)
・石橋凌(ARB)
現在は俳優として活躍っしている石橋さんも元はロックグループのヴォーカルでした。
・井上陽水(アンドレカンドレ)
・海援隊
・財津和夫(チューリップ)
・甲斐バンド
甲斐バンドの全国的ブレイクで「照和」の名前も再び注目されました。
・陣内孝則(ザ・ロッカーズ)
姿かたちはロッカー―のままですが、今のままですが、俳優としての陣内さんのイメージが強いです。
・永井龍雲
・長渕剛(永渕剛)
1970年~1972年のころは、武田鉄矢さん率いる「海援隊」と、財津和夫さんが率いる「チューリップ」の人気で二分されていた時代だったようです。

福岡の博多・天神に今でもある『照和』は、全国的にも有名になり、ファンにとって聖地でもあります。福岡のみならず、九州の多くの無名若手ミュージシャンが『照和』で演奏することを目指して音楽活動してきたという歴史もあります。

■アドレス:福岡県福岡市中央区天神2-10-2福田ビルB1
アクセス:西鉄天神大牟田線/西鉄福岡(天神)駅 徒歩2分

海援隊☆1982年解散~1994年復活

武田鉄矢さんが坂本龍馬を敬愛しているというのはとても有名な話で、もともと海援隊結成の時点で、坂本龍馬が亡くなった33歳の年齢のときに海援隊を解散するというのが武田鉄矢さんの中にあり、実際、1982年に海援隊を解散しています。(ただ、坂本龍馬の33歳は数え年であったという事で実際は坂本龍馬満31歳のとき、武田さんは満年齢33歳だったので、実際は、坂本龍馬が亡くなった同じ年に解散という事にはなっていませんでした)

解散後は、武田鉄矢さんは俳優としてさまざまな作品に出演します。全国的に大ブレイクしたのは、役者として活躍する一方、海援隊としては何度か、集結していますが、1993年4月10日の「ドリームライブ in 福岡ドーム」があり、1994年に本格的に活動を再開します。

復活まで10年ちょっとでしたが、武田鉄矢として活動は特に俳優・武田鉄矢としてその演技力に高い評価を受け、世代によっては、武田鉄矢さんは俳優と思っている方も少なくないかもしれませんね。

武田鉄矢・海援隊の代表作

■1973年12月10日 「母に捧げるバラード 」
■1978年9月21日アルバム『堕落編』:「思えば遠くへ来たもんだ」
■1979年武田鉄矢主演TBS大人気ドラマ『3年B組金八先生』の主題歌「贈る言葉」
■1980年11月5日 「人として 」

海援隊の楽曲は、素朴でまっすぐな、誰もが心の中にあったもの、あるものを温かく歌い上げるというイメージがあります。

役者・武田鉄矢さんの代表作はこれ!

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武田鉄矢さんの役者デビューは1977年公開の映画、山田洋次監督・高倉健主役『幸福の黄色いハンカチ』です。
自身の代表作と言ってもいいでしょう。この作品で日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞します。

その他テレビドラマでも演技力を高く評価されます。武田鉄矢と言えば、このドラマ!
■1979年 - 2011年 『3年B組金八先生(TBS)』 -主演・坂本金八(先生) 役
■1991年7月1日 - 9月16日『101回目のプロポーズ』(フジテレビ)- 主演・星野達郎 役、W主演:浅野温子

そして、個人的におすすめするのは、原作は大ヒットメーカーの東野圭吾さんの小説、 2006年 TBSのドラマになった『白夜行』です。主役は 山田孝之さんと綾瀬はるかさんでドラマ自体も大ヒットしましたが、武田鉄矢さんはこのドラマの中で刑事の笹垣潤三 役を演じました。

武田鉄矢さんが映画やドラマで演じる役柄は「いい人」と言うイメージがほとんどですが、この白夜行では悪い人ではないですが刑事役として、すごくいや~な顔つきの刑事を演じるんです。
武田鉄矢さんの役者魂をみた!という気持ちになった作品です。

武田鉄矢さんのエピソードが面白い

長きにわたって音楽界、役者の世界にいる武田鉄矢さんですが、これまでにいくつもの面白いエピソードや、感慨深い話があります。
そのいくつかをご紹介します。
「撮影する前は『おいしい仕事だ』と思った。けど、その思いは映画をなめていることにつながって、それをきれいに監督につぶされた。ワンシーンを撮ることの大切さや貴重さを叩き込まれた」と感慨深く語ると、「永遠の映画の教科書です」と結んだ。
武田鉄矢さんの俳優デビューにもなった映画『幸せの黄色いハンカチ』のエピソードはいろいろあるようで、その映画1作についても、いろいろと学ぶことがあったんですね。
「わたしが50数回NGを出して悩んでいるときに、『いい日もあるから』ってなぐさめられた。自分の調子がいいからって、本当に腹が立った」と怒り爆発!? 「(山田監督に)ほめられてあんなに図に乗る人、許せなかった」とぶっちゃけて、場内を大いに沸かせた。
映画『幸せの黄色いハンカチ』で武田鉄矢さんと共演した桃井かおりさんが語った武田鉄矢さんについてのエピソードが面白いですね。
当時、映画の撮影では、監督やスタッフ、出演者みんなで撮影後に食事をするのが恒例だったそうですが、ある時、高倉健さんからまずは武田鉄矢さんにメモが回ってきて、「腹いっぱい食べるなよ。」とこの後、食べに行くからという趣旨の内容が書かれていたそうで、桃井に回せと言われ、そのメモを桃井さんにも回し、高倉健さんが桃井さんと武田鉄矢さんだけを連れて、山の中のステーキ屋さんに貸し切りにしてごちそうしてくれたという話もあります。
ラストシーンの撮影も思い出深いです。黄色いハンカチがたなびいていて、健さんが歩き出すのを僕らが見送る。台本には「若者の目に涙」とあって、こちらも「よし、泣いてやる」と思っていました。

 ところが、いくら待っても空が晴れない。山田監督もカメラを回さないんです。(略)数日待っているうちに、僕は油断して近くの家のストーブで温まっていました。でも健さんは「気持ちが切れるから」と現場を離れない。
で、やっと五日目に雲が飛び始めたんですが、今度は僕の涙が一滴もでてこない。中止の連続で気持ちが上がらなくなったんです。

 そしたら、健さんが察してくれまして。クルっと振り返って「長い間、世話になったな。今度は東京でのセット撮影があるから、戻っても気持ちを切るなよ」「お前たちとのロケはこれで終わりだけど、楽しかったな」って言うんです。もう泣ける、泣ける。
映画『幸せの黄色いハンカチ』の撮影では、役者として新人の武田鉄矢さんのことを本当に気にかけていてくれた高倉健さんの様で、何度も精神的に救われたシーンがあったとか。
武田鉄矢さんのその後の役者人生に大きく影響した方と言うのは間違いないですね。
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