『贈る言葉』:海援隊16枚目のシングル
海援隊の16枚目のシングルとして、1979年11月1日に発売された。
武田鉄矢・中牟田俊男・千葉和臣の3人組(プロデビュー時)のフォークグループ。
海援隊は、坂本龍馬の大ファンである武田鉄矢が”海援隊”から名付けた。
ドラマの主題歌として使われ、レコード売上が100万枚を超えるヒットとなる。
1980年12月31日の第22回日本レコード大賞では、この曲により武田が作詩賞(西条八十賞)を受賞。また同日、「第31回NHK紅白歌合戦」にも海援隊として、6年ぶり2度目の出場を果たした。
武田鉄矢・中牟田俊男・千葉和臣の3人組(プロデビュー時)のフォークグループ。
海援隊は、坂本龍馬の大ファンである武田鉄矢が”海援隊”から名付けた。
ドラマの主題歌として使われ、レコード売上が100万枚を超えるヒットとなる。
1980年12月31日の第22回日本レコード大賞では、この曲により武田が作詩賞(西条八十賞)を受賞。また同日、「第31回NHK紅白歌合戦」にも海援隊として、6年ぶり2度目の出場を果たした。
『贈る言葉』は『3年B組金八先生』第1シリーズの主題歌だった
1979年(昭和54年)から2011年(平成23年)までの32年間断続的に続いた学園ドラマ。
中学校の教員である坂本金八が、学級担任をしている3年B組内に起こる様々な問題を体当たりで解決していく。
武田が主人公の坂本金八を務めた。
第1シリーズから第8シリーズまでのレギュラー放送のほか、スペシャルドラマが12作品放送された。
ドラマで扱われるテーマには時勢も反映され、教育現場においての時代に応じた課題が扱われることも多かった。
中学校の教員である坂本金八が、学級担任をしている3年B組内に起こる様々な問題を体当たりで解決していく。
武田が主人公の坂本金八を務めた。
第1シリーズから第8シリーズまでのレギュラー放送のほか、スペシャルドラマが12作品放送された。
ドラマで扱われるテーマには時勢も反映され、教育現場においての時代に応じた課題が扱われることも多かった。
via www.tbs.co.jp
最終回はあの人気ドラマを上回る、最高視聴率39.9%だった!
第1シリーズのメインとなる生徒の妊娠・出産を描いた「十五歳の母」のエピソードは大きな反響を巻き起こし、年が明ける頃には当時絶大な人気を誇っていた裏番組の「太陽にほえろ!」を逆転する視聴率を記録した。
金八先生が卒業生一人一人に手紙を読むシーンは感動的で、涙が止まりませんでした。。。
金八先生が卒業生一人一人に手紙を読むシーンは感動的で、涙が止まりませんでした。。。
卒業シーズンには欠かせない定番ソングに
海援隊 贈る言葉
当時からたくさんの人に歌われていました。
若いときはテンポが速いですね~
若いときはテンポが速いですね~
via www.youtube.com
20年以上の時を経て明かされた曲のエピソード
「贈る言葉」は失恋ソングだった
「贈る言葉」について、福岡教育大に合格した当時の失恋が題材だったことを告白。
「天神という博多の繁華街で、恋した女性に求めすぎちゃってね。女性からの別れの言葉は『大きい声、出すよ』でした。ほとんど刑事事件ですよね」と苦笑いしながら打ち明けると、会場は爆笑の渦に。
最後に「その人が去っていく後ろ姿をじっと見つめた。何十年かたつと、みじめな思い出が美しい歌詞になっていました。人生とは、そういう味わい深い物語であります」
学生時代の切ないエピソードが歌詞に込められていたんですね。。。
遠ざかる影が 人ごみに消えた
もうとどかない 贈る言葉
歌詞を改めてみてみると、エピソードに出てきた情景、武田さんの思いが重なりますね。。
なんとも切ないです。
なんとも切ないです。
『贈る言葉』はまったく別の曲・歌詞だったかも!?
2014年12月7日放送のテレビ朝日スペシャルサンデーに出演した岸田敏志は、『3年B組金八先生』は当初、海援隊と同じヤングジャパングループに所属していた岸田智史(現・岸田敏志)本人が主演するという話で進んでおり、岸田が本曲の詞をスタッフから渡されて曲をつけるように言われたことがあったと語っていた。
なんと金八先生も歌もまったく別のものかもしれなかったとは!
今私たちが知っている『贈る言葉』は奇跡の曲だったのですね。
出会えてよかった・・・・
なんと金八先生も歌もまったく別のものかもしれなかったとは!
今私たちが知っている『贈る言葉』は奇跡の曲だったのですね。
出会えてよかった・・・・
様々なアーティストが『贈る言葉』をカバーしていた
藤本美貴
via www.amazon.co.jp
作詞:武田鉄矢
作曲:千葉和臣
編曲:惣領泰則
ポリドールレコードに移籍後の第6弾シングル。